閑話休題 涼
桂一郎は学校から帰ってくると、着替えをすませてから、必ず万屋の戸を開ける。
桂一郎がこうしないと、この戸は一日中開かないままだ。
―――来るお客もいないのに、律儀ね。
棚の上でくすくす笑う、幼女を模った人形に桂一郎は肩をすくめるだけだ。
―――ケイは気になっちゃうのよね。時々、ここの道具を必要とする誰かが覗いたりするから。
鏡台のなかの座敷に座る、着物姿の女性が穏やかに笑う。彼女は桂一郎のことをことさら気にかけている、この万屋の付喪神の涼だった。
―――でも、危ないことをしては駄目よ? この前、
まさか涼に見られていたとは。桂一郎は気まずく思いながらも、何気ない風を装った。
「危ないことなんか、なかったよ」
涼は疑わしげに桂一郎を見た。
―――ケイの優しいところは大好きだけれど、逆にそういうところが心配だわ。
そう言う涼は、いつだって桂一郎のことを優しいと言う。
鏡台のなかに棲む彼女は、先代店主の妻であるよねとたいへん仲が良かった。そのよねは桂一郎を本当の孫のように可愛がってくれていた。
涼はその代わりになろうとしてくれているのだろうと桂一郎は感じていた。
「もう、心配されるほどの子供じゃない」
―――あら、可愛くないわね。まだまだ子供のくせに。
―――そうね。桂一郎は立派な子供だわ。
棚の上からも笑い声が上がり、周囲もさわさわと波立つように、笑いが広がった。
この万屋の道具達は基本的に桂一郎を子供扱いする。どうにも、頼りない存在だと思われているようだ。
桂一郎は溜息を吐いた。
「これでも、それなりに仕事ができるようになってきただろ。…………なんとか」
くすくすくすと、万屋の道具達が笑いあう。彼らにしてみれば、桂一郎はほんの数年生きただけの赤子と同じに見えるのだろう。
―――ケイ、まずは、肩肘張らずに生きることね。貴方のその意固地なとこが心配。いつか大怪我をしそうで、ひやひやするもの。
桂一郎はまた一つ溜息を吐いた。
「そう生きれれば、こんな所にいやしないよ」
―――それももっともだわ。こんなに私達の声を聞けてしまうのだもの。他人の前で自然体になんてなれっこないでしょうね。
下手をしたら店主よりもひとでないモノに通じている彼は、万屋に来なければもっと辛い経験をしていただろう。
どうあっても、彼が普通のひとの中で自然に生きていける要素は少ない。
―――でもね、ケイ。ひとはひとのなかにあってこそ、よ?
涼のそれは、ひととは違う、けれどひとの生活のなかにあった道具だからこその言葉だった。
万屋の人外のモノ達は、大なり小なり、このひととして危うい少年を気にかけている。
それを感じる度に、桂一郎はそれらと離れ難い気持ちになるのだ。
そしてその気持ちが、桂一郎のひととしての道を危うくさせてしまうのだけれど。
ひとはひとのなかにあってこそ。
万屋の店番をしながら、そこにいる人外のモノ達の相手をしながら。桂一郎は自分をひとの世に押し戻した存在の願いを思い出すのだった。
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