第3話 聞こえない

「もう確定だね、お爺ちゃんはアヤのこと『孫悟空』ってあだ名を付けてる」

「何で?女子なのに?女子なのに⁉︎」

「仕方ないよ、小猿だもの」

 似合っててかわいいけどね、とスミコは私の短髪を撫で回した。嬉しいけど、小猿はイヤだ……。複雑な思いで、私は諦めにも似た微笑みを浮かべた。


 別に、それが理由じゃない。そうじゃないのだが、面倒くさくて、しばらく美容室に行かなかった。しばらくってどれくらいかっていうと、もはやショートとは呼べないんじゃないか、というくらい髪が伸びるほどだ。

 後頭部は刈り上げでも、基本は前下がりのショートカットだったので、伸びるに任せた髪は、いつしかショートボブに変わっていた。もう小猿じゃない。

 テストやら何やらで2ヶ月が過ぎ、遊ぶのが忙しくて秋が終わり、冬の入り口でふと気がついた。今また刈り上げたら、頭が寒い。今までずっと長かったので気がつかなかったが、うなじに吹き付ける風が冷たくて、首を竦める。短くしたら、マフラーどころか、帽子が手放せないじゃないか。

 でも、秋物の洋服やらスイーツやらで、すでに美容室代どころじゃないのだ。その上、新たに帽子まで買いたくない。

 そんなこんなで、私の髪は、すっかり伸びていたのだ。だがもう、癖っ毛が限界を迎えていたことも事実だ。結べていた頃は、四方八方に散る髪を、無理矢理まとめて誤魔化していたが、それももう、限界だ。

 どうやって、美容室代を工面しようか迷いながら踏み込んだエレベータで、私は束の間、固まった。エレベータには、既に3人乗っていた。小学生とスマホをいじってるお兄さん。それから壁際に、ホットコーヒーを持って、お爺ちゃんが寄り掛かっていた。お爺ちゃんは私をちらりと見て、興味がなさそうな顔で、すっと視線を逸らした。

 私はボタンを押して、息を殺す。モーターの唸りと、到着を知らせるチャイム、扉の開く音。そっとエレベータを出る。閉じていく扉を振り返る。私を呼ぶ声は、聞こえない。

 スマホに夢中なお兄さんの後ろで、お爺ちゃんは、つまらなそうな顔をして、痩せた指の先を見ていた。

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