2-7 暗躍開始のナンバーナイン

 男子生徒が一人、テーブル超しの目の前に座るエマ王女へ勉強を教えているけど、どう見てもエマ王女の方が頭が良いだろ。エマ王女の学識の高さはウェストミンスター校でも有名だ。何しろ二年生で一番。掲示板に張り出されていたから知っている。


「エマ王女! こっちの数字と、ここは比例関係になっていて……この数字を、式の上に持ってくれば……」


「ワトソン! 学年で最下位に近いお前が勉強を教えるなんてどんな冗談だよ。それにお前のノートが読みづらいから、王女が困っているだろ!」


 彼らが座っている細長のテーブル上には空になった水差しが置かれている。


 本来は水差しが空になったら給仕が水を補給しないといけないんだけど、あそこのグループの中にはエマ王女達がいる。

 粗相があったら大変と、他の給仕たちは遠慮していた。このウェストミンスターは他の学校と比べても特に爵位の高い貴族が入学している。けれど、王女はさらに特別だ。さて、あれを利用しようか。

 

「ああ……成程。そういう考え方なのですね。ありがとうございます、ワトソン様」


「ほらみろ! 僕だってエマ王女に勉強を教えることぐらいできるんだ!君たち、邪魔をしないでくれ!」


 歩きながら、ゆっくり手先から風の糸を伸ばす。


 それは俺にしか見えない魔術個性ウィッチクラフト


「ワトソン! お前がでたらめをエマ王女に伝えたら大変だからな!」


「くっ、うるさいな。男の嫉妬は見苦しいぞ!」


 この世界では誰だって、一つは魔術個性ウィッチクラフトを持って生まれてくる。

 俺の魔術個性ウィッチクラフトは視力の強化だけじゃない。とても珍しことに、生まれながらにして三つの魔術個性ウィッチクラフトが備わっていた。

 視力強化に続いて二つ目の力がこの力だ。分類でいえば風の魔術に分類される。


「おい、給仕! 何をボサとしているんだ。水差しが空になっているぞ! 早く持ってこないか!」


「は、はい! ただいま!」


「ったく。気が利かないなあ、あ。エマ王女、そこはですね!」


 ――見えない風の糸を作り出して、ちょうど彼らの後ろを通り過ぎる瞬間。

 今だ。

 男子生徒がエマ王女に勉強を教えるために、さらに身を乗り出した一瞬。身体が給仕の女の子が持ってきた水差しにぶつかりそうになる。絶好のタイミング。

 身体を乗り出してエマ王女に勉強を教えている少年の背中を、何重にも束ねた糸で横に押した。押した瞬間、魔術を解く。


「う、うわっ! うわぁー!!」


 前のめりになった生徒が並々と入った水差しとぶつかった。水差しはテーブルの上に落ちて、中の水が溢れ出す。ちょうど彼の目の前に座っていたエマ王女へと。


「……」


 ぽつぽつと床に水たまりが出来て、エマ王女は腰から下がずぶ濡れに。

 やらかした生徒が青ざめていく。


「ワトソン! お前はいつも、どんくさいな!」


 ここぞとばかりに、同席していた生徒らが非難をはじめた。


「わ、わざとじゃない! 見れば、分かるだろう! 誰かに押されたんだ! き、君だろう。さっきから僕の邪魔していたから!」


「みっともないぞ、ワトソン。今のはお前が悪い。勉強を教えるなんて慣れないことをするからだ」


 その間にもエマ王女のスカートに染みが、広がっていく。


「おい給仕! エマ王女のスカートを拭くものを持ってこい!」


 どうすればいいのか、給仕らは一様に固まっている。

 特に自分が持ってきた水差しで、エマ王女を汚してしまった彼女は泣きそうだ。


「大丈夫。俺が対応するから。君は中へ下がっていて」

「イ、イトセ様! ごめんなさい……お願いします……私にはとても王女様の対応をするなんて……」

「大丈夫、俺に任せて」


 一年生の頃から給仕で小遣い稼ぎをしていたから給仕たちとは顔馴染みだ。それに、たまにやらかす給仕と生徒の間の仲裁役もこなしていた。

 ていうか、今のは俺のせいだからなあ。


「……オルゴット。お前か」


 俺の姿をみて、数人の男子生徒が目を細める。

 中には一年生の頃、俺が戦技の授業で叩きのめした奴もいる。


「え、エマ王女、はぁ、はぁ。いま、拭きますから」

「おい、ワトソン! 目が血走ってるぞ! エマ王女に触れるな!」


 今にも、テーブル上に置いてあったフキンでエマ王女のスカートを拭こうとしていた生徒の手を掴んで、止める。


「何をする! 離せ!」


 キッと俺を睨みつける男子生徒。

 

「何の真似だ、オルゴット」

「拭けば、より広がります。エマ王女、すぐに着替えたほうがよろしいかと」

「そ、そうね……私もそう思っていたわ。貴方、着替えを私の部屋に持ってきてくれないかしら」

「分かりました。替えの制服は、後で殿下の部屋へ届けさせるように致します」


 エマ王女も、俺の意図をちゃんと理解したようだ。


「皆さん……私は着替えてきますのでまた後で……あ、そこの給仕の貴方は着替えをすぐに洗濯に出したいから付いてきてくれないかしら?」


 水を得た魚のように、エマ王女は小走りで食堂を後にする。

 俺はエマ王女の後を付いていき、後ろからは、彼らを嘲るような声が聞こえた。


「ちょっと、男子ー! エマ王女に何やってんの!? イトセ君のほうが、よっぽどスマートじゃない。ちょっとはさあ、あんた達も見習えばぁ?」




 そして俺は、エマ王女の部屋に向かう途中で苦言を受けた。


 昨日に続いてちょっと助け方が直接的すぎる、とのことだ。

 自分があの店を通じて依頼を持ちかけたことは誰にもバレたくないから、出来ればもっと間接的に助けて欲しいらしい。


 ……鉄のアイロン王女様、結構めんどくさい。エマ王女の中にある、理想の恋人像は一体全体どうやって作られたんだろうか。


 だけど、全ては俺の序列を上げるため。これぐらい我慢、我慢。


 男爵家ヴァロンで特別な後ろ盾もない俺が、このウェストミンスター校を卒業するには並大抵の努力では不可能。

 ウェストミンスター閣下からは、少なくとも在学中にあの店で序列3位ぐらいまで上がっていないと卒業は難しいと言われている。

 だけど俺の目標はただ卒業するだけじゃない。もっと高い所にあるんだ。 

 これぐらいで立ち止まってはいられない。



 その日の夜、俺の部屋でハレルドと今日の授業の復習をした。


「イトセー!まさか、お前があんな雑魚に勝ちを譲ってやるなんてなぁ!お陰で俺まで勉強地獄だ!」


「別に付き合ってくれなくていいぞ、ハレルド」


 戦技の授業で負けた分、夏の前に行われるテストでは、かなりの高得点を取らないといけない。別に付き合ってくれなくていいと言ったのに、ハレルドは俺もいつか負けるかもしれないから、と深夜まで付き合ってくれた。


 良い奴かよ、ハレルド。だけど、お前が俺の部屋にいる限り、夜の偵察にいけないだろ。




 ハレルドも部屋に帰った深夜遅く。

 コンコンと窓を叩く音がして、飛び起きる。


「イトセ様、イトセ様。起きていますか」


 音の主は今日俺が助けた給仕の女の子。彼女にはウェストミンスター閣下からエマ王女を口説けって依頼を受けてすぐ、ある仕事を頼んでいた。忍者みたいな黒づくめの格好をしているのは彼女の趣味らしい。


「イトセ様。エマ王女殿下の情報、購入完了です。やっぱり王族相手でしたから、普段よりお金が掛かっちゃいました。王族相手の情報って、玉石混合。質の良いものは、どうしても高くなっちゃうんですよね」


 情報屋の顔を持つ給仕の女の子。装束に合わせて人格が変わるのだという。彼女に頼んだ仕事は、エマ王女に纏わる表に出ることのない情報の購入である。彼女に気に入られている俺は、通常より格安価格で情報を手に入れることが出来る。


「結論から言いますけどエマ王女、現在進行形で誘拐屋に狙われてます。恐らく明日か明後日には誘拐されて、国外に売り飛ばされるかと」


「……え?」


 余りの急展開に固まる俺がいた。


「ゆ、誘拐? 俺の聞き間違いか……?」

「聞き間違いじゃありませんよ、イトセ様。エマ王女、どうやら当たり前に誰もが持つ力を持っていないようなんです。えっと、イトセ様。詳しい話、聞きます? まぁ、聞きますよね。何だかんだ言ってイトセ様。お優しいですから!」


 あのウェストミンスター閣下直接の依頼なんだ。

 ただ事じゃないと思ったけど、そうくるか。天下のエマ王女誘拐を目論むなんて、どこのどいつだ。


「……教えてくれ。追加料金はきっちり払うよ」



 そして、俺はエマ王女がどうして一週間の恋人役を俺に依頼してきたのか。

 その理由をようやく理解したのだ。


序列一桁ナンバーナインになると依頼の質が変わるって聞いたことがある」


「いえ、イトセ様。難易度的には序列九位ナンバーナインがやる仕事ではないです。もっと上の方々が対応する仕事ですが、それだけウェストミンスター様に信頼されているということでしょう」


 情報屋は去り際に、そう言い残して暗闇に消えていった。

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