閑話休題 鈴
タタン、タタン、と、リズミカルに揺れる電車のなかで。
―――ねぇ、出して。
通常人には聞こえない声が桂一郎に囁いた。
桂一郎は周りを見渡して小さく呟く。
「人がいる」
すると声は苛々したように重ねた。
―――ずっと暗いなかにいたのよ。出してったら、出して。
桂一郎は嘆息すると、脇に置いてあった桐の箱の蓋を開けた。
―――出して。
幼女を模った人形が口を尖らせているように見えた。
仕方がない、と桂一郎は人形を抱き上げ、膝の上に置いた。
―――ああ、本当に、散々だった。壊されるかと思ったわ。
魂を封じる役目をしてきた人形は、長い時を経て人格を持つ、いわゆる付喪神となっていた。
この人形の名は『鈴』。万屋弥上の先代からの持ち物だ。
―――見たことのない顔。新しく入った店員ね。桂一郎というのよね?
長年の仕事から解放され、やっと弥上に帰れることが嬉しいのか、人形は膝の上でずいぶんとかしましい。
桂一郎は目を細め、人形を撫でてやった。
「十年くらい前、弥上にきた桂一郎だ。よろしくな」
周囲に聞こえぬくらいの小声で言った桂一郎に鈴は、撫でるなんて生意気ね、と返しながらも嬉しそうだ。
―――お涼ちゃんはまだいる? よねは元気? 源蔵は?
桂一郎は困った顔をして、もう一度、鈴を撫ぜた。
「鏡台にいるお涼さんは今も万屋にいるよ。
だけど、よねさんは亡くなった。俺が弥上にきたばかりの頃は元気で、すごく優しくしてもらったけど。三年前に。
源蔵さんはずいぶん前に亡くなって、今は忠弘が店主をしているよ」
途端に鈴の声がぴたりと止んだ。
タタン、タタン、と、電車が揺れる。
長い長い沈黙だった。
―――これだから、ひとは。
鈴の声がひどく切なかった。
―――それも、今の店主が忠弘ですって? あのロクデナシのお馬鹿な子が店主なの?
桂一郎は苦笑いした。
「一応、源蔵さんに認められて、店主になったと聞いてるよ」
―――源蔵ったら、甘過ぎよ。
この人形は先代との思い出が多いのだろう。きっと鈴にしてみたら何もかもが様変わりしているに違いない。
「源蔵さんは優しいひとだったって、よねさんが言っていた」
―――ええ。とても。
「先代のことは、よく知らないんだ。忠弘が話さないから」
―――恥ずかしいから、話したくないのでしょうよ。
「それはちょっと聞きたいな」
―――いいわ。聞かせてあげる。
「うん。けど、それは万屋に帰った後で」
―――なによ。あ! また仕舞うつもりね? 嫌だったら! このまま抱いてなさいな。
桂一郎は困り顔で鈴を見た。
十代の男子が幼女の人形を抱っこしている、そのシチュエーションがいかに人の目を集めるか。少しは分かってもらいたいと思うのだが、相手はいかんせんひとではないので難しい。
「せめて移動の時くらいは、箱に入っていてくれ」
かさばってしかたがないのだから、と桂一郎が言うと鈴は渋々といったように了承した。
―――ただし! 電車のなかではこのままでいさせてちょうだい!
壁の中に押し込められていたことを知っている桂一郎は頷いた。
「しばらくは、このまま外にいていいから」
すると見るからに鈴の機嫌が良くなった。
―――桂一郎はなかなか話の分かる子ね。
「お褒めにあずかり光栄だよ」
そうして桂一郎は、タタン、タタンと揺れる電車のなかで幼女の人形を膝に乗せ、周りには聞こえない彼女のお喋りに耳を傾けるのだった。
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