1-3
秘密の小遣い稼ぎ、なんて言っても大したものじゃない。
頭に残る前世の知識。あっちでは慣れないことをして二十年も生きられなかった俺だけど、この世界では俺の薄っぺらな記憶が使い道によっては役に立つんだ。
「ハレルドの奴め! あいつのせいで約束の時間に遅れてしまう!」
結局、ハレルドに腕を引っ張られて、駄菓子屋の新作発表会に連れていかれた。街の子供が一杯いるから一人だとお店に入り辛いってなんだよ。
俺が一緒でも、同じだろ! 一人が二人になっただけだ!
でも、ハレルドの強引さには感謝してる。
まだ
「お客様も遅刻しているといいけど……いや、それはないか」
誰が名付けたか
光が溢れる王都でも路地裏に入れば、ガラスの向こう側に入ったような暗がりへ。
道中では怪しげな占い師が軒を連ね、まともな貴族ならこんな道を通ったりしないだろう。貴族は
「イトセちゃん……そんなに急いで、お仕事かい」
「おばば、元気か?」
「いっひっひ、お陰様でねえ」
路地で布を被った老婆が顔を上げる。粗末な台に置かれた箱には何も入っていない。今日はまだ一人も客が捕まってないのか。
「危ないことはしちゃあいけないよお。イトセちゃんが怪我でもしたら皆悲しむからねえ。おばばは眠れなくなってしまうよ」
「お客様によるかもな。じゃあまたね、おばば。これで美味しいものでも食べて」
「イトセちゃん、ほんとにあんたは変わった貴族様だよ。こんなおばばに施しなんて、何になるんだか」
老婆の中に硬貨を一枚入れて、速足で目的地へ。
何度も角を曲がっていく。足音がリズムを刻んで、ステップへ。
その店には、王都の裏道事情に詳しくないと決して辿り着けない。
知るものぞ知る、名店だ。お客様は裕福な平民や、お忍びの貴族が中心の客層で、この王都の中でも時が止まるような静かな時間を求めてやってくる。
「……」
入口には門番が一人。一見、やる気も無さそうに見えるけど、以前本人から一流は一流だと悟られないように振る舞うもんだと聞いていた。本当かよ。
俺を見て小さく手を振っているけど、俺が向かうのはあそこの入口じゃない。
もう一度、細い路地裏をぐるっと回りこんで、店の裏口へ。周りを見渡す。
誰もいないことを確認。
「よしっ、今だな」
店を取り囲む柵に両手をかけ、一気に飛びあがる。少しだけ風の力を借りて、柵と店の間の細い隙間に体を入れた。
「――イトセ様! 遅いです! アヤはお待ちしておりましたのに!」
店の裏口には一人の店員が立っていた。
十にも満たない子供。まだ俺の胸にも届かない身長できょろきょろしている。目が合ったら、嬉しそうに抱き着いてきた。その背中をちょっとだけ撫でてやる。
「ごめんアヤ。遅れてしまった。あと、少し声が大きいよ」
「イトセ様が遅いからです!」
「ちょっと友達に捕まってね」
「え、イトセ様にお友達が? アヤ、そんな話聞いてないです! どんな方ですか!?」
彼女の名前はアヤ。このお店の看板娘! ……になるべく頑張っている女の子。黒髪黒目で、ふとした瞬間に俺に前世を思い出させてくれる可愛い少女だ。
「この店に連れてきてもいいぐらい気のいいやつだよ。今度、アヤにも紹介してあげるから、今は仕事の案内をお願い」
「分かりました、イトセ様。約束ですからね」
そういって、アヤと指切りげんまん。
「さあ、こちらへ。お客様がお待ちです」
「ありがとう、アヤ」
店内に入ると、ばたばたとせわしない店員の姿が見えた。彼女たちは皆、この喫茶店の店長に拾われた子供たち。男の子も、女の子も俺を見て顔を綻ばせる。
「まーただ! アヤちゃんがイトセ様を独り占めしてる!」
子供特有のにっこりとする笑顔に、朝からの学園での疲れはぐっと吹っ飛んだ。学園での生活は、底辺貴族の俺には気を遣うことばかりで疲れてしまう。
「それで、アヤ。今日のお客様は誰?」
俺が向かうのは、店の一番奥にある個室だ。あそこの個室からは庭にある小さな庭園を見渡すことが出来て、心が現れる気持ちになる。
「物語好きの
「あの人か。最近、指名が多いな」
「これで何回目でしょう。イトセ様のお話だって百もあるわけじゃないのに」
前世の記憶を持っている俺の記憶や考え方は、この異世界では珍しいもので、俺の考えや知識が時に金になる。
そして、
「大丈夫だよ、アヤ。俺の頭の中にはまだまだ沢山の物語が詰まっているから」
俺は前世で本を読むのが好きだった。
語れる物語のストックは百は軽くあると思う。
「イトセ様は博識でいらっしゃいます。それより、アヤはイトセ様に不満がありますの」
「不満?」
「イトセ様は……もっと貪欲にお金を稼げばいいと思います。
アヤは口を尖らせて言う。
まあ、確かに
「アヤ。俺みたいな最下層の貴族は、この街で目立ったら終わりなんだよ」
「イトセ様は、欲が無さすぎです」
「そんなことはないよ。俺みたいな奴が、意外と大きな欲を持っていたりするんだ」
「……強欲な人が、私たちに報酬の半分を渡したりしないと思いますけど。イトセ様は、お願いすればお金をくれるって思ってる子もいるんですからね」
そういって、ぷいっと顔を背けるアヤ。
「君たちに恩を売ったら将来百倍になって帰ってくるかもしれないからね」
「将来じゃなくて、今でもいいです。私はイトセ様のためなら、何でもするっていつも言ってます」
「まあ、そのうちにね。さて、アヤ。案内はここまで大丈夫。ありがとう。これは今日の報酬だよ」
俺は手を差し出したアヤの小さな手のひらに、一枚の効果を乗せた。
少しだけ重みのあるそれを見てアヤが目を丸くする。
「えっ、イトセ様! これっていつもの倍も――!」
グレイ銀貨。世間で一般に流通しているアガサ銀貨よりも銀の含有量が多くて、価値は倍といっていい。
「店長から聞いた。明日、お母さんの誕生日なんだろ。これで、何か買ってあげたら喜ぶよ。それに今日、俺は遅刻した。アヤを待たせてしまった」
顔を赤らめて喜ぶアヤだけど、何かを思い出したかのように顔を暗くした。
「……イトセ様。死なないでくださいね」
その言葉に、吹き出しそうになった。
「
「ああいう上品ぶってるお客様が、顔の下で棘を隠していたりするんです。イトセ様が受ける仕事はもっと序列が高い人が受けるものばっかり……」
そういってアヤは元来た廊下を戻っていってしまう。……アヤも言うようになったな。このお店に来たときは、何にも知らない無垢な女の子だったのに。
さあて、お仕事の時間だ。気分を入れ替えよう。
俺はただ、前世の記憶や貴族としての地位、
「――お待たせしました。ご指名頂きました、イトセ……」
今回のお客様は、常連である
悩みは無し。ただ、どこか遠い世界の物語を聞きたい好奇心旺盛の少女。恐らく、俺と同世代の女の子。平民、だろうな。
俺は、仕事場である個室に続く扉を開けた。
そして、そこで俺を待っていたのは、いつものように仮面を被っていない少女だった。俺はお客様である彼女を見て、固まった。
学園で一度見たことがある――彼女に群がるアリのような同級生の姿を。
動揺を悟られないように、内心で、大きく声を出した。
……エマ王女殿下、じゃねえか!
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