在職日数12日目
「誠に恐れ入りますが、その書類は受付できません」
「はい? え、しかし、案内所でここだと……」
太郎は編入手続き書類を持って、役所の窓口の女性に提出した。が、このように言い返されてしまったのだ。
「ブルーム=ブバルディア学園編入手続きですよね? 入居手続きはお済みですか?」
「あ、入居手続きとやらは、これから――」
「入居許可証を添付していただかないと、受付はできないのです」
彼女は無表情に、ぷっくりとした唇だけ――全体もぷっくりとしているが――を動かして、機械的な返事をする。書類を突っぱねて、では次の方と流そうとしていた。
「ち、ちょっと待ってください! ならば入居手続きを先にしてくれませんか?」
「この窓口ではありません」
「え……、ではどこですか?」
「こちらでは分かりかねます。案内所からどうぞ。もうよろしいですか?」
息つく暇なく、こちらの話を聞こうとしない。これではまるでお役所仕事……、いやここは役所か。
学園から一歩外へ出ると、石と木の街が広がっていた。和洋折衷といえばそうなのだが、西洋の石文化にむりやり木造を足したような景観だった。柱と屋根にだけ木材を使用している。白に黒茶のマーブル模様が入った石畳もあまり見たことがない。
「ホワイトバッファローだよ。どうかした?」
「えっ? あぁー、いえ」
不思議がってまじまじと見つめていたら、護衛として付けられたクオガが話しかけてくれた。くすんだ赤色の制服を着て、太郎の隣に立っている。
ホワイト何とかはよく分からないが、大理石のようなものだろうか。
「それより、そろそろ門、閉めてもいいかな?」
「あ、これは失礼を」
後ろには鉄扉が開けられている。重そうな扉だが、か弱い女性でも魔力とやらで開閉できるらしいのだ。太郎が場所を譲ると、クオガは手の平を少し動かして簡単に閉めていった。
手も触れていないのに、まるで自動ドアだ。いや、もしかすると本当に自動ドアなのだろうか。魔法を証明するより、科学を埋め込む方が答えを出すのに早い気がした。
「じゃあ、行こうか。役所はあっちだよ」
彼女の指さす先は、上り坂になっていた。その緩やかな頂上に石畳と同じつるりとした石壁の建物が見える。あれならばすぐ着くかと思ったが、着いてからが長かった。役所にて身分証を提示、指示をもらい指定の窓口へと向かう。役所の中は意外と広く、思ったより人も多かった。しかし窓口は数えるほどしかない。
「終わった?」
「いえ……、その、まずは入居証明書を添付しないといけないのだと……」
「入居……、あー、そっか! ごめんごめん!」
クオガもすっかり忘れていたのか、眉を下げながら笑っている。きっとこの子も慣れないのだろう。なにせ若い。役所なんぞ親の付き合いでしか来ていないし、何を話しているのか全くもって知らないのだ。
「入居手続きならこっちかなぁ。ここ、いろいろあってよく分からないんだよね」
やはりそうだ。肩を少し落として、軽く溜息をつく。小娘に頼らず、また案内所で訊いてこよう。
「ええっと、入居手続きとやらを……」
「ソウマ・タロウさん? 聞かない名ですが、ブルーム=ブバルディア学園への編入のための入居とのこと、編入手続きはお済みですか?」
「いや、編入手続きは、入居許可証を添付しなければいけないと言われまして……」
やっとのことで辿り着いた先では、先程と似たようなことを言われている。今度はスレンダーな女性だったが、無表情で冷たい態度は変わらなかった。
「交換召喚生ということですか? こちらでは、ソウマ・リュウタロウさんの名前で出ておりますが?」
「それは倅です。手違いで、わたくしがここに来たんですが……」
「では入居手続きの取り消しを行っていただく必要があります」
「はぁ!? だったらそれもお願いしますよ!!」
ふぅ、と溜息をつくのは向こうだった。つまらなさそうに髪を掻き上げ、書類を突き返す。
「こちらでは出来かねます」
「どうしてですか!?」
「取り消しを行う窓口ではないからです。この手続きをやっていただかないと、タロウさんの入居を認めることはできません」
さすがに頭に来ている。いけない、平常心平常心。これでは国民に示しが付かない。たかが二回断られただけではないか。次をクリアすればすべては丸く収まる。気を長く持とう。
「して、その、取り消し窓口とやらはどこですかな?」
「別館になります」
「別館!?」
「はい、詳しくは案内所にてお訊きください」
それきり彼女はこちらに興味を失ったようだった。初めから関心などないだろうが、この総理大臣を前にしてこのような態度をとることが許されるだろうか。
太郎が少し自信を失くしかけたとき、背中から声が掛かった。
「終わった!?」
クオガだ。彼女にはあまり期待はしていなかったが、こうも話しかけるタイミングが悪いともっと絶望してしまう。
「いえ、倅の……龍太郎の入居取り消しが先だと言われてしまいました」
「リュータロー……。あー! そういえばおじさまが先に取り消ししてね、って言ってた気がする!」
「そ、そんな! それなら早く言ってくださいよ!」
いいや、あのライランに訊かなかった自分が悪いのだ。彼奴は自分の中で完結して話してしまうことを忘れていた。日本人が得意な空気を読んで説明をしてくれるというのは、期待しないほうがいい。
客人を休ませる概念もないように感じられるし、そもそもこの場では自分が主体的に動いていくのが得策そうだ。
「分かりました。別館と言われましたので、そちらに向かいたいのですが……」
「了解! ちなみに別館だと何個かあるんだけど、どこか分かる?」
「……いえ、案内所で訊いてきます」
そうだ、他人に任せてはいけない。それに自分は総理大臣だ。世界を変えようと思うなら、自分から動かなければ。
「あー、その、ミス・クオガ? ちなみになのですが、この役所に提言する者はいないのですか?」
「えー? どうだろう? 確かに面倒だけど、あんまり新しい人は来ないから」
「でも結構混み合っていますよね?」
周りを見渡すと多数の老人が椅子を占拠している。どこの世界でもこの手の役所には高齢の方が集まりやすい。
「あぁ、おじいちゃんおばあちゃんたちは、ずっと前から迷ってると思うよ」
「何ですって?」
「目的ひとつごとに分かれてるから、いつもそう。あっち行ったりこっちへ行ったり。文句言う気力もないんだと思う。だから被害相談もなくならないんだよね」
きょろきょろと様子を伺いながら、クオガはおおよその検討を付ける。老人に隠れて、こそこそと動く影が見られた。
「それより、タロウも気を付けた方がいいよ。何か変な輩がいるみたい」
「え、それは、大丈夫なのですか?」
「大丈夫だって! あたしがついてるし!」
「いえ、そういうことではなく」
太郎は案内所に向かう足を止めて、クオガに向き直る。すこし神妙な顔をして、言い憚れるかとは思ったが話題を切り出した。
「ここの方たちは、被害にあっておられるのですか?」
「……」
何かマズい質問でもしただろうか。クオガは目を円くして、驚いているようだった。小首をかしげているので、疑問に思っていることは間違いないだろう。
「そうだけど……、それがどうかした?」
「い、いやいや! それなら助けて差し上げなければ……! 嫌と仰るなら、せめて忠告だけでも――」
「どうして? だって、歳を取れば誰だって魔力は薄くなるもの。それはあたしだって同じだし……弱くなったらそうなるしかないじゃん。それがこの大陸の掟だよ?」
掟。その言葉は太郎の思考をせき止める。一体全体、何が掟なのか。弱者が搾取され、訴えても誰も取り合ってくれない。老人は身を守る力がないからと、平気で虐げる。そんなことが本当に許されると思っているのだろうか。
「ではミス・クオガも、彼らがそうなるのは仕方がないことだと……?」
「あたしは別に興味ないけど、荒んでいる土地もあるからね。仕方ないと思う。コソコソしてるのは、たぶんここの近くの人じゃない。でも、まだ平和な方だよ?」
「平和……」
日本人は平和ボケしていると、良く話を聞く。ジューゼが本当に昔日本に渡ったことを信じるのであれば、その時は戦時中かそれに近しい時代だったはず。悲惨な出来事だ。太郎は経験していないが、二度と同じことを繰り返してはいけないと心に決めたつもりだった。
だからいろいろと言われ放題なところもあるが、それはそれとして自覚している。だがこの場で言う平和とは何だ。長らく政治家をやっているからか、庶民の生活には疎くなっていたようだ。役所に来たのも、いつ振りなのか分からない。
「しかしそれでも、国民を守るのがわたくしの義務です! 役所の管轄はいったい誰が行っているのですか!?」
「えっ……管、轄? どうだろう、あたしに訊かれても――」
「そうですね、そうでした。ではわたくし自ら掛け合ってみます。ミス・クオガ、少し、頼み事をしてもよろしいでしょうか? 褒賞は……官邸に帰ったときに何か寄こします」
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