2-16  一週間の恋人<終>

 端的に言って、意味が分からなかった。

 エマ王女殿下が依頼の報酬を支払うってことで、待ち合わせ場所に向かった結果がこのざまだ。


 まじまじとエマ王女を見つめる。

 王女は俺と目が合うと、頬を赤くして目を伏せた。


 な、何だ今の表情。

 けれど今の顔は、これまでにも何度も経験がある。

 自分でも言うのもおこがましいけど――今のは恋に落ちた顔だった。

 嘘だろ、冗談だ。だって、この子は王女だ。

 そりゃあウェストミンスター閣下からの依頼に応じて、それっぽい劇的な演出を加えてみたけれど。


「私……王女だから……勿論、イトセさんが私のことを好きになる気持ちは分かるわ……! ……自分が美形なのは……私が一番分かってるから……! だって、私の婚約の件は関係者でも一部しか知らない極秘だった。貴方がミモザの従業員に化けていたのだって、それだけの情報を掴むのは並大抵のことじゃないわ!」


「……」


「私は魔術個性ウィッチクラフトが無い王女だけど、それでも男爵家ヴァロンの貴方が私を狙おうなんて……見かけによらずとっても大胆なのね……」


 馴染みにしている店の奥で。

 清涼な庭を楽しめる個室で、エマ王女はよく分からないことを言い出した。


「私のことをそんな目で見つめても駄目だから! 私がウェストミンスターに登校しなくなった理由は、確かに魔術個性ウィッチクラフトが無い、それも大きな理由だけど……それだけじゃまいわ。他にも幾つかあって、イトセさんにも教えたでしょ? たった数日登校しただけで十人近くに告白されて……」


 言葉は止まる気配が無い。

 エマ王女は自分がどれだけ恥ずかしい言葉を喋っているのか分かっているのか。


 王女、それは貴方の勘違いです。


「その辺の女の子は、その目で落ちるのかもしれないけど……私は……違うから!」 


 おい――俺がどんな目で見ているっていうんだ!

 ただ俺は、動揺しているだけですよ。  


「イトセさん。貴方のこと、調べたわ……男爵家なのに……学園の中でも隠れた人気者……貴方の家よりも遥かに高い地位の女の子だって貴方のことを狙ってる……だけど、貴方は色恋なんて興味なしって態度……影では白い死神スノーホワイトなんて呼ばれて……」


「……」


男爵家ヴァロンがウェストミンスターに入学しようってだけでも大したものなのに、二年生に進級出来る男爵家ヴァロンの生徒なんて10年に一人とか二人……」


 最初は取るに足らない依頼だと思った。

 結果として、依頼人の王女様に俺の二つ目の魔術個性ウィッチクラフトがばれてしまったことは痛手だけど、その程度で済んだことは運がよかったとも言える。


「で、でも……イトセさんにはお世話になったし……私もその……イトセさんのことは悪くはないとは思ってる……私の目から見てもかっこいいと思うし……」


 学園では高嶺の花扱いされているエマ王女殿下が白頬を染めていた。

 彼女は目を潤ませて、俺を見ている。


「けど……けど! それでもやっぱり私たちは立場が違って……! あ、別にイトセさんの身分が低いとかそういうことじゃなくて……!」


 彼女は顔を真っ赤にしながら、俺をちらちら見ていて。

 ああ、やっぱり勘違いしているよ。


 机の上に置かれている紙。

 そこに俺がエマ王女を好きな理由と書かれていて、誰かの考察がびっちりと隙間なく記載されている。


 紙の右下に流暢な文字で、仮面のペルソナお嬢様の文字。

 もしや空想の物語が大好きなあの子の仕業か。


「……でも……イトセさんがどうしても……私のことを諦められないっていうなら……私もその……やり方は……色々あると……思うっていうか……協力出来ることはあるかもしれないと思うから! イトセさんの魔術個性ウィッチクラフトははっきり言って凄いわ……! 貴方が望むなら、私の――!」


「エマ王女殿下」


「な、なに!?」


 そのワクワクした目。

 少しだけ罪悪感を感じてしまうが、この際はっきり伝えた方が良いだろう。


 確かに俺はエマ王女が俺に惚れられるよう、ミモザの従業員に変装したり、彼女を救い出すヒーローみたいな演出を加えてみた。

 けれど、エマ王女はただの貴族じゃない。

 手の届かない煌めく星のような存在なんだ。


「勘違いしているようなので、はっきり言います」



 今回、俺とエマ王女の人生が交差したのは、流れ星みたいな偶然であって。



「俺、貴方のことをそういう目で見ていません」


 すると、エマ王女は一瞬、ぽかんとして、頬を染める。

 うーん。これ絶対、伝わってないな。だからもう一度、言おう。


「俺、貴方のことをそういう目で見ていません」


「……え? ……ん、んん。ごほん。も、もう一度、言ってくれるかしら」


 いつものように冷静で落ち着いた表情のエマ王女。


 学園では棘を持つ、小さなお姫姫プリンチペッサと呼ばれる所以となった顔になり、俺にもう一度、同じ言葉を繰り返すように命令した。だから俺は言いつけ通りに。


「だから俺、貴方のことをそういう目で見ていないんですけど」


 すると、エマ王女殿下はわなわなと震えだして。


「そう……そうよね……分かってる、分かってるわ。貴方の立場なら、そう言うしかないもんね……ええ、よく分かるわ……」


 その後、俺がどれだけ否定してもエマ王女は彼女の持論を曲げることはなかった。



 彼女の中では、もう俺のイメージががちがちに固まっているようだった。


 イトセ・オルゴットはエマ王女のことが大好きだな男爵家ヴァロンの男の子ってことだ。


「イトセさんがウェストミンスターで頑張っているのなら、私も頑張るわ! 別に魔術個性ウィッチクラフトが無くなって、ウェストミンスターを卒業した生徒は大勢いるわけだし……」


 しかし、イトセ・オルゴットはエマ王女との大きな身分の差を引け目に感じて、自ら身を引こうとしている。慈悲深いエマ王女は、そんな俺の健気な姿に堪らなくなってしまったらしい。


 さらにエマ王女の心を打ったのは、ウェストミンスター校でイトセ・オルゴットが他の生徒から苛められ続ていることだ。


「イトセさん。貴方が学校で辛い立場にあるってこと、私もよく知ってるの! し、調べたからっ!」


 優しいエマ王女は、健気な俺を守るために、大きな決断をしたらしい。


 つまり。

 エマ・サティ・ローマンが、ウェストミンスターへ復学する決心をしたことだ。

 それは、このローマン国中の国民が沸き立つビックニュースに他ならない。


「あ、だけど! ウェストミンスターで私たちの関係は、秘密にしましょ! ほ、ほら……私は王女だし……私と仲良くしているってことがばれたら、イトセさんも立場的に辛くなるでしょ……?」


 こうして、魔術個性ウィッチクラフトを持たないローマン国の第二王女エマ・サティ・ローマン。

 ローマンの民に愛されし可愛らしい王女様は、ウェストミンスター校に復学することを高らかに宣言した。


 俺はもう何も言えずに、暴走する王女を見つめていた。


 脳裏に浮かぶ感情はたった一つ。


「ふふ、明日からよろしくね。出来るだけ貴方と同じ授業に出るよう、調整するわ!」


「……」


 どうやら俺は、やりすぎてしまったようだ。





ーーーーーーーーーーーー

「3-1 同級生のお客様」に続く。

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