第8話 冬美の戸惑い
冬美は明日香の母親が入院してからも時々病室に見舞いに通っていた。冬美の母親は冬美が高校生の時に病死している。そのせいか、明日香の母親の看護をしていると実の母に会っているようで心が穏やかになるのであった。
明日香の母親は明日香とは正反対の性格で大人しくて控えめで思慮深い人だった。冬美が仕事上の人間関係や夫との生活での悩みを話すと親身になって聞いてくれた。
「冬美さんとも、もうそろそろお別れね」
病室から遠くの景色を見ながら明日香の母親は言った。
「何を言っているのですか。まだまだこれからじゃないですか」
冬美は必死になっていた。
「いいのよ。もう十分に生きたから」
「そんなあ、私の悩みだってまだまだ聞いてもらわないと」
明日香の母親は冬美の手を取ってギュッと握りしめた。
「あなたならもう大丈夫よ。それより・・・」
しばらく沈黙が続いた。
「明日香のことが心配で・・・」
冬美にとっては意外なセリフだった。明日香と母親の関係は誰が見ても良好とは言えなかった。明日香は母親を軽蔑しているし、母親も明日香を認めてはいなかった。
「明日香がまた誰かを傷つけてしまうのではないかと、心配でね」
「えっ?」
「あなただってわかっているでしょう。あの子は色々な人と傷つけて伸し上がってきたのだから」
冬美もそれには同意している。だが、それを口にすることはできなかった。
「高校生の時だってあの子がいじめていたルミさんって子のことが、今でも私は忘れられなくて・・・」
冬美は高校を卒業してからは、その子の名前を思い出したこともなかったことに気が付いた。あの時は明日香が一方的にルミを嫌って仲間外れにしていた。それに同調していたつもりはなかったが、結果的には冬美自身もルミを避けるようになっていた。
「彼女はすぐに転校してしまいました」
「ええ、そしてその10年後に自殺をしているのよ」
「えっ、嘘、知らなかった・・・」
いや、冬美は知ろうとしてもいなかった。あのことはなかったことにしてきたのだった。30年近くもの長い間。
「私も偶然に知ったのよ。以前この病院に入院していた方があなたたちの同級生のお母さんで、昔話に花が咲いたのだけれど、その方のお子さんがルミさんとは幼馴染だったらしく、転校した後のことを詳しく話してくれて・・・コンコンコン」
明日香の母親は激しく咳き込んだ。
「大丈夫ですか?水を飲んでください。話はその辺で」
「ありがとう。いいのよ。ごめんなさいね。最後まで聞いてくださるかしら」
冬美は頷いた。明日香の母親の剣幕に押された感じだった。
「私はいじめていたのがうちの子ですとは言えなかったの。情けないことに」
「いじめていたのは明日香だけではありません。私だってルミを庇うことができなかったから、同罪です」
「いいえ、あの子がいけないのよ。あの子はどうしてだか、人を敵か味方に分けて考える癖があって、それが結果的にビジネスでは成功したのかもしれないけれども、人としてはどうなのか。今の会社だって詐欺まがいでしょう。そのうちきっととんでもないことになるはずだわ」
冬美は何も言えなくなっていた。
「そのルミさんなのだけれどね、高校を転校したけれども学校には行けなくなってしまって、ずっと引きこもっていたというわ。一度、ルミさんは明日香に手紙を書いたそうなの。明日香から謝罪の言葉が聞ければ、自分は外にでられるかもしれないって。でも、明日香はそれを拒否した。そして辛辣で酷い言葉を手紙に書いてきたそうなの。それも匿名で」
「えっ?」
「あなたみたいな社会に役に立たない人は死ねって書かれていたそうなの」
「そんなあ、酷い」
「それからすぐにルミさんは自ら死を選んだ。28歳だったそうよ」
「それを知って、お辛かったですね」
「ええ、あなたにまで辛い思いをさせてしまったわね。ごめんなさい。でもね、あなたを信じてこの話をしたの」
「私を信じて?」
「そう、あなたにお願いがあります」
明日香の母親は改まって冬美に頭を下げた。
「明日香を殺してください」
冬美は明日香の母親から明日香が服用しているという違法ドラッグを手にして家路に就いた。まだ、頭の整理ができていなかった。
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