2-4 イトセ・オルゴットの正体

 エマ王女の人気は凄まじいなんてものじゃない。


 まるでハチミツと群がる虫だ。王女の登校期間はたったの一週間、その間に仲良くなろうと必死過ぎる。普段は冷静に取り繕っている生徒が、必死にエマ王女の好きなものとかを情報収集している姿はちょっとだけ面白かった。


「イトセ。お前が授業をサボるなんて珍しいな」


 たった一人で屋上にやってきたのに、付いてくるお節介が一人。

 ハレルドだ。俺と違って戦技の授業では見事に連勝記録を伸ばしている。

 

「お前に付き合ってくれなんて頼んでないぞ」

「何だよ! 戦技で負けて後悔していると思ったけど、全然そんなことないのな! あー、心配して損したぜ! で、何やってんだ? お、あそこに見えるのエマ王女か。イトセ、お前。女に興味ないみたいな顔して……ストーカーはきもいぞ?」


 校舎の屋上にこっそり忍び込んで、金柵を掴む。


 金網の向こう、校舎の教室に見える誰かを凝視。当然、エマ王女の観察だ。つまらない顔で、教壇の授業を見つめている。ハレルドは、相変わらずの美人だなあなんて呟いて、どこから持ってきたのかモンスターの図鑑なんかを広げている。

 さすがモンスターおたくの学者志望様、エマ王女にも興味はないのか。


「さて、やるか……」


 エマ王女と昨日、話し合って決めた合図。

 それは髪の毛をくるくる触ることだ。ああしているってことは、何かに困っているって証だ。



「――エマ王女殿下、夕食の招待をさせてくれませんか?」


 休み時間になると、エマ王女が早速大勢に囲まれていた。たった十分の休憩時間でこれか。エマ王女も災難だな。俺は人だかりをかけ分けて、何とかエマ王女が見える位置を確保すると、数枚の書類を机の上に置いた。


「エマ王女。先生から、職員室に来るようにと伝言を預かっています」


 俺を見て、数人から邪魔をするなって視線が刺さった。

 でも俺が持っている書類は先生からのサインが記されている本物だ。ぱっと見て、これが偽物だとは分かるまい。エマ王女は無表情のまま。


「ありがとうございます。ええと、あなた、名前は?」

「……名乗るほどの身分でありませんので」


 名乗りもせず、俺はその場を後にする。

 オルゴットは礼儀も知らない無礼者だと、避難轟轟だろうけど、これでいい。必要以上にエマ王女殿下には絡まないって約束だからな。



 ウェストミンスター学園は全寮制の学園だ。

 夕食を終えて夜になると大半の生徒は自分の部屋に閉じこもって、思い思いの時間を過ごす。俺も書類と睨めっこ中。

 全部、スフィンの召使が持ってきた過去問だ。勉強しないとなあ。


 その時、窓をトントン。

 窓を開けると、暗闇の中で素早く動く、茶色い物体。


「ちち! ちちち、ちち!」


 そいつはいつものように俺の部屋に侵入する。俺は窓を閉めて、外から室内が見えないようにブラインドを落とした。


 侵入者の正体は愛くるしい姿の茶色いリス。

 そいつは机の上にある小さな木箱を器用に開いて、中に一杯詰まったクルミを一つ取り出した。両手で抱えて、何かを抗議するように唸る。


「はいはい、目を閉じますよ」

「ちっち!」


 俺が突然部屋に入ってきたリスを受け入れたのは理由がある。

 ……。


「イトセ、もう目を開いていいぞ」


 目を開けたら、俺のベッドの上に人間がいた。

 寒くはない筈だが厚手の茶色の外套を羽織り、キリっとした顔で俺を見つめている。だけど、サイズ感が問題だ。何て言うか、全体的に小さいのだ。


 深い青藍色の髪の毛は腰まで届き、青い太陽のように煌めく両目が印象的。


 何を隠そう、彼女こそがこのウェストミンスター校で一番偉い人なのだ。


「一桁に昇格おめでとう。ナンバーナイン、イトセ・オルゴット」

「……ありがとう、ございます」

 

 序列九位ナンバーナイン、それが俺の今の立ち位置だ。


「ただ私の後継者になりたいなら、それぐらいはやってもらなわいとな? それでエマ王女の依頼はどうだ? 仲良く出来そうか? 私はあの子が苦手だが」

 

 この女性はダン・ウェストミンスター。国中の嫌われ者として、誰もが名前を知る有名人。世にも珍しい魔術個性ウィッチクラフトを持ちながら激しい家督争いに負け、家を継げなかった落ちこぼれ。

 引き起こした事件の数々で国に大迷惑を掛けたが、良すぎる生まれから今は俺が通う名門ウェストミンスター校の学園長を務めている。


「エマ王女の依頼は、問題ありません。


 正直言って、ただの一学生である俺が喋れるような相手ではない。

 持っている権力で言えば、あのエマ王女すら圧倒する傑物――まあ、国民の敵として、その嫌われっぷりは半端ないけど……。


「そういえば早速私のところまで情報が上がってきた。イトセ、戦技の授業でわざと負けたのか? 優しすぎる、それは君の弱点だ」


「あの場で勝てば俺はスフィンに恨まれます。男爵家ヴァロンの俺がこのウェストミンスター校で生きていくのは、敵を作らないことだって言ったのは貴方です」


「確かにそういったけどな」


 だけど、俺はこの可愛らしい女性を心の底から尊敬している。

 誰も知らないけど、彼女は俺にとっての命の恩人ヒーロー。俺のような訳ありを拾っては世界のために役立たせている。ウェストミンスターに通うための学費だって、あの店で稼いでいる。


「で、何の用ですか。ウェストミンスター閣下」

「イトセ、君に大事な依頼があるんだ」

「閣下、俺は今、エマ王女の依頼を実行中です。依頼の掛け持ちの御法度では」

「うん、知っている。そのルール、作ったのは私だからね。だけど、君にやって欲しいことがあるんだ」

「……やります。閣下の望みなら」

「いい返事だ。さすがナンバーナイン、イトセ・オルゴット」


 可愛らしい外見からは想像も出来ないだろうが、この人が持つ裏の顔は、有能な部下を多数所有し、世界中で行われている荒事に首を突っ込み、平和的解決、もしくは武力を持って鎮圧している策略家だ。

 才能に溢れた有能な平民達が閣下に忠誠を誓い、少しでも閣下の信頼を得ようとしのぎを削っている。俺だってその一人だ。閣下に忠誠を誓う、唯一の貴族として

閣下を心の底から尊敬している。この国には閣下の力が必要だと誰よりも理解しているし、もっと閣下の助けになりたい。


 今の俺は序列九位ナンバーナイン。序列が上がればより稼げるし、難易度の高い依頼で閣下を助けることが出来る。 


「イトセにお願いしたいのはね、本気でエマ王女を口説けってことだ」


 だけど、その依頼には頭がフリーズした。


「…………え?」

「恋人の振りじゃない。君が持つ技量を使って、エマ王女を本気で口説き、君に惚れさせろ。いいか、イトセ。私の後継者になりたいなら、一週間でやり遂げろ」

 

 ローマンの嫌われ者、ウェストミンスター閣下は俺が絶対服従する上司。

 だから、その命令は絶対服従。


「見事、やり遂げれば、ナンバーエイトへの挑戦権を与える」


 ウェストミンスター閣下の手駒には、序列がある。


 エイトへの挑戦権、それは俺にとって何よりも魅力に感じてしまう餌。


「――やれるか、ナンバーナイン

はいイエス――全身全霊を、掛けてユアマジェスティ


 その日から、俺は本気になった。


 エマ・サティ・ローナンを口説く、そのためなら、何だってやってやる……!

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