5-19 青年は巻き込まれた(ウィル視点)

 ウィル・ザザーリスにとって、イトセ・オルゴットという青年はいつ見ても目に触る勘違い野郎だった。無口で、表情が見えなくて、何を考えているか分からない。

 自分からクラスに溶け込もうとしない厄介者で、協調性の欠片も無くて、扱いが難しいクラスメイト。


 そもそもウェストミンスター校に男爵家や子爵家が入学する意味がウィルには分からなかった。


「校長。俺にメンタルケアなんて不要だ。そもそも何のメンタルケアだ? 俺がグレイジョイ先輩を殺しかけたからか? 必要ないと言っている!」


 だって、彼らがウェストミンスター校を卒業した事実がないじゃないか。

 ウィルにとって、男爵家の生徒をいびることは、ある意味で優しさでもあった。

 諦めるなら、早い方がいいだろう?

 

 特にイトセ・オルゴットへの当たりがきつい理由は、まあ、多少は彼に対するやっかみが無いとは言わない。戦技での成績とか、女子生徒からの態度……とか男子生徒には色々あるのだ。


「校長。俺が三手プッシュ男爵家ヴァロンを選んだ理由? ふん、あの男爵家が観測者として優秀だっただけのことだ。それ以上の意味はない」


 だけど、ダン・ウェストミンスターからエマ王女に関連する一連の秘密を聞いた時は、これ以上自分を巻き込まないでくれと校長に泣きついてしまった。


「止めろ! 俺は知りたくない! 王族のいざこざに俺を巻き込むな!」


 ダン・ウェストミンスター。

 ウィルが知る限り、頭の可笑しい奇人だ。

 名門中の名門、ウェストミンスターの一族に生まれながら、責務を果たさず、ウェストミンスター校の校長という当たり障りのないポストに収まった。


 だけど、生徒からしてみればダン・ウェストミンスターが校長なんて勘弁してくれと言うほかない。ダン・ウェストミンスターの突飛な思い付きで身を滅ぼされた貴族が何人いることか。


「俺があのオルゴットに借りがあるだと!? 校長、貴方はどこまで知っているのだッ!」

  

 目の前にいる校長、ダン・ウェストミンスターはウィルがよく知る姿とは違っていた。何が? と言われれば応えづらいのだが、貫禄というか、存在感? 


 校長の前に呼び出されたウィルはすぐに、彼女に圧倒されてしまった。


「……確かに俺はオルゴットに借りがある。だが……それは……」


 話をするうちに、校長の言われるがままにウィルは動かされていた。


「――なんだこれは! 何故、俺がこのような真似を!」


 ウィルはダン・ウェストミンスターに命令され、イトセ・オルゴットとエマ・サティ・ローマンの戦技が行われる聖堂の天井に吊るされたのだ。


 光の届かない天井だ。

 ウィル・ザザーリスは意味が分からなかったし、吊るされた身体はすぐに痛みを訴えた。だが一人ではなかったことが幸運だった。


「よーし、いいぞ。子犬くん。そのまま集中を閉ざすな。いつ、その時が来るか分からねえからな? 俺が合図したら、俺が教えた場所にお前の魔術個性を打ち込めよ。半端な力じゃだめだ。全力だ。これまで経験したことがないぐらい、力を貯めろ」


 ナンバーフォーと名乗る平民の男が一緒だった。


 茶髪の軟派な男が貴族のウィルに向かって妙に馴れ馴れしく話しかけてくるのだ。


「半人前も、ウェストミンスターでこんな友達が出来ていたとはなー。お前、貴族の中でも結構良い家柄だろ? あいつって、ウェストミンスターじゃ底辺だろ? あいつ、昔っから感情が見えないんだよなー。俺も苦手だ」


 意味の分からない言葉を喋り続ける平民の男、ナンバーフォー。

 ウィルはナンバーフォーの言葉を無視することにした。

 というより、言葉を返す余裕が無かった。


「よしよし。いいぞ、子犬くん。おー、ローマン国王のご登場だ。凄い凄い。俺、初めて見るぜ」


 校長の部下らしい平民が戦況を逐一教えてくれるのだ。

 あの黒穴の中で何が起きているのか、ナンバーフォーには見えているらしい。


「子犬くんよー、聞いてくれよ。俺は最初から反対だったんだ。どうしてこんな大仕事にあんな半人前を使うのかってなさー」


 うるさい、黙れ。

 ウィルは視線で己の腕を持つ平民を睨みつける。


 そもそも何故、自分がこんな訳の分からない事態に陥っているのか。もう腕がプルプルと痙攣して震えていた。一時間近くも、天井に吊るされているのだ。


「おー。あれが黒穴か。おっかないなあ。あんな可愛い王女様が恐ろしい力を持ってるなんて信じられないよなー。ウェストミンスター校ってさあ、俺達平民からしれば生徒同士で殺し合っている理解出来ない学校だけどさー」


 エマ王女が黒穴で舞台を包み込み、黒穴の余波が聖堂中に蔓延してからパニックが始まった。歴史あるローマン一族の戦技、招待された有力者たちが逃げ惑っている。


 ウィルは有力者たちを天井から見つめながら、集中力を切らなかった。

 

「わー。まじか、まじか。ユリウス王子、あいつを雇ったのか。はあー、稀代の殺し屋ゾアー・ダーク。本物か? でも閣下の言う通りになったかー、黒穴の中で足手纏いを抱えて戦うには半人前も荷が重いわなー」


 勿論、黒穴の中で何が起きているのかウィルには分からない。

 だけど観測者であるナンバーフォーが全て教えてくれる。隣で吊るされたナンバーフォーはウィルの力が射出される腕の向きを絶えず微修正してくれるのだ。


「子犬くん、そろそろだ。覚悟を決めろよー? お前が失敗すれば半人前、ナンバーエイト。死んじまうからなー?」


 ――黙れ、平民! 

 俺の名前はウィル・ザザーリス! 由緒正しき公爵家! 本来は平民が上から目線で話しかけられるような男ではないのだ!


 という言葉は胸の中へ仕舞っておいてウィルは力を練り続ける。


 こんな目に合ってまで頑張る理由?

 校長からウィルが頑張らなくては、イトセ・オルゴットが死ぬ可能性が高いと言われたからだ。脅されたと言い換えてもいいが、校長からは強制はしないと言われていた。


 頑張る理由?

 イトセ・オルゴットは男爵家だが、残念なことにウィルのクラスメイトなのだ。

 それにウィルはイトセ・オルゴットに借りがあった。大きな借りだ。

 

「今だ、子犬くん」


 ウィルが怒りをぶつまけながら放つ力。


「放て!」


 大事な男爵家クラスメイトを助けるための一撃は――ウィルの人生で至上の一発と断言出来た。




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