第9話【第二章】

【第二章】


 約十五分後、宿舎内一階の廊下にて。


「俺も会議に参加するんですか?」

「ええ。だから連れてきたんでしょ」

「いや、それはいいんですけど……」


 俺はリアン中尉に手を引かれ、小会議室に向かっていた。日差しはやや西に傾き、木々の葉を鮮やかに染めている。広葉樹林帯ならではの光景だ。


「す、すみません中尉」

「何かしら、デルタ伍長?」


 俺は中尉に、質問と文句のどちらをぶつけるべきか迷ったが……。ここは質問にしよう。


「機体の状況はいかがでしたか?」

「あら、心配だったの? ひどいわね」

「ああ、いえ! ヴァイオレット――リアン中尉の機体には、全身全霊を込めて、整備に当たらせていただいております!」


 何だか大仰な言い方になってしまった。しかし中尉は、『なら、いいじゃない』と一言。


「はッ?」


 すると中尉は手を離し、くるりと振り返った。


「あなたが『全身全霊を込めて』整備してくれたんだったら、それを大切に、的確に扱うのがパイロットとしての私の務め。心配ないわ。むしろ、右腕部の操縦系統をちょっと鈍らせちゃったみたいで、申し訳ないわね」

「あっ、いえ! パイロットの皆さんを安心して戦場にお送りするのが、整備士としての俺の務めです! 何かあったら、遠慮なく言ってください!」

「ありがと、デルタくん」


 俺は、赤面せずにはいられなかった。いや、リアン中尉と話している時は、いつものことだけれど。

 しかし俺は、一つ大きな失言をしてしまったと思った。『安心して戦場にお送りする』だって? 馬鹿な。安心できる戦場などあるものか。


「さ、急ぎましょ、デルタ伍長」


 そう言うと、リアン中尉は再び俺の手を取った。握られている手首から心臓、脳みそまでが、ぼやっと熱を帯びてくるような感じに囚われる。

『恥ずかしいので手を離してください』という文句をつける予定だったが、そんな余裕は俺にはすっかりなくなっていた。


         ※


「では、先ほどの敵襲に関する会議を始める。議題は二つ。まず、敵の狙いは何か。もう一つは、追撃すべきか否か。忌憚ない意見を求める」


 小会議室には、珍しく冷房が効いていた。集まっているのは、十人ほどの基地の幹部。それに加えて、パイロット代表としてリアン中尉、整備士代表としてルイス、生身でステッパーを倒した功労者として俺。

 司会は、この基地の副司令である大尉だった。


 真っ暗な小会議室は、部屋前方のスクリーンに灯った光で、濃い青色に染まっていた。緊迫した表情の皆の横顔も同様だ。

 現在スクリーンに映っているのは地図である。航空哨戒機が捕捉した、残存敵ステッパー及び歩兵部隊の現在位置がマークされている。


「敵部隊の歩みは遅い。敵の戦線に到達するまで、あと五時間ほどと思われる。それを許すことは、この基地の詳細を敵に知らせるのと同義だ。これは、それを食い止めるための作戦会議である」


 何だって? 敵を追撃するか否かを、今更会議で決めるのか?


「ちょっ、ま、待ってください!」

「何かね、デルタ伍長?」

「敵の目的が明らかで、かつこちらに迅速に動く理由があるとすれば、会議など経ずにすぐ追撃任務にあたるべきではないかと」

「それはどういう意味かね、伍長?」


 スクリーン手前の回転椅子が、こちらを向いた。座っているのは基地司令の少佐である。


「我々上層部は、会議をもつべきと判断した。君はそれに異を唱えるというのかね?」

「その通りです」


 思いがけない本音が出た。しかし、予想外だったのは俺だけではなく、皆もそうだったらしい。


「お、おい伍長が司令に噛みついたぞ?」

「どういう魂胆なんだ?」

「最悪、軍法会議ものなんじゃ……」


 ちらりと部屋の反対側を見ると、ルイスが不安げな顔でこちらを見つめていた。今更ながら、とんでもないことを言ってしまったのでは、という恐ろしさがこみ上げてくる。

 そしてそれは、現実のものとなった。


「デルタ伍長。今の君の発言は、上官に対する反抗だ。すぐに非を認め、発言を撤回したまえ」


 ここで『ごめんなさい』ができれば、随分と楽なことだろう。だが、俺も退くに退けなかった。上層部がこんなだから、少年兵たちが無駄に命を落とすのだ。

 俺にはこの悪習に歯向かう義務がある。しかし……。


「おい、デルタ伍長! さっさと頭を下げんか!」


 激昂し、デスクを殴りつける司令。どうする? 俺はどうしたらいい?

 俺がごくりと唾を飲んだ時、


「止めんか」


 スクリーンのそばに座していたもう一人の高官が、こつん、と音を立てて立ち上がった。

 慌てて姿勢を正す司令と副司令。二人の前に立ち上がっていたのは、誰あろう将軍だった。


「ワ、ワイルドット・スランバーグ将軍……」


 誰かが、もしかしたら俺自身がそう呟く。


「司令、副司令、貴官らにはすまないが、私はデルタ伍長の判断を支持する」

「な、何を仰いますか、将軍閣下! 少年兵上がりの一兵卒の意見など――」

「馬鹿者!」


 ガァン、と甲高い音を立てて、将軍は杖先を床に叩きつけた。


「問題は、作戦や戦術方針の合理性の高さだ。デルタ伍長の提案は、的を射ている。逆に、貴公らに問うが」


 ここで将軍は言葉を切り、鋭利な目線で俺たちを見渡した。


「よりよい作戦案のある者、いれば挙手せよ。十秒待つ」


 俺は胃袋の内側がどろどろになるような感覚に囚われた。十秒待つって? 十秒どころか、十分は経っているんじゃないか?

 俺が思わず腹に手を当てようとした時、将軍が再び口を開いた。


「異議なし、と判断する。よって将軍の名の下に、貴公らに命令する。最低限、基地の防衛体制を取ることのできるだけのステッパーを残し、敵部隊の追撃隊を組織せよ。事は一刻を争う。急いでくれ。以上、散開!」


 誰もが雷に打たれでもしたかのように、ザッと将軍に敬礼し、足早に小会議室を後にしていった。

 俺もまた、踵を返して退室しようとする。その時、思わず足が絡まりかけた。


「あ」


 あいつは、さっきのガキじゃねえか! 件の少女が、さも当然という顔をして席を立とうとしている。

 一体何者なんだ? 俺が彼女のもとに詰め寄ろうとしたその時、俺よりも先に彼女に声をかけた者がいた。


「リアン中尉……?」


 少女はリアン中尉と、熱心に会話をしていた。中尉は軽く膝を折り、少女と視線を合わせている。いや、中尉の方は間違いなく熱心なのだが、少女はぼんやりとして棒立ちのまま。

 やがて、中尉は両腰に手を当て、あたりを見回し始めた。

 

 あ、目が合っちまった――そう思った次の瞬間には、少女の手を引いたリアン中尉が俺の正面に立っていた。激怒、というわけではないが、何やら言いたいことがあるらしい。


「り、リアン中尉、すみません、俺、何か悪いことを?」

「違うのよ、デルタ中尉。リールが……私の妹のリール・ガーベラ軍曹が、あなたに迷惑をかけたらしいから、謝らせようと思って」


 俺は立ち上がり、リアン中尉の俯き加減な瞳を見つめた。それから、彼女に手を引かれた少女の方へと視線を移す。


「中尉の、妹……?」

「ええ」


 少女、もといリール軍曹は、さもつまらなさそうに爪先で軽く床を蹴っている。こちらを見ようともしない。

 って、軍曹? 軍曹だって?


「そんな! 俺より階級上じゃないですか!」

「その通りよ、伍長」


 はっとして視線をリールに戻すと、今度はじっと俺を見つめていた。いや、睨んでいた。


「敵襲の合間を縫ってあたしに抱き着こうだなんて、無礼千万よ」

「い、いや、あれはやむを得ず……」

「さてどうだか。あたしはあんたがロリコンじゃないかって疑ってるくらいなんだけど」

「はあっ⁉」


 そんなアホか。


「ちょっと待て――じゃない、待ってください軍曹! あなたをお助けするにはああするしか」

「ふぅん? どうだか」


 ムカつく。相当ムカつくぞ、このガキ。

 俺は目線をリアン中尉に戻し、眉根に皺を寄せてみせた。


「ごめんなさいね、デルタ伍長。ちょっといろいろわけありで。私だったら、ちゃんとお礼を言うところなんだけれど」

「そうですか」


 ん? 『私だったら』?

 俺の脳みその、薄暗い部分がシミュレーションを開始した。リアン中尉がリール(階級は省略してやる)の代わりに、あの時あの場所で突っ立っていたら?

 俺に出来ることは、きっと実際にリールを助けた時と同じことだろう。だが、俺は『抱き着くように』リールに体当たりしたのだ。

 その相手が、この胸囲的――じゃない、驚異的プロポーションを有するリアン中尉だったら?

 ……胸に顔が埋まるくらいのことは起きただろうか?


「ぶふっ!」

「リール、ちゃんとお礼を――ってデルタ伍長! 大丈夫なの? 突然鼻血なんて!」

「ほら、やっぱり変態なのよ、この伍長!」


 俺は鼻の頭に手を遣り、鼻先を覆うようにしながら言った。


「ほ、ほら、リアン中尉、行きますよ! リール軍曹も!」


 そうして小会議室から飛び出す。

 って、待てよ? リアン中尉はリールに関して『いろいろわけありで』と言っていた。何事だろうか。

 それも後から考えるしかない。俺は整備ドックへ向かう足を速めた。

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