5ー11 腹黒王女は恋に落ちている(エマ王女視点)

「どうして! どういうことなの!」


 エマは午前の授業を全て欠席し、自室に戻ってきた。誰も入ってこれないように、部屋の扉に鍵を掛けることを忘れない。

 頭の中が真っ白だった、誰の目にも分かるように動揺していた。


「なんで! 私の相手が、あの人なのよ……!」


 エマは机の上に置かれていた拳大の石を手に取った。

 感情を爆発させるように壁に叩き付けようとして、だけど、何も起きない。

 石は手のひらの中で消えていたからだ。


「……こんなのってないよ」


 エマの小さな手のひらの中で発動した力は彼女が持つ魔術個性ウィッチクラフト

 ローマン王族に宿る黒穴ホウルの力だ。ローマンの一族が国を建国するに至った恐ろしい魔術個性ウィッチクラフト。戦場ではローマン王族に近づく者は身体を消されると噂され、一時期は世界をまたにかける傭兵として有名な時代もあった。今でも諸国で、ローマン王族の力は畏れられている。


「私の力が彼の身体を……」


 今、起きたことと同じことが彼の身体に起きたら。


「……そんなことは絶対に嫌」


 どうやって彼、イトセ・オルゴットとの戦技を回避するのか。

 エマの頭の中はそれだけだった。


戦技ヴァジュラの日程変更を……だめ、お父様の予定は変えられない……」


 ウェストミンスター校ではエマはただの学生だ。

 ウィル・ザザーリスに権力を公使することが出来ても、学校には及ばない。それにウェストミンスター校の校長はあのダン・ウェストミンスターなのだ。ローマン国王でさえも手綱を握れない分からず屋を相手に、エマは自分が何かを出来るとも思えなかった。


「……私の力は」


 魔術個性に目覚めてから、エマを支配していたのは全能感だ。

 ローマン王族として相応しい魔術個性を手に入れて、少しだけ自分の性格が変わったこともエマは理解していた。躊躇わずクラスメイトのウィルにあの男を殺すよう命令したが、彼と出会う前のエマなら決してやらない選択といえるだろう。


「私の力は……」


 でも、エマは自分自身のためにタイウォン・グレイジョイを殺すことを決断したわけじゃなかった。


 エマは自分が腹黒く、見かけ通りの人間ではないことを誰よりも分かっている。


「……あの人には、使えない」


 魔術個性の無いエマは血を分けた家族から蔑ろにされ続け。

 婚約者の一族らにも王族の魔術個性が無いと分かると裏切られ。

 もうこれまでかと諦めた時に救い出してくれた人が、彼なのだ。


 結果として、エマを救い出したのは彼なのだ。彼が助けてくれたのだ。


 だから。

 タイウォン・グレイジョイが自分を始末した後に狙われるのもまた、彼なのだ。


 イトセ・オルゴットは、エマ・サティ・ローマンの味方をしてしまった。

 だけど、彼は気付いていない。

 自分の味方をすることで、どれだけの敵を作ってしまうことか。


「私は……」


 エマは彼を守るためなら、手段は選ばない。


 ウィルへ与えた命令は彼を守るために、今のエマに出来る唯一の選択だった。


「……棄権する」


 暗いカーテンで覆われたエマの人生に、強引に入り込んできた彼。

 どれだけの救いになったか、きっと彼は知らないだろう。


 八番目の邸宅ナンバーエイトで命を捨ててでも彼を守りたかった。彼にはとっても怒られてしまったけれど、後悔は無かった。そして彼のために身を捧げようとしたご褒美と言わんばかりに、エマは力を手に入れた。


 黒穴ホウル魔術個性ウィッチクラフトは、彼を救うための天命であって。


 決して、彼を害すために与えられた力ではない。そう、エマは確信している。


「――エマ様! ウィル・ザザーリスの戦技ヴァジュラが始まります!」


 そのときエマの召使いが、激しく扉を叩く音が聞こえた。

 エマははっとして壁に掛けられた時計を見た。時刻は既にお昼を過ぎ、戦技の開始時刻を告げていた。


「今、考え事をしているの! それに鍵を掛けていたでしょ! 放っておいて!」


 今のエマには、ウィルとタイウォンの戦技すらどうでもよかった。


「駄目です! エマ様は行かなければなりません――ウィル・ザザーリスの三手プッシュに、オルゴット様が指名されています! このタイミングですっ、何か理由があるに違いませんッ!」




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