3-2  同級生のお客様

 教壇の上で、ロン毛の先生が念仏のように何かを喋っている。

  

 だめだな。

 一向に授業に身が入らないのは、先ほどのあれのせいだろう。


 俺の隣に座る彼女。 

 クラスの厄介者である俺に声を掛けたお節介な王女様が原因だ。

 

「先生〜! ジナ、今のとこ全然分からな〜い! もう一回優しくお願いしま〜す! ジナのテストの点数が悪くて困るのは先生もなんだからね〜!」


 頭の中から雑念を振り払う。

 先生の声は左の耳から、右の耳へ素通りしていく。今は授業を理解するよりもノートをとる。それだけにしておくか。


 このウェストミンスターでは男爵家なんてはみ出し者以下の底辺。

 子爵家や男爵家出身の生徒は露骨に区別という名前の差別を受ける。


 そもそも二年生に進級するために必要な条件も公爵家、侯爵家、伯爵家、子爵家、男爵家で全く違うのだ。同じテストを受けていても、求められる点数が丸っきり違うのでテストの点数を比べることに意味がない。


 俺やハレルド以外にも一年生の頃は数人男爵家の生徒がいたが、余りに高い壁に絶望して全員退学している。


 この学園は俺のような男爵家出身の貴族が通えるレベルの学園ではないのだ。だから、さっきの男子が言っていた言葉も間違いじゃない。そもそも俺やハレルドが場違いなんだ。

 

「先生〜! パパにも良く言っといてあげるから、次のテストはジナだけ優しくお願い〜!」

「は、はは。ジナさん。君は相変わらずだねえ。先生は2年C組の授業をする時だけ変な汗が流れるよ」


 でも、そんなことは百も承知。

 全て分かった上で俺はウェストミンスターに入学を決意したんだから、心配そうに俺を見つめるエマ王女のお節介は迷惑という他に無かった。



「——エーマ王女! お疲れ様! 私たちと一緒に帰りましょうよ!」


 授業が終われば、誰もがそそくさと帰り支度を開始する。

 中でも最も動きの早い者が俺だろう。

 教室に残っていてもやることはない。面倒な奴らに絡まれるだけだ。


 教科書を鞄の中に詰め込んで、肩に掛ける。


「エマちゃんさあ、優しすぎ! イトセ君は男からメッチャ嫌われてるから、かまわない方がいいよ? 私たちは成績とかどうでもいいから、イトセ君が戦技で抜群の成績取っても気にならないけど。ジナちゃんもそう思うよねー」

 

 依頼を受けていない時は同じ男爵家のハレルドと街に繰り出すこともあるが、今日は店に呼ばれている。

 何でも急な依頼が店に届き、対応出来る者が俺しかいないらしい。


「ねえ。イトセ君は勝ちすぎなんだよねえ〜。別に私たちは良い成績で卒業しようなんて思ってないから負けても何も思わないけど、男子は違うよね〜。それにイトセ君、不愛想だから〜勘違いされやすいっていうか〜」


 後ろからエマ王女は囲む女の子達の声が聞こえた。

 あんな風に王女へ声を掛けられるのは、立場の強い公爵家の女の子達だろう。


「あ、イトセ君、ばいば〜い! また明日ねえ〜!」

「おい、ジナッ! オルゴットに声なんか掛けるな! 何度言ったらお前は分かるんだ!奴は男爵家だぞ!」

「うっざ〜。あんたらの態度ってただの僻みじゃ〜ん。あ、イトセ君! またね!」


 誰にでも優しい天真爛漫なジナ様が、手を振って愛想良く笑いかけてくる。ジナ様は公爵家出身。身分の高いジナ様はさすがだな、このウェストミンスターでも自由気ままに振る舞える。時には先生だって頭が上がらないジナ様は、王女相手であっても態度が変わらないらしい。


「……さようなら、ジナ様」

「わあ〜! イトセ君が反応してくれるなんて久しぶり〜! まったね! あ、エマちゃん! 今みたいにイトセ君が声を返してくれるなんて凄いレアなんだよ〜!」


 まあ、慈悲深い王女様だって暫くすれば理解するだろうさ。

 ウェストミンスターで俺たち男爵家ヴァロンがどのように扱われているか。


 しかしエマ王女も策士だな。さっきのあれを見て、俺とエマ王女が浅からぬ縁を持っているとは誰も思わないだろう。



 いつのもように店の裏口に向かうとアヤが俺を待っていた。俺の姿を見つけると見えない尻尾がぶんぶんと振られているようだった。


「イトセ様、お待ちしていました! 今日は時間通りですね!」

「今日はうるさい同級生の引き留めがなかったからね」

「あ、例のイトセ様のお友達ですか? アヤ、会ってみたいです! 是非、お店に連れてきて下さい、サービスしますから!」

「そのうちにね」


 人懐っこい笑顔を見ていると、ウェストミンスターで荒んだ心が癒やされる。


 アヤの柔らかい黒髪を撫でながら、店の奥へ向かって歩いた。


「アヤ。お客様は新規?」

「ご新規様です! あ、イトセ様! 鞄、お持ちしましょうか?」

「いや、いいよ。それで閣下はいる? 話したいことがあるんだけど」

「店長は最近、お店にも姿を見せていません……」

「そっか。あの人は忙しいからなぁ」


 エマ王女の依頼を達成したことで、俺はナンバーエイトへの挑戦権を手に入れた。


 ウェストミンスター閣下の店で雇われている俺のような訳ありは、序列で立場が区切られている。序列は羽振りの良い依頼の受注に直結し、上位になれば店に届く依頼の取捨選択すら可能だ。


 ウェストミンスターの学費を稼ぐためにも、より羽振りの良い依頼が俺には必要だった。

 2年生に進級するためだけで、男爵家の俺は大金が必要だった。これが3年生進級となれば一体幾ら必要なのか、今から備えておいて損はない。

 


「はぁ!——ど、どうして、オルゴットが来るのよ!? なんで!?」

「……え」


 まずい。気が抜けていた。

 いつだって店の扉を叩く依頼者は真剣だ。


「冗談でしょ! 何でオルゴットが……あ! 私、帰るから!?」


 なのに俺ときたら、身が入っていなかった。


 扉を開けた先にいた少女は下手くそな変装で身分を誤魔化しているが、すぐに分かった。


 ウェストミンスターの同級生、一年の時は同じクラスでもあった元気が取り柄の同級生だ。


「急に用事を思い出したから、貴方は何も見なかったってことにしなさい!」


 そう言って慌てて部屋から出ていこうとしたのはユリアン・トランスポート、ウェストミンスターで最も人数の多い伯爵家コミス出身の女子生徒だった。

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