守護神の加護がもらえなかったので追放されたけど、実は寵愛持ちでした。神様が付いて来たけど、私にはどうにも出来ません。どうか皆様お幸せに!

蒼衣 翼

巫女になれなかった娘

 神殿の祈りの間。

 十四の誕生日を迎えた千璃センリは、加護を授かるため神像の前にぬかづいた。

 明けの明星を象徴とする、この国の守護神フォスフォラスは、黄金の龍の姿をしていると言われている。

 神像の姿は、右手に宝珠を持つ、神々しい龍。

 身を清め、何色にもまだ染められていない布を使ったローブを纏った千璃センリは、この国の古くから続く巫女の家系の娘で、瑠璃のような青い髪と、黒檀のような黒い瞳の持ち主だ。


 巫女の家に生まれた娘は、十四になると守護神の加護を頂き、その加護を持って、神殿の巫女として勤めるのが慣例だった。

 だが、一晩待っても、千璃センリの右手には、加護を授けられし者のしるしは現れず、翌朝のお披露目に集まった者達の、落胆のため息と、冷淡な視線に晒されることとなったのだ。


千璃センリよ。覚悟は出来ておるな」


 城の祭事の間にて、王と、先代巫女、そして一族の長である父を前に膝を突いた千璃センリは、体の震えを感じていた。

 覚悟など、出来ているはずがない。

 ただ、加護が右手に現れなかった。それだけのことで、千璃センリは、国を追放されようとしていたのだ。


 たかだか十四の小娘が、国を追放されて生きていけるはずもない。

 それは、つまるところ、死刑と同等の罰であった。

 自らの手を汚したくない者達が、取り繕っただけの刑罰だ。


「お、お待ちください」


 言うべきことは言わなければと、千璃センリは勇気を振り絞って声を上げた。

 視線を上げれば、目前には、加護のない千璃センリにひとかけらの興味も持たぬ冷たい視線のみがあった。

 王も、先代巫女も、そして千璃センリの父も、つい先日までは、惜しみなく愛情を注いでくれていると、千璃センリが信じた者達である。

 いくら加護を授からなくても、巫女になれないだけであるだろうと、千璃センリは考えていた。

 それなのに、信じた者達が突きつけたのは、死と同然の追放だったのである。

 血の気が引いて、真っ青になりながらも、千璃センリは、ここ数年ほど、七歳の頃から繰り返して来た言葉を告げた。


「私は、守護神さまに一度お会いしたことがあります。そのとき、共に生きることをお約束くださったのです」


 七歳のある夜。

 なぜか夜明け前に目覚めた千璃センリは、導かれるように、守護神の神殿の裏にある祠の前へと歩き、最も闇が深い時間に光を灯す、明けの明星を見た。

 そして、告げられたのだ。


『運命の娘よ。我はそなたと共に在りたいと思う。ゆえに、時が満ちたら、返事を聞かせて欲しい』


 と。


「なんと図々しい!」


 千璃センリの言葉に、怒りの声を上げたのは、先代の巫女だった。


「七つの頃にそのような妄言を言い出したときには、巫女になりたいという思いの余りの夢であろうと、幼き心を皆があたたかく見守っておれば、自分が選ばれし者であると言い張るとは! もし、万が一でもそなたの言葉が本当であれば、儀式の夜にそなたの右手にしるしが現れておったであろう。それが叶わなかったのは、そなたの、その虚言を語る心の卑しさのせいだ。その心根が、守護神様のお怒りを買い、そなたを巫女に選ばなかった。なぜそれがわからぬ!」

「この恩知らずめ!」


 千璃センリを激しくののしった先代の巫女に続き、憤怒の形相で怒鳴ったのは、一族の長であり、千璃センリの実の父でもある男だった。


「手中の珠のように大事に育ててやった恩を仇で返しおって! 貴様など、我が家に必要ない!」

カンナギ千璃センリよ。今よりカンナギの姓を剥奪し、我が国より追放する。この決定に一切の異論は認めぬ」


 父の言葉の後に、王が処罰を下し、千璃センリの追放は確定した。



 そして千璃センリは、ほんの僅かな手荷物だけを渡され、果ての荒野に置き去りにされてしまったのだ。


「全てが無駄、だったんだ。巫女として求められる全ての技能を必死で習得したことも、先代の巫女さまのお言葉を一言一句違えずに覚えたことも、父の自慢の娘になるように頑張ったことも、ただ、加護が与えられなかっただけで、意味を無くしてしまうような、儚いものでしかなかった……」


 千璃センリは、自分を捨て置いて去って行く護送馬車を見つめながら、一人膝を突いた。

 これまでの自分の全てが否定され、立ち上がる力などない。


 だが、千璃センリにとっての災いは、そこで終わりではなかった。


「へっへー。身分の高い罪人が放逐されるって話は本当だったんだ」

「いいねー、上玉じゃん!」


 長い間手入れをしていないようなぼさぼさ髪と、のばしっぱなしのヒゲ。

 獣から、直に剥ぎ取ったような毛皮の服をまとった男達が、姿を現したのだ。

 どうやら、ところどころにある灌木の茂みに身をひそめていたらしい。


 殺される。

 いや、下手をすると死よりも酷い運命が待っている。

 千璃センリは必死で立ち上がろうとしたが、力が抜けてしまったかのように、体が動かない。

 わずかに這いずるだけだった。

 賊と思われる男達は、走って追う必要すら感じなかったのか、ゆっくりと歩いて近づいて来る。


「嫌、助けて!」

「フヒヒ」


 賊の一人が馬鹿にするような笑い声を上げた。


「イヤッ、タスケテ! だってよ」

「誰か助けてくれるといいねー」


 ゲラゲラと笑う。

 千璃センリは、ギリッと奥歯を噛み締めた。

 誰も彼もが千璃センリをあざ笑う。

 ただ守護神の加護をもらえなかっただけで……。


 怒りが、千璃センリの黒い瞳に宿り、体内で魔力が渦を巻く。

 真っ直ぐに伸ばした指先から、細長く水が噴き出し、その水が凍って、氷のムチとなり、周囲を薙ぎ払った。


「うわっ!」

「こいつ、魔術師か!」


 賊の一人が腕を浅く切られ、残りの者は用心深く千璃センリから距離を置く。


「近寄らないで!」

「けっ、魔術師は、集中を乱してやれば楽勝よ!」


 賊の一人が石つぶてを千璃センリに向けて放ち、それを避けるために気が逸れた千璃センリの術式が解除される。


「今だ! 捕まえて縛り上げろ!」


 ああ、結局、自分の力などそんなものだったのだ。と、千璃センリは思わず目をつむる。


「その目を見開き、我が勇姿を見よ!」


 聞き覚えのない声と共に、突如として強風が吹き抜け、賊共が吹き飛ばされる。


「なんだぁ!」

「くそっ、目が見えねえ!」


 風に吹き付けられた賊共が騒ぐなか、風上にあたる千璃センリは、はっきりと見た。


「守護神……さま?」


 金色に輝く渦巻く風のような姿。

 伝説にのみ語られる、龍がそこにいた。


「我が愛しき者に害をなそうとした輩を、我は許さぬ」


 キラリと黄金の光が放たれ、それを浴びた賊共は、たちまち物言わぬ石像となった。

 さらに、拭き続ける強風に、砕かれ、すぐにチリとなって消える。


「あ、あ……」


 そのあまりの力に、千璃センリは畏れを抱く。

 人とは隔絶した力は、もはや神として崇めるほかにない。

 そのことが実感としてわかる。


千璃センリよ。約束通り、妻問いに訪れたぞ」


 守護神フォスフォラスの発した、約束という言葉は、衝撃的な出来事続きの千璃センリに、強い衝動を与えた。

 自分でもなぜそう言ったのかわからないまま、千璃センリは叫ぶ。


「守護神様! なぜ、なぜでござます! どうして私に加護をお与えくださいませんでした? お約束というなら、それこそが、我が一族との約束でありましょう!」


 血を吐くような叫びだった。

 今、目の前で人をたやすく消してしまった相手に、千璃センリは、怒りの混じった問いをぶつけたのだ。

 今の千璃センリには、死は恐れるべきものではなかった。

 信じていた全てから裏切られた絶望こそが、彼女を最も苦しめていたのだ。


「ふむ……加護とは、隷属のしるしのことであろうか?」


 だが、守護神から発せられた言葉は意外なものだった。


「隷属のしるし?」

「そうだ。以前、荒野で生き足掻いておった人の子が、終生の隷属の代わりに力を貸してくれと言うたので、戯れにそれを許したのだ。それ以降、その者の血に連なる娘が生贄として捧げられ、我に奉仕を行うようになったのだ」


 千璃センリは、初めて聞いた真実に、愕然とする思いだった。

 今まで信じていたことの全てが、ガラガラと音を立てて、崩れ去って行くのを感じる。


「しかし、長い隷属の時を経て、ようやくその血の末に、我が妻に相応しい娘が生まれた。それが、そなた、千璃センリだ」

「……私」


 千璃センリは、ただぼんやりと、言われた言葉を繰り返す。


「うむ。妻とは対等なる存在。そのような相手に隷属のしるしなど与えるはずがないであろう? 与えるのなら、寵愛のしるしとなる」


 言いながら、守護龍は少し照れているようだった。

 龍の表情などわかりはしないが、なぜか千璃センリには、その気持ちが伝わって来る。


「しかし、それもそなたの同意が必要だ。ゆえに、我はそなたに妻問いをしなければならぬのだ。わ、我も、初めてのことではあるし、心の準備に時間がかかってしまった。許して欲しい」


 千璃センリは、しばらくぼうっと守護龍の姿を見つめていたが、やがてなぜか笑いの衝動が沸き起こって来た。


「うふふ。あははははっ、馬鹿みたい。私も、王様も、巫女様も、お父様も、なんて、馬鹿だったんだろう」


 人が、神の心を推し量ろうとした結果、歪な悲劇を招いてしまった。

 もはや、笑うしかない。


「おお、楽しそうでなによりだ。それで、千璃センリよ、我が寵愛を受け入れてもらえるだろうか?」

「……お断りします」

「そうであろう。我が寵愛を拒む理由はないからな! ……ん? 千璃センリよ、今、なんと申した?」

「お断りします。私は、身の程を知って、人として生きるつもりです。守護龍さまは、どうか我が祖国の守護をお続けください」

「ど、どうした? 怒っておるのか? なぜだ? 何が悪かった? ど、どうしたらいい?」


 自分の拒絶に、オロオロとし始めた守護龍を見て、千璃センリはちょっぴり申し訳ない気持ちになった。

 しかし、千璃センリはもう、他者に振り回されるのはまっぴらだったのだ。

 父の顔色をうかがい、先代巫女様の言葉に従い、王に深く頭を垂れた。

 そんな自分のこれまでの生き方こそが、愚かだったと気づいたのである。


「私は、一人で生きて行きます。力及ばず道半ばで倒れようとも、それでも、自分の出来ることを精一杯やっていきたいのです」

「ま、待て。怒っているのなら謝るから! そ、そうか、この姿が悪いのであるな? すぐに、そなだに相応しい形になってみせるぞ」


 言うなり、守護龍の姿が消え、そこには、無造作に黄金の長髪を風にたなびかせた、立派な体格の青年がいた。

 何をどうしたのか、服装も、少し裕福な旅人風である。


「ほら、これならいいだろう?」

「どうか、お戻りください」


 しかし千璃センリは、にべもなかった。


「なぜ!」

「先程申し上げた通りです」

「しかし、我はそなたを愛しておるのだ」

「身に余ります」


 人間の姿となった守護龍フォスフォラスは、規格外の美青年ではあったものの、その表情がコロコロと変わるので、人間味がある。

 必死に千璃センリの機嫌を取ろうとする姿は、同情を誘う憐れさすらあった。


「私は長い間、守護龍フォスフォラスの加護を受けて巫女となり、御身にお仕えすることだけを考えて来ました。その未来を失った絶望を、貴方様を見るたびに思い出すのです。どうかお許しください」

「あいわかった!」


 人となった守護龍はほがらかに言った。


「我は今このときより、明けの明星フォスフォラスから、宵の明星へスペラスと改名しよう。それならよいだろう?」

「ええっ!」


 千璃センリは、目前の龍の青年を見つめる。

 そして理解した。

 見た目はいくら人に似せようとも、この方は、単純で、純粋な神なのだ、と。


『神を理解しようとしてはならぬ。ただただ、心してお仕えするのみなのだ』


 己の師でもあった先代巫女の言葉を思い出す。

 そして、神を諦めさせるということの困難さに、めまいを感じるのであった。


 後日、国の守護神を失った千璃センリの母国は、坂道を転げ落ちるように衰退して行く。


 そして、青い髪のセンリと黄金のへスペラスの二人は、多くの地を巡り、数々の奇跡を起こしながら、長く伝説として歌われる存在となっていくのであった。

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守護神の加護がもらえなかったので追放されたけど、実は寵愛持ちでした。神様が付いて来たけど、私にはどうにも出来ません。どうか皆様お幸せに! 蒼衣 翼 @himuka

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