2-15
俺が生まれ育ったローマンという国は、世界の中でもとりわけ巨大な大国だ。
強大な軍事力を持ち、南の覇者として知られている。ローマンに喧嘩を売るのは自殺行為と他国に恐れられている程の強い影響力を持っており、ローマンが強力で在り続ける理由の一つが若手貴族の教育にある。
俺が在学しているウェストミンスター校。
力の向上を目的に設立され、殺し合いを是とする風習が未だに残っているのは大陸広しと言えども、ローマンぐらいのものだ。
「誰か、事情を知ってる奴はいないのか? あのグレイジョイ侯爵が病に倒れたんだとよ!」
「その話は止めよけよ。3年生のグレイジョイ先輩、ずっと無欠席だったのに今休んでいるんだぞ」
教室野中で男子生徒が数人固まって、話し合っている。
だけど、俺は聞き耳を立てる気も無かった。
朝から夕方までびっしりと詰め込まれた授業中、俺は隅っこの席で大人しくしていることが多い。
窓の外に見えるウェストミンスターの整えられた敷地を見たり、本を読んだり、授業の復習をしたり。
ウェストミンスターに在学している貴族生徒は、大体幼少期から専門の家庭教室から勉強を教わっていて、彼らについていくことがまず大変なんだよ。
俺はウェストミンスターでは人畜無害の筈なのに、一日が平穏に終わることはまず、無いのだ。
「オルゴット、今日も俺の代わりに職員室にみんなの資料、届けておいてくれよ!」
まーた、始まった。
「……」
「おい、聞いているのか、
このように絡んでくる男子生徒が多すぎるからだ。
ウェストミンスター校に在籍している男子生徒の大半は、嫌な奴らだ。
誰もが自分が世界を動かしているみたいな顔をして、ふんぞりかえっている。実際に将来はこのローマンで偉い立場になる者ばかりだけど、性格が悪すぎる。
こんな奴らが国を動かしていくなんて、世も末だな。
「ペパー。オルゴットにちょっかい出したら、女子から嫌われるぞ。そいつ、女子からの評価だけはいいからな」
「ふ、ふん! 生意気な女子からの評価なんて気にするのものか! ほら! オルゴット、持って行けよ!」
ウェストミンスターは力こそ正義! って学風だ。
ここを学び舎に選んだ貴族は自信家が多い。何でもかんでも1番になりたがるから、ウェストミンスターで最も地位の低い
「な、何だよその目!」
「別に」
「僕とやるっていうのか、決闘ならいつでも受けて立つぞ!」
戦技の授業で成績が良いのは、俺以外にも
けれどこうやって俺に絡む男子生徒が多い一番の理由は、何故かこのウェストミンスターで俺が女子生徒からモテてしまっていることだ。
「お、オルゴット! 無表情の陰気野郎! 女子に人気があるからって調子に乗るなよ!」
うるせえ、デブ。まずはダイエットしろよ。
とは口に出さず、俺はデブから資料を受け取ると教室を後にしたのであった。
「あ、イトセ君、私も運ぶの一緒に手伝ってあげよっかー?」
「大丈夫です」
「もう、遠慮しがちなんだから!」
「大丈夫です」
「馬鹿に苛められたら、私たちに言うんだよ?」
「それも、大丈夫です」
職員室に向かいながら、話しかけてくる女子生徒を交わしていく。
彼女達も気づいているだろう。
俺が話しかけるたび、すれ違う男子生徒から殺意を向けられていることに。
本当にこのウェストミンスターには陰湿な奴が多いよ。
「二年生。イトセ・オルゴット、入ります」
さて、あの大事件、エマ王女誘拐騒動が表沙汰になることは無かった。
全ては闇に葬られたのだ。
そして、もう一つ。あの日からエマ王女は学園に登校することが無くなった。同時にグレイジョイ侯爵の息子であり、エマ王女とこっそり婚約の話が進んでいた3年生のグレイジョイ先輩も登校しなくなったらしい。
裏で何が起きているのか、詳しい話は何も知らないけれど、閣下が暗躍しているんだろう。
「レヴァン先生。2年C組の宿題を持ってきました。ここに置いておきますけど、いいですか」
職員室の中で煙草をふかしていた長髪のおっさん。
良い感じにダンディな先生の机に資料を置く。おっさんは椅子に座りながら、俺を見上げた。
「悪いなオルゴット。ん? 今日は学級委員の仕事、お前だったか?」
「いつものことなので」
「
「誰よりも分かってますよ、レヴァン先生。じゃあ、俺はこれで」
「おう……そうだ、オルゴット。今夜、一杯付き合えよ。悩める学生の話を聞いてやるのも先生の仕事だ」
「すみません、今日は用事があるんです」
嘘じゃない。本当に用事があるのだ。
今日は誘拐事件から一週間余り、エマ王女との再びの顔合わせの日。
依頼完了時、俺に支払われる金額は僅かなものだったが、誘拐事件も踏まえ追加の報酬が直接エマ王女から与えられるらしい。
理由は分からないが、エマ王女は俺と会って、直接報酬を渡すことを要望しているらしい。
あんな事件があったんだ。俺の顔を見ると、事件を思い出してしまう可能性もあるだろうに。
「モテる男はさすがだな、オルゴット」
「違います。俺がモテているなんて考えるのは、頭の悪い馬鹿だけですよ。先生はあいつらとは違うでしょう?」
そう言うと、職員室の中でも一際ガラの悪いレヴァン先生は腹を抱えて笑った。
「くくく、そうだな! あいつら女子も分かっててお前にすり寄ってやがる! 本当にこのウェストミンスターは――腐った卵ばかりだよ!」
放課後。
人目を忍んでウェストミンスター閣下が運営する店へ向かい、エマ王女が待っている部屋の前に立った。
この先にエマ王女が待っている。
そう考えると、少しだけ緊張。
誘拐されかけた彼女の心の傷、それは大きいに違いないのだ。
「……入ります」
ローマンの王女様で人気者。
エマ王女がウェストミンスター校に来なくなって、嘆き悲しんでいた生徒がどれだけいたか。
あの事件が切っ掛けでエマ王女はウェストミンスターに登校するのも止めてしまった。
彼女は椅子に座って、顔を下げていた。
白銀の長い髪が顔を覆い隠して、表情は窺い知れない。机の上には、数枚のコインが置かれていた。元々の報酬よりも二つはグレードアップした金貨。他にも白い紙が置かれている。
「……」
そこにはイトセ・オルゴットが私のことを好きな10の理由。
そう赤文字で、でかでかと書かれている。
理解不能だったが、見なかったことにした。
「……」
未だ沈黙を続けるエマ王女に何て声を掛けるべきか。
元気でした? これは違うか。よくよく考えてみると、彼女は王女様だ。ウェストミンスターで底辺貴族をやっている俺が対等に話せる相手ではない。
ここはやっぱり、彼女からの言葉を待つべきだろう。
「……」
数分の間、重苦しい沈黙が流れた。
俺は突っ立ったまま、椅子に座ることも出来ず、王女様からの言葉を待ち続ける。
長い。この沈黙はなんだよ。早くしてくれ。
俺の思いが通じたのか、ようやくその時がくる。彼女は顔を上げて、俺を見た。
「ごめんなさい、イトセさん……」
いたいけな表情で、もしかしたらエマ王女はあれからずっと泣いていたのかもしれない。
目の下には涙の跡か、赤く腫れている。
だけど何を謝ることがあるだろう。彼女は被害者なのだ。
エマ・サティ・ローマンは机の上に置かれてあった紙を指さすと。
「貴方の気持ちには、私、答えられません……!」
「……」
えーと。うん。
この王女殿下は、何を言っているんだ?
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