第6話 冬美の現実

 冬美の家は公団住宅の中にあった。近くには公園もあり緑の木々が豊富で、比較的都会にあるのにどこか懐かしい印象のある場所だった。瞳は冬美には事前にアポイントを取っていた。部屋を訪れるとフリーランスでライターをしているというご主人が出迎えてくれた。

「刑事さんが来るというから強面のおじさんを想像していたけれど、若くて可愛い子で安心したよ」

 ドアを開けて開口一番にそう言った。冬美より五歳年下のかなり軽薄そうな印象の男性だった。

「ごめんなさいね。もういいから、出かけるのでしょう」

「はいはい、では行ってきます。どうぞゆっくりしていってくださいね」

 冬美のご主人は冬美と瞳に声をかけ、ラフな格好で出かけて行った。

「きっとパチンコよ」

「えっ、そうなのですか」

「まあ、家賃分くらいは稼いでくれているから、私も文句は言わないのだけれど」

「そうなのですね」

「明日香の件ですよね。何でも聞いてください」

 冬美は誠子や友里子がいる前とは打って変わって、ハッキリとものを言う人格になっていた。態度も堂々としていて見るからに頼もしい看護師さんだった。

「明日香さんはどういう方でしたか?」

 瞳は最初から明日香の話を持ち出した。

「そうですね。派手で目立ちたがり屋で買物依存症なところもあって・・・快楽主義というのかしら、その場が楽しければそれでいいっていう感じでした」

 看護師らしく心理学的に分析しているようだった。

「明日香さんの家に訪問看護をされていたのですよね」

「はい、そうです。二年前だったかしら、明日香から電話があってお母さんの看護を頼まれました。私は訪問看護の会社に登録をしているから、その会社に正式に依頼をしてもらって、ちゃんとお金もいただいていました」

 冬美の方からお金の話を持ち出した。

「明日香さんと金銭トラブルなどはなかったのですね」

「ああ、誠子ね。あの子は人のトラブルが好きだから、私が明日香から借金しているって言っていたのでしょう。私は誰にも借金なんてしていないし、明日香とは会うことも無くお母さんの看護をしていただけです」

「明日香さんから投資話をされたことはないですか?」

「私にはないです。私は貸し借りが嫌いなので。明日香の言う通りに投資をして仮に儲けが出たとしたら、それを何も考えずに自分のものにはできませんからね。三人からもいつも馬鹿にされているのだけれど、奢ったり奢られたりというのもできない性格で・・・」

「そうですか。他に明日香さんのことで気になることとかありますか?」

「そうですね・・・」

 冬美の顔から少しだけ嫌悪の表情が窺えた。やはりサイバー対策班からの話は本当なのかもしれない。

 ここに来る前、サイバー対策班から報告が上がっていた。明日香の会社の投資商品は詐欺まがいであったため、それに対するSNSでの誹謗中傷が酷くなっていた。しかも社長である明日香への個人攻撃も激しくなり、自宅の特定や彼女の私生活がインターネット上で晒され始めているところだったのである。そして、その書き込みの一人が冬美であることを突き止めていた。

「あの・・・このような書き込みをされていますね」

 瞳は書き込み内容を印刷した紙を冬美の前に差し出した。冬美の顔は一瞬引き攣るも、すぐに平静を装っていた。

「ええ、そうです。何か罪になるのかしら」

「いいえ。明日香さんが名誉棄損で訴えない限りもう罪に問うことはできないでしょう」

 冬美はしばらく黙っていた。

「何でも素直に口に出せて、好き勝手に振る舞っている明日香が羨ましかったのかもしれません。私は明日香のようにはできないから。明日香は何でも自分がお金を出すと言ってくるし、だから会いたくはなかった。対等な関係でないのがわかっていたから・・・」

「だから、裏アカウントで悪口を書いてしまったと」

「そうね。書かずにはいられませんでした。パソコンに向かって『サファイア』というアカウント名を名乗ると私ではない別の私が出てきて、明日香を攻撃できるから・・・」

 冬美には色々な人格が備わっているのだと瞳は思った。

「看護師なのに何も手を打ってこなかったのはいけないことですよね。でも、『サファイア』になることで私は救われていました。だから私は現実世界では誰も傷つけたりはしなかった」

 そうなのだろうか。瞳は考え込んでしまった。現実の世界を守るために匿名で悪口を書き込むなんて許されていいはずはない。だって、現に傷ついている人は大勢いるのだから。冬美の理屈は多くの匿名で悪口を書き込む人種の言い訳なのだと思うと、瞳は自分の行為を正当化してしまう人間の恐ろしさを痛感していた。

 冬美の裏アカウントでの書き込みを見ていると一つのことに気が付いた。決して「死ね」とか「殺してやる」という文字は出てこない。冬美の書き込みは「お金に汚い」や「派手好き」「男好き」などの言葉の羅列が主だった。

「明日香さんは殺されたと思いますか?」

 瞳は単刀直入に聞いてみた。

「それはわかりません。殺したいという感情はとてつもないエネルギーがいるはずだから、一人では・・・」

「えっ何ですか?」

「いいえ、人を殺すのは大変そうだなって思っただけよ」

「冬美さん自身は明日香さんを殺したいとは思ったことがないですか?」

「不思議ね。考えたこともなかった」

 冬美は瞳の顔を真っ直ぐに見てそう言った。瞳も確かにそうだと心から思った。違法ドラッグの過剰摂取だということはその違法ドラッグをどこかで手に入れなくてならない。友里子と冬美にはそれができたとは到底思えなかった。

 冬美からもホストのことを聞いてみたが、何も知らないようだった。瞳は喉が渇いてきた。冬美は一向に瞳にお茶などを出す気配すらなかった。あらためて部屋を見渡すと無駄なものが一切置かれていなかった。キッチンも見える範囲だけであるが物が極端に少ない。少し前に流行したミニマリストというのだろうか、生活感のないその部屋は瞳にとっては居心地が悪かった。そう言えば服装は事件の時とさして変わってはいなかった。そうか、違っていたのはジャケットを羽織っているかいないかだ。白いTシャツにベージュのパンツを今日も穿いている。あの時はそれに紺のジャケットを羽織っていた。冬美の一貫した生活様式と人格のちぐはぐに瞳は混乱を覚えるのだった。

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