3-4  同級生のお客様

 学校の敷地内に入ると、綺麗に調和する緑と校舎の煉瓦色が視界一面に飛び込んでくる。


 この学校は王都ローマンにある幾つもの学校の中で最も広い敷地を持っていて、街の者からはウェストミンスターの生徒は力に全てを捧げているとか畏れられているけれど、そんなこともない。


 この学校で学び、暮らしているのは至って普通の年頃の生徒たちだ。


 雷の巫女との話し合いは数時間にも及び、すっかり帰宅が遅くなってしまった。

 暗闇の中で月夜に照らされながら考えるのは、あの子の依頼。 


 ——ハレルドが相手って、運が悪すぎるよなあ。


 ウェストミンスターの代名詞である戦技は、小さな戦争とも呼ばれている。

 勝利するための全てが許されるが、生徒は家の名前を背負っているから無茶なことは出来ない。卑劣さが露呈すれば、家の名前に傷がつくからだ。


 だけどプライドの高い生徒にとって、自分より爵位が下の家の者に負けるのは屈辱で、何が何でもあいつらは勝とうとする。それらを全て圧倒的な力ではね除けているのがハレルドという俺の友人だ。


 ——まあ、やるだけやってみるけどさ。少なくとも、彼女は本気だ。


 ズボンのポケットに手を突っ込むと冷たい感触。それは小瓶だ。中には、飲むと三日は腹を下す下剤が入っている。ユリアンからハレルドに飲ませてとか言われたけど、さすがにそれは出来ないと断った。 


 夜道に中身をドボドボ捨てて、そのまま歩き出す。


「うわ」

 頭の中でハレルド対策を考え込んでいると、誰かとぶつかった。

 誰とも分からない人影が、目の前に。

 流麗な白い髪の毛が照らされて、その人はお風呂上がりなのか少しだけ頬が赤くなっている。


「学校の中じゃ関わらないのではなかったんですか」


 少し嫌みな言葉になってしまった。


「それは……と、時と場合によるから……! 今は夜だし、少しの間なら誰にも姿が見られないわ! ローズに見張って貰っているから……!」


 人影はエマ王女だった。


 本来交わることのない王女様を前にして、最近やたらと縁があるのは幸せなことなのかと思ってしまう。


「エマ王女、聞こうと思っていたことがあります。今日のあれ、何ですか?」

「今日のあれ?」

「授業中、俺に声を掛けたことですよ。今後、一切。ああいうことは止めてください」


 ああいうことをされたら、俺の立場はさらに悪くなる。エマ王女は才女だ、分からない筈が無いだろう。


「ごめんなさい。あれは私の浅慮だったわ。一言、謝りたくて……」

「分かってくれたらいいんですけど。で、これは何ですか?」


 さっきから俺に何かを押しつけているんだ。

 見ると、それは手のひらに収まる大きさの四角い箱が布で覆われている。


「……」


 いやいや、黙り込まれても困るんだけど。

 しょうがなく受け取って、布を紐解くと中から現れたのは弁当箱。

 頭の中にクエスチョンマークが一杯に広がった。


「悩んでる顔、してるように見えたから……」

「俺だって悩むことあるよ。……ありますけど」


 相手がこの国の王女だってことを思い出して、言い直した。


「……わ、私は……あの、応援してるから!」

「応援? 何をですか?」

「首席卒業……するんでしょ……」


 消え入りそうな声で、エマ王女はそう言った。


「え」


 首席卒業は俺の目標で、生きる糧にもなっている。

 どうしてエマ王女が知っているのかと訝しんだけど、そうか。俺、言ってたか。はぁ、言うべきじゃなかった。どれだけ非現実的な目標は自分でも分かってるんだ。


 それにこうして人の口から聞くと、途端に恥ずかしくなった。現実を見ろと、そう言われているみたいで。


「イトセ君と違って私は魔術個性ウィッチクラフトがないから、卒業を目標にしようと思う……それも伝えたかったし……でも、一番は頑張れって言いたかったの……!」


「……」


 今度は俺が黙り込む番だった。


「……」


 声が出なかった。

 ウェストミンスターを卒業する、それだけでも前例が無いぐらい難しい。首席卒業とくれば、俺の事情を知る閣下だって笑い声を上げて無理だと断言する。


「イトセ君…………私は、応援してるから!それだけは知って欲しくて……!」


 そう言って、エマ王女は立ち去ってしまう。途端に小さくなる後ろ姿を呆然と見つめながら、彼女が向かう先を理解した。


「……」


 そういえば、エマ王女もウェストミンスターに復学して今は女子寮住まいなんだよな。 




「これ、どうすればいいんだ」


 放心するぐらいあっという間の出来事で手の中に残るのは小さな弁当箱。すっかり冷えてしまったそれは中身を見る限りエマ王女お手製のものだ。


 あの人、俺がこの時間に帰るってこと知らなかったよな?


 もしかしてずっと待ってたのか?。

 いやいや、まさかな。相手は王女様だ。あ、そうか。俺は王女様が大好き、そんな風にあの人勘違いしているんだっけ。



「……嘘だろ。俺、後悔しているのかよ」


 ありがとうの一言だって言えなかった。


 それにもっと喜んであげたらあの人の喜ぶ顔が見れたかもしれないなんて、そう思う自分がいることも不思議だった。


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