第66話 岩間幸恵

光希「すみませーん。」

柚月「光希さん、ここ・・・。」

光希「うん・・・、店自体は、もうやっていないみたいだね。」


ガランとした広い空間。お酒どころか、物一つすら

置かれていない。

ただ、唯一あたしと光希さんの目に入り込んで来たのは部屋の一番奥に見える古ぼけた引き戸・・・。


光希「俺だけ行ってくるよ。」

柚月「あたしも行きます。」

光希「お化け、出るかもよ?」

柚月「冷蔵庫に入れてカチカチにします!」


「じゃぁ、開けるよ。」

光希さんの合図と共に、鈍い音を立てながら引き戸が静かに開けられる。


光希「ここ・・・、店と自宅が繋がってる。」

柚月「テレビの音が聞こえませんか?」

光希「店は潰れたけど、ここに誰か住んでるんだよ。」


「すみませーん」

もう一度、光希さんが声を張り上げる。すると・・・。


『どちら様ですか?』

ガラス張りの戸がゆっくりと開き、中から一人の女の人が現れた。


光希「すみません。あの、岩間さんでお間違いないでしょうか?」

幸恵「はい。私は岩間幸恵(ゆきえ)と申します。」

光希「良かった・・・。実は譲君の件で今日お伺いしたんです。」

幸恵「譲の?」

柚月「柚月さんの事、知ってるんですね?」

幸恵「ごめんなさいね・・・、わざわざ来て頂いて。」


この女性、どこか様子がおかしい。

どうやら、光希さんもその異変に気付いている様で・・・。


この人は、あたし達を見ていない。視線が噛み合わない。

声だけに反応している様に思える。

間違いない。この人は・・・「目が見えていない。」


光希「間違っていたらすみません。もしかして、目が・・・」

幸恵「・・・ほとんど見えていないの。あの、良かったらもう少しこちらに・・・」

柚月「あ、無理しなくて構わないので、そのままそこに座って下さい。」

幸恵「本当にごめんなさいね。ありがとう。」


家の配置は、ほぼ理解しているのだろう。

ガラス張りの戸を撫でる様に触り、そのままゆっくりと畳の上に膝をつき・・・、そして静かに腰を下ろした。


光希「あの、少しお伺いしても構いませんか?」

幸恵「はい。」


色白で細くて、長い黒髪がとても綺麗で・・・。

一人暮らしなのだろうか?

部屋の中を覗いてみると、テレビだと思っていた音はラジオで、生活に必要な物以外一切置かれていない、こじんまりととした一室に感じ取れた。


光希「単刀直入に聞きます。幸恵さん、あなたは譲の母親ですか?」


長い沈黙・・・。

あたしと光希さんは、幸恵さんの次の言葉をただ待つだけ。

すると・・・。


幸恵「・・・なさい。」

柚月「え?」


『ごめんなさい』

それは、まるでせきを切ったかの様に。

どんな感情で、どんな立場で涙が溢れ出してしまったのか。


あたしと光希さんは、泣き崩れる幸恵さんを黙って見守る事しか出来ずにいた。


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