2-14 一週間の恋人

「……グレイジョイ侯爵! あの野郎、どこが完璧な計画だ! 戦闘屋の邪魔が入るなんて聞いてねえぞ!」


 何が一週間の恋人役だ。最初からエマ王女は婚約をぶち壊してって言えばよかったんだ。


 だって涙が止まらないぐらい、嫌だったんだろう。


 自分が泣いていることに気付かないぐらい、彼女は打ちのめされていた。俺がじっと馬車の中で観察していても、エマ王女は俺の視線すら気付いている様子はなかった。どこが鉄の王女様だ、俺からすれば強がりの王女様だよ。


「俺達はただの運び屋で、王女を連れていくだけの簡単な仕事だった筈だ。戦闘屋、こういう相手あんたの出番だろ! 運び屋の俺たちが何であいつを相手にしないといけないんだ!」


 魔術個性ウィッチクラフトを持たない王女様。


 物分かりが良くて、これまでは完璧に王女を演じてきた。家族に言われるがままに生きてきたんだろう。王族でありながら、魔術個性ウィッチクラフトを持たないってのはぶっちゃけ致命的だ。さぞや肩身の狭い思いをしていたんだろう。


 魔術個性ウィッチクラフト以外の力を求めてウェストミンスター校に入学したのだろうけど、その選択がさらに彼女を打ちのめした。わざわざウェストミンスター校に入学しようなんて貴族は才能の塊ばかり。強力な魔術個性ウィッチクラフトを持つ同級生を見て、エマ王女は強烈な劣等感を感じたに違いない。


「あんた! 俺たちよりも高い金を貰ってるんだろ、働けよ!」


「うっさいわぼけ。ほら、あいつの魔術個性ウィッチクラフトを見極めるために働けや」


 既に街を出て数時間が経っていた。


 見晴らしの悪い丸いごつごつした岩場の影で、横転した馬車を立て直そうとしていた運び屋連中の顔が真っ青に染まっている。


 金に目が眩んだのだろうが、グレイジョイの口先に乗るなんてバカな奴らだ。誘拐が成功しても、グレイジョイの部下に静粛されるだけだってのに。


「ゆ、許してくれ! 運ぶのが王女だったなんて、俺たちも知ったのはついさっきのことなんだ!」


 一人、また一人。

 戦闘屋に遠く及ばない運び屋の意識を刈り取っていく。武器を持って襲い掛かってくるけど、何の戦闘訓練も受けてない平民相手なんて、ウェストミンスターの生徒でも簡単に制圧出来るさ。



「おし。あいつは視力強化の魔術個性ウィッチクラフトやな」


 だけど、やっぱりいるよな強い奴。

 そいつはずっと運び屋の連中をけしかけて、岩場にもたれかかり、俺の戦い方を観察していた。


 グレイジョイが雇った戦闘屋だ。

 ロックミュージシャンみたいな長い黒髪をがしがしとかいて、近付いてくる。


 胡散臭い目で俺と、俺の足元で伸びている運び屋連中を一瞥すると。


「王女相手にしとるんや。誰かしらは出てくると思っとったが、お前誰やねん。王女の親衛隊でも、ローマンが雇っとる戦闘屋でもねえ。王女が独自で護衛を雇っとるなんて話もきかんしな。イワン右腕装甲ライトアーム


 戦闘屋とは戦闘向きの魔術個性を持ち、鍛えあげた者たちを指す。


 奴はグレイジョイが金にものを言わせて集めた戦闘屋だってことは一目瞭然だ。


 あいつの右腕に地面から固い土が付着し、膨れ上がる。どうやら壊すことに特化した戦闘屋っぽいな。


 エマ王女も馬車の中から見ていることだし、余り手荒な真似はしたくない。あの戦闘屋が賢明な男だと助かるんだけどな。


「なんや、これ?」


 そして、俺の思惑通りグレイジョイの戦闘屋が不意に立ち止まる。


  ●


 男は戦闘屋だ。

 大金でグレイジョイ侯爵に雇われ続け、戦闘屋として悪事の一環を担い続けた。


 信頼されているからこそ、グレイジョイの息子の婚約者となったエマ・サティ・ローマン誘拐なんて大きな仕事を任された。


 しかし、これはどうしたことか。

 男は唐突に立ち止まった。


「……まじかい。冗談やろ、これ」


 簡単な仕事だと考えていた。

 全ての馬車が横転し、その青年がエマ王女が押し込まれた馬車の中から出てくるまでは。


 色素の薄い白髪の無表情な男。ひょろりとし無気力に見えたが、外見だけで推し量れぬ何かがあった。少なくとも、立ち振る舞いから荒事には慣れているようだ。


 男は戦闘屋となるべく育てられ、強力な魔術個性ウィッチクラフトを持つ敵との戦いは慣れたもの。


 されど、一歩も動けない。動けないのだ。動けばどうなるか、男は理解してしまった。


「……魔法の糸、噂だけは聞いたことがあったが、鍛えればこまでの強度を持つんかい」


 歩みを止めた理由は、それが見えたからだ。

 男の身体周りを縛るかのように、微かに光る線が走っている。


 それは糸のように細い線だ。男が右腕を突き出すと、土で再構成された男の右腕に難なく食い込んだ。鈍い痛みに男は顔をしかめる。


 それ以上一歩でも動けば、その瞬間、男は地獄の痛みを感じるだろう。


 男はもう笑うしかなかった。


「視力強化に魔法の糸。お前、天に愛された二重個性ダブルクラフトかい」


 恐ろしい強度の魔法の糸。

 戦闘屋だからこそ、その恐ろしさが分かる。魔法の糸は本来ここまでの強度を持つものではないのだ。


 魔力の系は便利な力だ。強度は術者の力量に比例し、熟練の実力者は刃のように切れ味よく、殺傷力を高めることも可能だが、これは尋常ではない。


 白髪の青年は、変わらずにこちらの様子を待っている。 


「ええで……エマ・サティ・ローマンは持って行けや」


 緊張に汗をかきながら、戦闘屋は戦うことすら諦めた。



 そして望み通りの答えだったのだろう。

 白髪の青年は仲間を連れて去れとだけ小さく呟くと、再び王女を待つ馬車の中に戻っていった。



「……虎の尻尾を踏んだっぽいな、グレイジョイ。あれには勝てねえわ」


 青年の後ろ姿が、男には白い死神のようにさえ思えたのだ。

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