#18 のどかな時間

「……あっつ」


 蛯名駅のホームに降り立つなり、無意識に不満がこぼれる。創平は眩しそうに目を細めると、改札へと続く昇り階段に向かって、ゆったりと歩いていった。


 帰宅中の学生が数人、何が面白いのか大声ではしゃいでいる。彼らを横目に創平は改札を出ると、腕時計を見て時刻を確認し、小さくため息をついた。


 時刻はもう、15時を過ぎている。想定外の電車遅延で、見通しよりもずいぶん遅い到着になってしまったようだ。


 創平は肩をすくめると、駅構内に併設されたコンビニへ立ち寄って、総菜パンを2つと、ペットボトルに入ったお茶にタバコ3箱を購入した。いつも購入する銘柄のソフトパックが売り切れていたため、不承不承、ボックスタイプで我慢する。


 その足でビナウォークを抜け、少し離れた幹線道路沿いの一角へのんびりと向かう。空地(と言うより草むらだ)を囲うように張られた金属フェンスには、さび付いたバスマークの標識がぶら下がっており、そこで創平は足を止めた。



 創平が勤務するトウア社――正確には、その一拠点である『蛯名開発センタ』は、ここから歩いて40分ほどの田園地帯に開設されている。



 初めての訪問客であれば、誰もが「なぜ、そんな辺鄙へんぴな場所に?」と疑問を抱くだろう。しかし、それにはちゃんとした理由わけがあった。


 蛯名開発センタに在籍するスタッフは、何もゲームクリエイタだけに限らない。アーケードゲームの筐体設計や組み立てをおこなう作業員のほか、様々なテクノロジの研究開発に勤しむ技術者も協同していたし、むしろそちらの方が主力ではないかと思えるほど設備だって整っている。


 アーケード筐体はその性質から、製造できる場所が極めて限られてしまう。創平はそのことを、異動後に直で見ることで初めて理解した。


 アーケード筐体の製造において、なにより重要なことは、完成した筐体やそのパーツを保管できる『空間的な広さ』である。完成した製品をスムーズに輸送するため『大きな幹線道路のそばに併設されている』ことも、見過ごせないポイントだ。


 都内で条件を満たす立地条件ともなると、こうした僻地に工場を建てるしか手だてがなかったのは当然だろう。アクセスの悪さはいかんともし難い問題だったが、トウア社は福利厚生の一環として、複数の最寄り駅と社屋をつなぐシャトルバスを定期的に巡航させており、社員の利便性向上を図っている。



 次の定期便が到着するまで、あと5分。



 しかしながら、コンシューマゲームとアーケードゲームの開発スタッフを、なぜ一緒くたに勤務させる必要性があるのだろう。バスを待ちながら、創平はぼんやりと物思いにふけっていた。


 おそらくそれは、総務的な理由ではないだろうか。彼ら非開発職にとって、両者には明確な区別など存在しない――『ゲームを作っているヒトたち』と認知してしまったほうが、管理する者にとっては都合がよかったのではないか――と仮定してみる。


 この推測が当たっていたとすれば、トウア社にはスタッフの特性や部署間の連携といった概念が、いっさい考慮されていないということになるだろう。自分たちさえ良ければ構わないという、排他的な仕事観の現れでしかない。



(まさかと思うけど、人事の評価基準すら混同しているなら、それは最悪――)



 ふと、指先に違和感を感じた創平は、反射的に右腕をあげる。すると、ぶんっ……と羽音を立てて、テントウムシが上空へ飛んでいく様が目に映った。


 そのまま仰ぎ見る空は、雲一つなく、高く、遠く、どこまでも広がっているような情緒さえ感じられる。



 のどかだな、と創平は心底思った。



 最近でこそ慣れたものの、視界を遮るものがビルなどの建築物ではなく、広く連なった山々(たしか丹沢山という名称だったハズだ)であることに、異動当初は戸惑ったことを覚えている。


 都内とは思えない、まるで異世界のような情景。

 その子供じみた感想に、創平は我知らず自嘲気味な失笑を漏らした。


 近頃は土岐のフォローを中心に雑多な業務を進めてきたが、それも落ち着いてきており、正直言って手持無沙汰すら感じているくらいだ。


 もっと仕事がしたい。異動当初はその葛藤に、ずいぶんと悩まされたものである。


 本社での新人時代と比べても、これだけ気持ちに余裕ができたのは、いつぶりくらいだっただろう。陽だまりとそよ風を感じながら、創平はとりとめのない思考の海へ鼻歌交じりにどっぷりと浸っていた。



 小さなブレーキ音とドアを開閉するブザーの音がして、一気に意識が覚醒する。



 到着したバスは一般的なミニバン型のものだった。朝の通勤ラッシュ時だとシャトルバスしかこないので、きっと時間帯に応じて運行規模を調整しているのだろう。


 創平は軽く一礼して、後部座席に腰を下ろす。当然ながら乗客は創平しかいなかったので、車はすぐに発車した。この時間帯であれば、10分もかからず社屋に到着するだろう。



 運転手の初老の男性に創平は断りを入れると、先ほど買ったパンとお茶で簡単な昼食をとることにした。


 咀嚼しながら、スマートフォンのメールボックスを開く。フリーメールサービスと会社アドレスを連動させているため、いつでも内容がチェックできる環境に整えられているのだ。



 未読案件のほとんどがCc宛てだったので、目を通すだけでどんどん削除していく。最新の1件――土岐からのメール内容に、創平は眉をひそませた。


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From : meguri_toki

To : sohei asobe


創平くん


帰社したら、ちょっと時間いい?

相談したいことがあって。


喫煙室に直行しちゃダメだかんね。


土岐


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 くしゃり――パンの包装をコンビニ袋につっこんだ音が、意外に大きく社内に響く。バックミラー越しに運転手の視線を感じたが、創平は何食わぬ顔で車窓へ目をやると、不満を排出するようにそっとため息をついた。

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