2-1 一週間の恋人

 俺たち貴族が太陽なら、彼女たち王族は姿を見ることも難しい流れ星か。


 本物のエマ・サティ・ローナン、エマ王女が椅子に座って、ストローで飲み物をチューチュー吸っていた。


「ごめんなさい、貴方を驚かせるつもりはなかったの……あ、これ。美味しいわ。なんていう飲み物なのかしら……」


 そう言って、悪戯に微笑む彼女はこの国の有名人だ。

 俺が生まれた国、ローナン共和国の第二王女様。

 白銀の髪に、色素の薄い瞳。おしとやかで、滅多に表に出てこない王女様。天に愛された人間っていうのは、彼女みたいな人を言うんだと思う。


「……俺のお客様はどこだ? 君は、仮面ペルソナのお嬢様じゃない」


 王女様の出現に、平常心が乱れそうになったけど何とか踏みとどまった。


 俺のお客様は仮面ペルソナのお嬢様だ。物語が好きで、俺の話をクスクスと上品に笑いながら聞いてくれる仮面ペルソナのお嬢様。彼女との時間は嫌いじゃなかったし、今日のお客様があの子だと知って、少しだけ嬉しかった。


「……私が、本物の仮面ペルソナのお嬢様よ」


 エマ王女。アップルティーが気に入ったのかもしれないけど、チューチュー、ストローで吸うのは止めてほしい。


「君じゃない。俺が知っている仮面のお嬢様は……そもそも王女様じゃない」

「ローゼは私の召使い……私の代わりに貴方から面白い話を聞いて貰っていたの。貴方の作るお話、とっても素敵でした」


 こじゃれた喫茶店の奥の個室に、何故かエマ王女殿下と二人きり。

 エマ王女は椅子に座り、庭に作られた小さな庭園を見つめている。同級生達なら涙を流して喜ぶシチュエーションだろうけど……。


「帰る」


「…………え?」


 回れ右して、いつの間にか閉められている扉を開く。


「何だ! 固いな!」

「ちょっと……! その反応、ひどくない……? 私が誰だか、分かっているの……?」


 知っているよ。エマ・サティ・ローナンだろ。学園に滅多に来ない俺の同級生。王族特権を使って、学園に通わなくても卒業出来る羨ましいお立場のお姫様だ。


「私はルールに乗っ取って、このお店にいるの。私が店から弾き出されないことが、私がルールを守っているってことにならないかしら」

 

 まるで扉の外から万力で閉められているいるようだ。

 くそ、はめられたか!


「やっと諦めてくれたかしら、私を目の前に帰ろうとするなんて中々に失礼な真似よ……? 別に私は気にしないけど……気にしないけどね……」


 俺が部屋から出ていこうとしている内に、エマ王女殿下も飲み物を飲み干したらしい。気にしないとか言って、少しだけ視線に険がある。絶対、気にしているだろ。


「でも……普通、私と会えたら、喜ぶものじゃないの?」

「それで、俺への依頼は?」

「切り替えが早いのね。私も忙しいから、その方が助かるけど……」


 諦める。エマ王女殿下がここで俺を待っていたってことは、俺のお客様だ。

 この店に認められている以上、俺もルールに乗っ取るだけ。


「エマ王女殿下。このお店では、お客様は本名を名乗らない。俺は貴方をなんて名前で呼べばいい?」


「私……? 仮面ペルソナのお嬢様でいいけど」


 退屈そうに、エマ王女殿下は髪の毛をくるくると指で弄りながら言った。 


「それは駄目だ」

「え、駄目なの……?」


 エマ王女が顔を上げる。ぱっちりとした大きな瞳。

 その細くて華奢な身体、こんな王女様に頼られたら、大抵の男は何を投げうっても期待に応えようとするんだろうな。

 

「俺にとっては仮面ペルソナのお嬢様は、あの子だけ。別の名前を考えてくれ」


 すると、こめかみを指で押さえてエマ王女が悩みだす。


「じゃあ……鉄のアイロンお姫様」


 随分可愛くない名前だな。

 

「分かった、鉄のアイロンお姫様。それで、俺は何をすればいい? 君の召使であるあの子、仮面ペルソナのお嬢様と同じように物語でも話せばいいのか?」


 もう、やけくそだった。

 王女の依頼なんて、底辺貴族である俺には想像することも出来なかった。

 

「……」


 なのに、鉄のアイロンお姫様は小さな口を閉じてしまう。


「何で黙る。何か俺にやってほしいことがあるから、この店にやってきたんだろ」


 ぶっきらぼうにそう告げた。

 底辺貴族の俺が、この国の王女様に上から物を言っている。


 ほかの貴族に聞かれたら半殺しにされても可笑しくないな。

 だけど、俺はやけくそだった。何で王女様のような雲の上に住まう方が、わざわざこんな店まで俺に会いに来たのか。


「……」


 それでも、エマ王女は口をつぐんでいる。

 黙っているその横顔を見つめた。どの角度から見ても美人だ。人形のように完成されている。学園の同級生が撃沈することが分かっているのに、エマ王女に告白してのも納得だ。


「一週間……」


 耳を凝らさないと聞こえないぐらい小さな声。

 庭に流れる水のせせらぎでかき消されるぐらい。


「一週間……私の恋人になってほしいの」

「分かった。今日から俺は君の恋人になる」

「…………え?」


 きょとんとするエマ王女には悪いけど。

 恋人の振りは最も俺が得意な依頼の一つ。お金持ちの平民マダムが貴族を我が物顔ではべらしたい、そんな夢を持っているお客様も多い。


 エマ王女は俺がすとんと望みを受け入れたことが不思議らしい。


「……ほ、本気? この私、エマ・サティ・ローナンの恋人……よ? そこは普通、躊躇うものじゃないの……?」

 

 完璧に王女様の恋人役を演じきって、それで終わりだ。


「こんな場所にやってくるなんて、のっぴきならない事情があるんだろ。何も聞かないから、俺がやるべきことを教えてくれ。あ、そうだ。名前は何て呼べばいい? エマ、エマちゃん、エマ様……そうだな、愛しのエマでも……何でも対応するから、好きに望みを言ってくれ」


 俺の言葉を聞いて、学園では表情一つ変えなかった王女様が、少しだけ白頬を染めた。恥ずかしいのか、それとも俺に恋人を頼むことに後悔しているのか。

 

 鉄のアイロンお姫様――彼女のことを何も知らない今の俺には、何も分からなかった。

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