五月十七日①


ココロ、、、を通わせるという言葉は、とにかく抽象的である。(一般な言葉として)古代から近代に至るまで、精神論患者たちの曖昧な合言葉であったに相違ない。ただいくつかの仮定を経て、充分な検証の後に、その言葉は、明確に意味を持つことになる。

 我々は、物言わぬ小さな彼ら、、と、正しくココロ、、、を通わせることが必要である』



 詩歌しいかは、未だかつて二日酔いを経験したことはない。その日の朝も、昨晩のウイスキーの水割りを何杯も飲んだにしては、案外にすっきりとした目覚めであった。

 時計を見ても、時刻は7:47。八時になれば、宏輝こうきの目覚ましの声が聞かれるだろう。

 詩歌はひとつ欠伸をすると、布団から抜け出し、着替えを始める。着替えが終わると、次いで、机の上に置いてあるA4のプリント用紙を手に取った。大学の授業の時間割である。

 今日は朝から授業があった。リュックサックの中に、その日に使う分だけ教科書とノートを詰め込む――と、机の上の隅の携帯電話が目に入った。アルバイトが終わってから、充電したままだったそれを手に取り、ぱかりと開く。画面には、メールの着信を知らせるアイコンが点いていた。


「姉さーん。朝ごはんはー?」


 メールの内容を確認していると、八時ちょうどに声が掛った。詩歌は携帯電話をリュックサックの中に放り込むと、自室を出て一階へと降りていく。今日も、いつもと大して変わらぬ、平和で平凡な一日が始まるのだ。

 ところでメールは、やはり『弟』からのものであった。



 詩歌の特定の食べ物に対する執着は、並みならぬものがあった。その日の朝は、たまに家にいる円歌まどかの要望があって、和の装いだった。

 白く瑞々しく粒立ちのよい白飯と、やや薄くカットされた塩鮭。箸休めにきゅうりとかぶの漬物、ねぎと豆腐の味噌汁が、テーブルに並べられた。トーストもサラダもヨーグルトも、ジャムもなかった。

 詩歌は最初、何事もなく、いつもの眠そうな顔でいつもの席に着いた。宏輝もやはりいつも通り、その様を確認してから、姉の前に配膳をする。


「母さんが、朝は和食が良い、て言っていたから」


 一応、念のためにか言う。ただ要望した当の本人は、未だ朝食の場に現れていなかった。

 詩歌はぐるりと食卓を見渡してから「ジャムは?」と訊いた。

 結論から言うと、ジャムは供された。ヨーグルトも付属して。最初こそ大人しく味噌汁を啜っていた詩歌だったが、何か思うところがあったのか、再び宏輝に「ジャムは?」と、今度こそ不機嫌を隠すこともなく言ったのだ。別に頑なに無いと主張する必要はない。実際に冷蔵庫にストックがないのならともかく、詩歌が食べる分が確保されているなら、提供してやって構わない道理である。

 ――ただこの場合、明確な非難を受けるべくは、宏輝でなく、一方的な我が儘を申し立て、あまつさえ、自分から冷蔵庫を窺いもしない詩歌だった。それなのに弟ときたら、ひとつにっこりと笑ってから「しょうがない」の一言で済ませてしまって、所望されたジャムとヨーグルトを持ってくる。

 姉は瓶詰の蓋を開けると、待ち切れぬとばかりに、箸で食べ始めてしまった。スプーンすら使わず、口を付けた箸でである。全くの無表情を継続しながら、詩歌は黙々と執心のジャムを食べ続けた。


「――詩歌はどうしたんだ?」


 やがて遅れて母が姿を見せる。和朝食を前に、箸でジャムを食む娘の姿は、ギョッとするものがあった。奇異の視線を向ける母に対し、「試しに作ったら、気に入ってくれたみたい」と息子はあくまでにこやかに応じる。

 その言葉を受けた母は、もう一度娘と息子の顔色を窺い見ると、恐ろしく気味の悪いものでも目撃したような顔をした。どんな思慮が渦巻いたかは判然としない。が、「どうしたの母さん」と、目の合った詩歌から訊かれると、なんでもない、と短く答えた。

 宏輝は詩歌の横に座った。いつもは対面で向かい合って座るが、今日はそこに円歌がいる。ここ数日朝食を伴にしていなかった宏輝も、一家の団欒の輪に入るらしい。

 自然と母の目の前に居並ぶ形で、ジャムばかりを箸で食べる姉と、何が楽しいのか、上機嫌で満面の笑みを浮かべる弟の姿が、母の目の前にあった。

 二人の顔を交互に見てから、一瞬神妙な面持ちを円歌は見せたが、すぐ後には笑顔を苦しく取り繕って「嬉しそうだな、君ら」と言った。

 お互いに目を合わせた姉弟からは、特に反論は聞かれなかった。



 いつも通り『一輝かずき』に外出前の挨拶をしてから、詩歌は家を出た。その日はやや曇り空である。朝の天気予報では、午後から降水確率が六〇パーセントだと言っていた。折り畳み傘を円歌に持たされて、大学へ向かう――宏輝とほとんど同じタイミングだ。

 この日二人は、朝の同じ時間帯から授業があった。姉弟は『一輝』への挨拶こそ一緒でなかったものの、外出は同じだった。それは、女手ひとつで子育てし、仕事にも気疲れが多いであろう母を気遣ったものか。ここぞとばかりに、姉弟の仲が良好なものとアピールして、家庭内不和という物騒な問題など無い、と訴えているようだ。

 現に、家を出て少しばかり歩いただけで、二人の肩は並ばなくなった。詩歌がやや足早に、大股歩きになれば、身長で劣る宏輝は、どんどんと置いてけぼりになる。彼女らの距離は五メートルから十メートルと開いていき、学び舎に続く坂道の前では、ほとんど赤の他人のような装いとなった。


 いつからだろうか。姉弟のどちらともなく述懐する。

 幼い頃はあんなに分け隔てなく一緒にあった。共に遊び、学び、風呂に入って寝る。勿論、時折喧嘩はしたが、数日の内には仲を取り直し、また一緒に遊んでいた。

 そんな姉弟はいつの頃からか、ほとんど周りの兄弟姉妹がそうであるように、疎遠となっていた。互いに異性であったのは影響として極めて大きい。いい歳をして、思春期を迎えるときには、姉弟は難しい関係となるのがほとんどだ。反抗期などの親族の異性に対する敵意の表れは、一説には、近親交配を嫌う種の防衛本能からくるらしい。

 世間のおよそ大部分がそうなのだから、七五三野しめの姉弟もそうであっただろう。ただでさえ、日本を限らずこの世界のほとんどは、年頃の姉弟兄妹が街中で手を繋いでいると判っただけで、後ろ指を差すのである。

 おそらくは、、、、、常識ある彼ら二人が、そんな痴態を晒すはずがない。だから二人がもし、『いつからか』を述懐したとして、その決定的な時期も事件も、判然としないのは当然だった。

 ――ところで。七五三野姉弟を取り巻く人々の視線が気になるのは判った。生物学的な学説にも、なるほど一定の根拠と説得力があるのもうなずける。では、くだんの詩歌と宏輝とに、こんな質問をしてみたら、なんと返事をするのだろうか。


『お姉さん(弟さん)のこと、嫌いなの?』

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