厄落とし 弐



 そんなこんなで、次の日の放課後。健は桂一郎と連れ立って、件の交差点へと向かっていた。

「なー弥上、お祓いとかすんの?」

 もくもくと前を行く桂一郎の背中に、健は疑問を投げかける。

 桂一郎は振り返りもせず、それに答えた。

「昨日も言ったが、俺の家は拝み屋じゃない。お祓いは専門外だ」

「できねーの?」

 このクラスメイトなら、お祓いの一つや二つ、簡単にしてしまいそうな気がするのに。

 しかし、それに答える声は簡潔だ。

「できない。ああいうのはちゃんと修行した人間がやらないと駄目だ。生兵法、大怪我の元ってやつ。下手に手を出したら痛い目みる」

 何とも説得力のある実に堅実な解説だった。

「ふーん。あれ? じゃあ、どーすんだよ」

 てっきりお祓いでもするのかと思っていた健だったのだが。他に厄を何とかする方法が桂一郎にはあるのだろうか。

 首を傾げた健に、桂一郎はこれまたあっさりと答えを返す。

「簡単なことだ。呪いで拾ったんなら、呪いで捨てればいい」

「つまり、お金を投げ捨てろっつーことか」

「そうだ」

 実にシンプルな方法。いかに脳みその足りない健だろうと―ありがたいことにその理屈なら理解できる―が。

「五百円だろぉ、もったいねーなあ」

 イマイチ乗り気になれないのは、財布の中身が寂しいからで。煮え切らない様子の健に、しかし桂一郎はしれっと言った。

「いいや、千円だ」

「ああ、そーなん……………」

 一瞬頷きかけた健だったが。

「って、何でだよ!」

 我に返ってその言葉に突っ込んだ。

 だって健が拾ったのは五百円なのだ。それがどうして倍の金額になるのか、納得がいくはずがない。

 そんな健に桂一郎は面倒くさそうに―しかも「ッチ」という舌打ちまで聞こえた気がする―説明した。

「呪いは利子をつけて捨てることになってるんだよ。でないと厄は捨てられない。そのぐらいのリスクがあってこその呪いだろう」

 台詞は霊感商法とそうかわりはしない気がするのに、どうしてこうも彼の口からだと説得力があるのか。

(にしたって倍って!)

 けれどここまできておいて「やっぱり止める」などとは言えない。というより、言えていたらそもそもここにすら来ていないだろう。

 着いてしまった交差点を目の前にして、健はぎりぎりと歯噛みした。

「ぐぅぅう、くっそ! ほんとツイてねーな! 今月買いたい物あんのにっ!」

 渋々千円を財布から抜き取ると、振り返った桂一郎は無常にもそれをぴっと取上げ。

「欲を出せばそれなりにしっぺ返しがくるもんだ。覚えとけ」

 その代わりに懐紙でくるんだものを健に投げてよこした。

「何だ、これ」

「五百円硬貨二枚。投げるのは硬貨だって話だから、用意してやった」

 何気に上から目線の言葉だったが、それに反抗する気にもなれない。

「それはドーモ。ちっくしょーーー、オレの昼飯代ぃ」

 がっくりと肩を落とし、健は手の平にのるそれを見つめる。

(何だよ、これーーーー。騙されてんじゃねーの、オレ)

 そうは思う。思うのだが。ちらりと顔を上げると、真剣そのものとしか見えない桂一郎の顔があって。

 どうしても、彼が嘘をついているとは思えないのだ。

「この呪いはそう難しいものじゃあない。交差点の途中で硬貨を後ろに投げ捨てて渡りきる、それだけだ。

 ただし、絶対に振り返るなよ。何があっても、だ」

 交差点を指示して、桂一郎が釘を刺す。

 古今東西、昔話で振り返った者の末路は―――言わなくたって分かるだろう。

 ぞわりと健の背筋が寒くなった。けれど、こうなったらもう覚悟を決めるしかない。

「分かった」

 深呼吸を一つして頷くと、健は青信号を待って交差点に足を踏み入れた。

 言われた通り交差点の中ほどまで進んだところで、懐紙に包まれた硬貨を後ろに投げ捨てる。

 チャリンッという音が後ろに響いて、ふと厄とやらが離れたかどうか確認したくなったが、「振り返るなよ」という桂一郎の言葉を思い出して、健は必死で足を前へと進めた。

 そしてそのまま交差点を渡りきり足を止めた健は、はたと疑問に思い当たった。

(で? これからオレはどーすりゃいーわけ?)

 桂一郎から「振り返るな」と言われていたが、渡りきった後にどうしたらいいかなんて聞いていない。けれどそれを聞こうにも、怖くて振り返る気にはとてもなれない。

 そんな固まるしかない健の視界に、ふと左の車道から―つまり今しがた健が渡った交差点に交わる道路だ―こちらに向かってくる車が映った。

(あ? 向こうの信号は赤、だよな?)

 点滅し始めたこちら側の信号機からするに、あちら側は確実に赤のはずだ。だがその車はどう見ても減速しているようには見えない。

 まるで信号などないかのように、そのままのスピードで交差点に進入してきた。

(信号無視かよっ? あっぶねぇーーーー)

 渡りきっていてよかった、とほっとしたのも束の間。

 背後からドンッという衝撃音が聞こえて。健は言われていたことも忘れて思わず振り返っていた。

「なっ!」

 そこで目にしたのは―――――走り去る車と、今まさにそれに跳ね飛ばされて倒れている桂一郎の身体だったのだ!

「弥上っ!」

 思わず走り寄ろうとした健だったが、静かな声音がそれを引き止めた。

「大丈夫だ。落ち着け」

 しかし、もちろんそんな言葉を聞いていられる状態じゃあない。

「馬鹿、落ち着いてられっかよ! あぁ、ええっと、そうだ救急車!」

 焦る健にその声は「だから」と、溜息を吐くように呟いて。

「落ち着けって言ってるだろうが」

 そして――――ガツンッという衝撃が健の後頭部を襲った。

 慌てて振り返れば桂一郎が―おそらくそれで殴ったんだろう―鞄を握り締めてそこに立っている。

「や、弥上? あれ? でもお前、車に轢かれたんじゃ――――」

「轢かれてない。よく見ろ」

 呆れ顔でそう言う彼は確かに轢かれた様子など微塵もなくて、五体満足のように見える。

「じゃあ、さっきのは何だったんだよ?」

 慌てて交差点に目をもどした健は、しかしぽかんと口をあけることになった。だって――――そこには何もなかったのだ。

 倒れているように見えた桂一郎の身体も―よく考えれば彼は後ろにいるのだし、そこにいるはずがないのだけれど―血の跡すら何の痕跡もない。

「幻でも見たんじゃないのか?」

「ちっげーよ! 確かにお前が轢かれてたって!」

 健の言葉を軽く―何かをすりかえる様に―流そうとする桂一郎に健は猛抗議した。

 だってあれほどはっきりと見えたものが幻覚だなんて。

「お前、何かしたんだろ。なあ? 本当に大丈夫なのかよっ?」

 何かがあるのだとしか思えない。

 しかし言い募る健を無視して、桂一郎は今渡ったばかりの交差点を退き返していく。その途中で桂一郎が身を屈め、健が投げ捨てた硬貨と何か―砕けた木片の様な物だ―を拾い上げた。

「何だ? それ」

「意外と目敏いんだな、お前」

 後を追っていた健が覗き込むようにして聞くと、何故だか非常に面倒くさそうな目をした桂一郎がそんなことを言った。

 それが健には妙に気に入らない。

「ごまかすなよ!」

 食い下がる健に桂一郎は、諦めたように溜息を吐いて拾い上げた木片を見せた。

「これは人形ひとがただ」

「ヒトガタ?」

「ああ。人に見立てて使う呪具のことだ。原理は藁人形と同じだな」

「うげ」

 藁人形と言われれば、そうしたものの知識のない健にも分かる気がする。ようするに、あまり気持ちの良いものではないということが。

「これは俺が作った俺の人形。早い話が俺の写し身ってことだ」

「だったら――――さっき轢かれたのはソイツってわけか」

「そういうことだ。誰かが厄を被らなくちゃ終わらないだろう、ああいうのは」

 確かにそれは道理だ。だが、しかし。

「なあ、それだったら、オレのそれ―ヒトガタ? 作った方がよっぽど話が早かったんじゃね?」

 思わず健は首を傾げた。

 どのみち桂一郎が厄を引き受けるというならば、健の厄をその人型に引き受けてもらったってそう大差はないだろうに。何故、わざわざ健に厄を捨てさせたのか。

 素朴な疑問だったのだが、桂一郎は驚いたように目を見張り、それから自嘲気味に口元を歪ませた。

「他人の人形を作るより、自分のものを作ったほうがはるかに簡単だ。

 それに…………人形っていうのは分身と同じ、つまり人形が傷つけば本人にも傷がつくようなシロモノだ。そんなモノをお前、俺に作らせたいと本気で思うか?」

「うっ…………それは」

 言いよどむ健に桂一郎はそっけなく頷く。

「だろ」

 しかし、それを肯定されたらされたでどこか居心地が悪い。

「いや、あのな? 別にそーゆーわけじゃないぞっ? ただちょっと気味が悪、じゃなく! 怖い、でもなくぅ、ああっとぉ、なんつーか」

 何だかもやもやする。この後ろめたさにも似た気持ちは何なんだろう。

 弁解するような自分の口調が、健自身でも不思議だった。

 それは桂一郎も同じだったようで、まじまじと健を見つめ、それから肩をすくめた。

「別に気を使わなくていい。誰だってそうだ」

 何も気にすることはないというように桂一郎は言い捨てる。だがそれが、逆に健の気持ちを逆撫でした。

「だから! そういうわけじゃねぇって! 厄だとか人形だとかが気持ち悪ぃってことで、弥上が怖いわけじゃねぇし!」

 思わず叫んで、ああ、と健は気が付いた。この居心地の悪さの、正体に。

「つーか―――――お前って、普通にいいヤツじゃん」

 ぽろりと本音がこぼれた、みたいな。そんな自分自身の言葉に、ふっと気持ちが軽くなる。なんだ、そういうことか、と。

 何だかんだと言いつつ、桂一郎は健の厄とやらを何とかしようとしてくれた。それも自分の身を危険にさらして。それは感謝してこそすれ、忌避されるような行動じゃない。ないはずなんだ。

「だから、その、あれだ………ありがとな」

 言ってしまってから、何だか恥ずかしいことを言ってしまった気がして、思わず顔を逸らしてしまった健だが。

「………………変わってるな、お前」

 ぽつりと聞こえてきた言葉に、顔をがばっともとにもどして――――健は固まった。

 だって、そこのあったのは―呆れたような苦いものではあるけれど―確かに。

(わ、笑った!)

 思わず見入ってしまうくらいの―男だってのに!―笑顔だった。

 呆然と立ち尽くす健にはおかまいなく―かまわれても逆に困るが―桂一郎のそれはまたすぐにそっけないものにもどって。

「まあ、いいか。これで終わりだ」

 言いながら人形と硬貨とをポケットに仕舞いこんだ。そこで健ははたと気付く。

「って! そーいや何でその金をお前が拾うんだよっ?」

 危うくスルーするところだったその事実に、思わず悲鳴じみた声が上がった。

 だがもちろん、桂一郎はそんな非難など右の耳から左へと素通りだ。

「俺が厄を被ったんだから、この金は俺のものだろう」

 しれっと当然のことのように言い。

「これに懲りたら、これからは道に落ちてる物を拾うなんて貧乏臭い真似はよすんだな」

 と、そんな皮肉まで付け足してくれた。

(くっ、くっそぉぉおぉぉぉぉ~~~~~)

 理屈ではまさにその通りな言葉に反論できるはずもなく。

 こちらを振り返ることもなくさっさと行ってしまう桂一郎の背中を、健は歯噛みしながら眺めるしかなかった。



 そして厄落としを終えた、後日の昼休み。

「くそぅ、腹減った」

 今日も今日とて昼ご飯にありつけなかった健は、またもやぐったりと机にはりつくハメになっていた。

 そんな健の様子に友人達は苦笑いするしかない。

「何だ、弥上の噂はデマだったか」

「でもよ、ほんとに相談したのかよ?」

「んーーー、まぁなーーーー」

 気のない返事で友人達の話しに頷く健だったが、彼らは興味津々のようだ。

「で?」

「どうだったんだよ? 実際?」

 無邪気に桂一郎の噂を検証しようと聞いてくる。

 きっとそれに悪意なんかないんだろう。それが解かるからこそ、健は友人達の言葉がいちいち引っかかる。

「お祓いとかは、できねーってよ」

 別にその言葉が嘘というわけじゃない。真実というわけでもないだけで。

 しかしそんな言葉でも十分らしく、友人達は肩をすくめて笑いあうだけだった。

「なんだ、何もなかったのかよ」

「ほらみろ、やっぱり嘘だろ」

 だから健も。

「あーーー、うん。そうだなーーーーー」

 と、生返事しておくだけにする。

 本当のところは、あの呪い以降、生傷が激減した。それは厄を捨てることができたということなのか、それともそんなものは始めからなくて、たんに弥上にかつがれただけなのか。

 だが、そのどちらだってかまわない。健はあの日の出来事を、そして今の現状を、口にする気はないのだから。

「あーー、しっかし、ハラ減ったぁ~~~」

 そう吐き出すように言えば、へなへなと頭が自然と机へと沈み込んでしまう。もういっそこのまま寝てしまおうか。そうすれば空腹はしのげるし、体力温存にもなるし………などと考えているところに。

 とすっと軽い何かが頭に当たって、目の前へ落ちてきた。それはちょうどパン二つ分くらいに膨れた、購買の紙袋で。

 視線を上げれば、そこには不機嫌そうな桂一郎の顔がある。

「今日だけだからな」

 非常に嫌そうにそう言う姿が、妙に可笑しく見えるのは何故だろう。

「なんだよーーー、もっと恵んでくれよぉ。ジリ貧なの、知ってんだろ」

 口を尖らせて健はそんなことを言ってみる。

 迷惑そうに細められた瞳に、一瞬だけ無視されることを覚悟したけれど。

「五百円分だけだ」

 そっけなく返された台詞に健は思わず笑ってしまった。

「冷たいこと言うなよ、弥上ぃーーーー。ついでに次の英語の和訳もみせてくれ」

「…………お前な」

「ついでのついでに、古典のノートもみせてくれ」

「ふざけんな」

「またまたぁ~~~~」

 そんな二人のやり取りを、今しがた桂一郎の噂をしていた友人達が奇妙なものを見るような目つきで眺めていた。

「な? 弥上ってけっこうイイ奴だろ」

 そんな彼らに健はにやりと笑ってやる。

「勝手に言ってろ」

 桂一郎は付き合う気はないとばかりにくるりと健に背を向けた。

 その背中と自分とを交互に見つめる視線の中、健は目の前にある購買の袋を掴んで勢いよく立ち上がり、彼らに手を振った。

「じゃっ、ちょっくら和訳みせてもらってくるぜ!」

 そしてすっと軽くなった胸に息を吸って。

「おぉ~い、弥上、待てってばぁーーー!」

 健は遠ざかっていく桂一郎の背中を追いかけたのだった。









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