2-9
ミモザにご飯を食べに行こうなんて発想は、絶対に平民の間で出てこない。
別にミモザという飲食店が王族や貴族だけを相手に商売をしているわけじゃなく、単純に料金がバカ高いからだ。
「ドッキドキ……」
優雅な曲線を描く薔薇で出来たアーチを通ると、お店の姿が見えてきた。
道の両脇には四季折々の花が楽しめる庭園が広がって、帰りに庭園をゆっくりと鑑賞することも出来る。夜になれば花びら一枚一枚が薄く、光り輝くように細工がされていて、アヤは目を輝かせてそれを見た。
「お伽話の中の世界みたい……ねえ、イトセ様もそう思いませんか!?」
ミモザには特別なドレスコードが必須なんてルールはない。それでもミモザを訪れる客はパーティドレスのように着飾るものだ。
今のアヤはどこか良い所のご令嬢みたいにしか見えない。
「アヤ。遊びで来ているわけじゃないんよ」
「……イトセ様。冷静です。ちょっとぐらいいいじゃないですか! もう! はしゃいでいるアヤが恥ずかしくなってきます! 分かりましたよーだ!」
そう言ってアヤは口を尖らせる。
この国では珍しい黒髪黒目の姿、いつだって俺を懐かしい気持ちにさせるんだ。
「オルゴット様が予約されたお部屋は、天竜の間でございます」
建物の中は迷路のように曲がりくねっていて、何度角を曲がったか分からない。
「イトセ様……あの人たち……物騒なものを持ってます……」
不安がるアヤの頭にぽんと手を置いて安心させる。
「大丈夫だよ、アヤ。俺たちは客だ。あいつらが襲ってくることはない」
「うう。それにしたって怖すぎです……」
「それは否定しないけどね」
建物の中には怖面の用心棒がうろついていた。
彼らが守っているのは店内の治安だ。
ミモザの経営者が定めた経営方針、店内へ争いを持ち込むのは御法度。
「お嬢様、部屋の中を除くのはマナー違反です。私の背中だけを見ていてください」
アヤがきょろきょろして、開けっ放しにされた部屋の中を覗こうとすると先導していた従業員に注意される。
「ご、ごめんなさい!」
「ふふ。では、行きましょう」
従業員たちや用心棒も、俺とアヤのような若い二人組が珍しいのか、ちらちら見られている。
「イトセ様、ちゃんと手を握っててください……アヤはこんな場所、慣れてないんですから……ひい……見られてます……」
「分かった、分かった」
この屋敷は国も手出し出来ない不干渉地帯。
密談をするのは持ってこいの場所としてここが有名になったのは、俺も少しだけ関わったあのダークゲート事件からか。
「アヤ、もう少しだよ。部屋に到着したらすぐ、ミモザの名前に相応しい美味しい食事が出てくるから」
そして、この屋敷の中。
俺たちとは別の場所でエマ王女と婚約者のお食事会が行われるのだ。
「わあ! イトセ様! 何ですか! 奥の部屋にはベッドまでありますよ!」
部屋に案内されると、アヤは顔を赤らめて店内を何度も何度も見渡した。
「イトセ様、これ見てください! ル・ドトールの絵画っ! 王立博物館で飾られているの、見たことありますっ!」
「アヤは博識だなあ。俺にはのたくった蛇にしか見えないけど」
アヤはウェストミンスター閣下に拾われた孤児だ。閣下は世界を放浪して、才能溢れる子供を拾ってはあの店に預け、成長を見守っている。
「へ、蛇って! イトセ様、芸術を見る目が無さすぎです! わ! あっちの掛け軸は、バリュー公爵の書ですよ! 旅行好きのバリュー公爵が、各地で心動いた時の気持ちを書にしたためた逸品で――あれも王立博物館に――」
ウェストミンスター閣下から初めてアヤを紹介された時は、アヤには感情なんてものが備わっているようには無かった。
アヤは特別な
だから、今の年相応の姿を見ていると安心する。
「わっ、ご、ごほん。イトセ様、淑女のはしゃいでる姿をそんな冷静に見つめるなんて、よくないと思います! イトセ様はびっくりしないんですか!?」
「なんていうか俺は初めてじゃないからさ」
ウェストミンスター校に入学が決まった時、閣下に連れてこられたからな。
俺があの店で働く条件が、ウェストミンスター校に入学すること。
閣下としては俺に危険なことをさせたくないから、ウェストミンスター校への入学という難しい条件をつけたようだけど、逆だ。
俺は持っている力を全部使い果たして、入学試験を突破した。
そして今は閣下の手先として、あの店で働き、
「ええ! イトセ様、初めてじゃないんですか!? 誰に連れてきてもらったんですか!? あ、分かった。イトセ様に熱を上げている、マダム達ですね!」
ウェストミンスター閣下から直接渡された初指令、絶対に失敗するわけにはいかなかった。
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