ドリアンソーダにのぼる泡
古川
1
お姉ちゃんがあっけなく死んでしまったので、私は笹山くんとそういうことをしようと決めた。
決めたとは言っても一人で行うことではないので、まずは双方がそれをすることに合意する必要があった。
笹山くんは普通の男子高校生なので、付き合い出してからわりとすぐにそれに対して意欲的な雰囲気で、あとは進展を望むばかりという姿勢だった。だから私が同意を示せば、そういうことをする展開になっていたはずだった。
でもそこまで至らずにいたのは、私がまだ合意に踏み切れなかったと言うか、良いも悪いも言わずにもそもそしていたからだ。それは笹山くんがそういう相手としてだめとかではなく、私の心の準備ができてないとかいう女子っぽい感じでもなく、ただそういうことをする自分がなんか気持ち悪い、というぼんやりしているけれどどうしようもなく抗い難い理由からだった。
そんなこんなしていたら、お姉ちゃんが死んでしまった。そうしたら急に、笹山くんとしよう、と思えた。できる、と思った。結果、できなかった。
笹山くんは笹山くんの簡素な造りのベッドから転げ落ちた。床に尻もちをついた状態で、そこから驚愕の表情で私を見ていた。それと目が合ってから、私は自分が笹山くんを蹴り飛ばしてしまったのだということに気付いた。
「ごめん……」
「……びっくりした。つか、めちゃくちゃ痛てぇ」
私もびっくりした。自分がそんなに威力のあるキックを繰り出せるなんて知らなかった。火事場の馬鹿力、と言ったら笹山くんに失礼だけど、一瞬、そういう力が出てしまった。
「するって言い出したのそっちじゃん」
ため息と共に、笹山くんは呟いた。それは確かにそうだったし、笹山くんはなにも悪くなかった。でも露骨にがっかりされて、なんだか微妙に傷付いてしまった。この場合、私にそんな権利はないのかも知れないけど。
ひとまず笹山くんの簡素なベッドから下りて、フローリングに正座して、制服をちゃんと直す。スカートのひだがいつも通り膝の上にあることに心底ほっとしてしまう。
「いやとかじゃないんだけど……」
言い訳っぽいな、と思いながら口に出すと、笹山くんはそっけなく、別にいいよ、と言ってから体の向きを変えて、私とは向かい合わない格好になった。それから、テーブルの上のペットボトルを掴むと中身をがぶがぶと飲んだ。ごくんごくん、という音が、私の耳にまで届いた。
その横向きの顔を見ながら、おでこの形が好きだな、と思った。その「好き」が、笹山くんという存在全体に適用できるのか確認するため、おでこにある「好き」を笹山くん全体に広げてみる。
結果はすぐに出る。私は笹山くん全体を、ちゃんと好きだ。なのに、蹴ってしまった。
「ごめんね」
「そんな重ね重ね謝られると余計切ない」
「ごめん……あっ、ごめん」
「どんだけ重ねるんだ」
こっちを見て少し笑ってくれたのでほっとする。でもそれに笑い返す資格は今の私にはないような気がして、中途半端な表情のまま俯いてしまった。
「……小野さ、無理しなくていいよ」
「してないよ。ただなんかこう、反射的な」
「じゃなくてさ、その、メンタル的に……」
笹山くんは言い淀む。そりゃそうか、と思う。付き合い出して数ヶ月の相手が、突然交通事故で姉を失った現状に、笹山くんもおおいに戸惑っているのだ。事故からまだ三週間しかたっていないわけだし、そういう人間にかける言葉なんて、私にもわからない。気を遣わせてしまっていることを申し訳なく思った。
「メンタルはもう、元気。元気っていうかまぁ、普通だよ。普通に元気」
実際、私は元気だった。と言うのも、父と母の元気のなさがそれはそれはひどいものだったので、私まで一緒になって元気をなくしている場合ではなかったのだ。だから私は元気でいなくてはいけなかったし、それに鼓舞されるような形で、自然と元気でいられたのだった。
それは案外平気なことだった。果たすべき役割がはっきりしていたのでやりやすかったし、普段の自分のいい部分を煮詰めて固めたみたいにすれば、純度の高い「明るく元気な自分」が生成できた。だから私は、大丈夫だった。
「じゃあなんで急に、しようとか言い出したの? それも今日の今日に」
聞かれて考える。なんでだろう。
笹山くんの家に行きたい、と自分から申し出たのは初めてだった。教室移動中だった笹山くんを友達の間から引っ張り出したのも初めてだったし、階段の下の死角エリアに二人して引っ込むのも初めてだった。薄暗いそこで、私より笹山くんの方がどぎまぎしていた。
なんだか切迫した感じになってしまった私の申し出を、「今俺の部屋ちらかってるけど」と本気で困った顔をしつつも、「いいよ」と笑って了承してくれた。
なんでだろう。どうして急にそうしないといけないと思ったのか。数時間前の自分の突発的な行動を、うまく解説することができなかった。ただそう思ったという、それだけな気がした。
「あぁそうか。あんなこと言い出した時点で小野らしからぬ発言だったんだわ。見た感じほんとに普通そうだからつい真に受けてしまった。あぁ、俺が悪かったんだ……」
もごもごと言いながら、笹山くんが頭を抱え出した。
「いや、悪いのはどう考えても私……」
「いや俺だよ。俺は、突然家族がそんな目に遭うとか、経験ないから、小野の今の気持ちは想像するしかなくて。でも、考えてもだめだった、わかんなかった。だから小野が案外普通そうな感じだから、すごいほっとして、大丈夫なわけないのに大丈夫なような気になってて、なんかいろいろ失念してたわ」
ごめん、と最後に付け加えて、笹山くんは私を見た。それが本当に「ごめん」の顔だったので、私が「ごめん」を返したところで太刀打ちできないような気がして目を逸らしてしまう。
「……失念て、おっさんみたいな言葉使うんだね」
「俺は今、とても真面目な話をしてるぞ」
私はうんうんと頷いて、テーブルの上の、さっきコンビニで一緒に買ってきたお菓子群へと手を伸ばす。適当にひっ掴んでひとつを開封し、中身を口に放り込む。
「ん、まぁまぁおいしいよこれ。えっと、なんだっけ、炙り牛タン塩味ポテチ」
私の感想に、笹山くんは怪訝な顔をする。それから一枚を手に取って食べた。
「まぁ確かに。でも今牛タンの話はしてない」
「じゃあこれは? キャラメル。シナモンアップルパイ味。あ、この飴舐めてみてよ、激しょっぱ生梅干し飴。ほんとに激しょっぱいのかな」
飴の袋を開けようとするもなかなか開かなくて苦戦している私に、笹山くんは言う。
「小野さ、ほんとは全然大丈夫じゃないだろ」
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