4章 プロジェクトロンチは突然に

#16 業績説明会

 梅雨入りにはまだ早く、夏日へ向かって気温が上り始める五月末日。


 ランチ目的の会社員や買い物客でごった返す新宿駅南口の構内を、2人の女性が猛然と走り抜けていった。


「ほら、早く! もう電車きちゃってるよ!!」


 明るい色のボブカットを揺らしながら、スーツ姿の女性が後続(こちらは伸ばしっぱなしの金髪に七分袖のシャツ+ロングスカートと、対照的な格好をしていた)へ大声で呼びかける。2人は勢いそのままに小田急線の改札を通り抜けると、発車ベルが鳴る特急電車の中に、息を切らせて飛び込んでいった。


 直後、ドアが静かに閉じる。


「……ったぁー、あっぶなかったー!」

「こ、これ、乗り逃がしてたら、会社に戻るの……はぁ、はぁ、遅れちゃうところ、でした、よね」


 時間的に閑散としていた車内に、駆け込みを咎めるアナウンスが流れる。2人の女性――土岐恵利ときめぐり久利生巴くりうともえ――は、ばつが悪そうに視線を交わすと、肩で息をしながら手近の座席へヨロヨロと腰を落ちつけた。


「……はぁ、疲れた。もう、今日はほんっっっっとに散々な目にあったよ。お腹へったし。外は暑いし。本社の人たちの視線は冷たいし」


 土岐が手団扇で胸元に風を送る。久利生は座ったまま両腕と両足を伸ばすと、気遣うように微笑を浮かべて、


「蛯名についたら、なんか美味しいものでも食べてくっスか?」


 土岐はへらっと薄ら笑いを返しながら、


「アタシ、今日はこのまま直帰しても怒られない自信があるんだけど、どう思う?」

「うぉ……土岐さんの垂れ目が、すわってる……」


 及び腰になった久利生が、額の汗をぬぐっていたハンドタオルを握りしめた。土岐は髪をかき上げると、


「ごめん、ごめん。プレゼンって、全方位に神経を使うからさ――どうしてもカリカリしちゃうんだよね。しかも、しかもだよ? 今日、アタシが登壇するってこと、昨日のお昼まで聞かされてなかって、どーいうことなんだよ! ったく、あのハゲチクリンときたら、なにを考えてんだか、なーんも考えていないんだか」


 土岐は仰々しくため息をつくと、よほど頭にキているのか、「むきー!」と言わんばかりにバリバリと髪を掻きむしった。


 触らぬ神に祟りなし。久利生は「アハハ……」と愛想笑いを浮かべ、車窓を流れる風景に何気なく目をそらす。



 今日は2人とも、インバイト社主催の『全グループ合同業績説明会』へ参加するため、本社のある新宿に朝から直行していたのだった。正午過ぎまで時間が押してしまい、つい今しがた解放されたばかりである。



「いや、まぁね。今期にリリースしたタイトルって、トウアだとアタシらの案件しかなかったからさ。プレゼンタのお鉢が回ってくるってのも、まぁ分からんでもないんだけど」


 土岐が無作法に手と足を組み、背もたれにふんぞり返った。昨日から今朝に至るまで、自分の機嫌を損ねる出来事がいったい幾つあったことだろうと、ぼんやり妄想に耽る。そもそも、ネットワークで世界中が結ばれた現代において、なぜ本社は現地集合にこだわるのだろうか。土岐にはそれがまったく理解できない。


 社員一同が集まっているという体裁を整えないと、株主が納得しないとでも言うのであれば、


(それってつまり、上流の認識が遅れているってことでもあるんだよね)


 やれやれ、と土岐は目を瞑る。


 だいたい今日の説明会も、正直に言って有益なインプットは皆無だった。ウンザリするほどあいまいな言い回し(例えばストリーミング、クラウド、マルチ展開といった化石級の表現)ばかりで、辟易していたところである。実際、あの場にいたスタッフのうち、いったい何人がその本質まで理解して傍聴していたのだろうか――



「だけど、土岐さんのプレゼンは、聞いててすっごく面白かったっスよ。いろんな意味でドキドキしちゃいましたけど」


 久利生が妙にハキハキした調子で声をかける。土岐がむっつりと黙りこくっていたので、気を遣わせてしまったのかもしれない。


「――くふ。気がついちゃってた? ……だってさぁ、あんな面倒くさいこと押しつけられたんだもん。あれくらいは言ったって、バチは当たらないって思わないかい?」


 土岐はいつものように薄ら笑いを浮かべると、パチンと片目を瞑って答えた。


 一般的な感覚の持ち主であれば、飽き飽きするようなスピーチが続く中、土岐の発表は、ずいぶんと個性的ユニーク(悪く言えば恐れ知らず)に映ったことだろう。彼女はめったに見せない極上の笑顔で愛想を振りまきながら、前期の統括を冗談を交えてプレゼンしつつ――彼女の性格を知らないスタッフであれば、気づかれない程度に婉曲的な表現で――業績説明会の意義を皮肉っていたのだから。


 きっと、おそらく、まず間違いなく、後でお偉いさんから呼び出しを受けるだろうが、そんなことは知ったこっちゃない。


「あれって、断れなかったんスか?」

「ん? 登壇のこと? ――あ、いや。もちろん、そうしても良かったんだけどさ。代わりに無関係なヤツに出しゃばられるのも、なんか癪じゃない? 我がもの顔でヘンなこと喋られても面倒くさいしさ。それなら――って思っただけだよ」


 なるほど、と久利生が頷く。


「とはいえ。関連会社も含めると、すっごい人数だったっスよね」

「そだね。2000人くらい会場にいたんじゃない? 海外のグループ企業は、時差もあって録画した動画を視聴するみたいだけど」

うちトウアの業績……悪い意味で、目立っちゃってなかったっスかね?」

「へ? なんで?」


 土岐がキョトンとした顔で聞き返した。


「本社だって、一概に良かったって言えない内容だったじゃないか。想定外の事態をとり繕っている感じがして、アタシは危機感を感じたけどね」

「……んん? どうゆうことっスか?」


 久利生が小首をかしげるようにして、土岐を見つめる。


「営業利益の数字だけ眺めていると、たしかに本社も健闘していたように見えたけどさ。その内訳の説明ってなかったでしょ?」

「そっスね。でも、それがどう――」

「まぁまあ。落着きなって。あれってさ、ゲーム関連の売り上げを一括りに『デジタルエンタテイメント事業』ってまとめていたじゃない? だけどさ、本社だってパッケージタイトルを、当期だけで8タイトルもリリースしてたって知ってたかい? んで、300万本以上売れたタイトルが、一つだけときたもんだ」

「それって、遊部さんも関わっていた、新作の『ラスト・ファンタズム3』っスよね」


 すこしだけ声がうわずった久利生を、面白がるように土岐は見ながら、


「そそ。んで、30万本以上売れたのがあと一つ……だったかな。残りは1万本未満から、良くて10万本くらいしかサバけてないはずなんだよね」

「……あれ? それで損益分岐点リクープラインって、達成できるモンなんスか?」

「いやぁ無理でしょう」

「じゃあ、利益ってほとんどが、『ラスト・ファンタズム』のものってことに――」

「なっちゃうよねぇ」


 席に座ったまま、土岐が「んっ」と伸びをする。


 土岐は業績説明会、正確には『ラスト・ファンタズム3』の経過プレゼンをしていた本庄蔵人ほんじょうくらうどプロデューサのことを、ぼんやりと思い返していた。


 まず、まっ先に頭をよぎったのは、日本人離れした外見である。メディアで度々目にしていたが、透明感たっぷりな金髪に整った顔立ちと、ずいぶん日本人離れした印象だった。


 本社における史上最年少のプロデューサ。そういうふれ込みに懐疑的な目を向けていた土岐だったが、今日の発表内容や質疑応答の受け答えを見るかぎり、その実力は本物だったように感じている。むしろ、どのプレゼンタよりも格上の感性センスを秘めていたのではないだろうか。



 様々なメディアから称される――



 創平といい、本社のデキる若手はイケメンばっかりだなぁ、けしからん。土岐の思考が脱線しかけたが、部下の手前もあるので、そこそこで自重しておく。


「あー、こほん……で、さっきの会議でさ。そんなこと、ぜんぜん説明なかったでしょ? あれって、意図的に隠してる――いや、そんなわけないか。ん? あるのかな?」


 土岐が自問自答する姿を見て、久利生が苦笑を浮かべた。そして、


「そういえば、『完全新作!』って発表してた期待作もあったっスよね。発売当日にレビューが荒れちゃって、コケちゃったみたいっスけど」

「ふーん。まぁ、そんなことは、どうでもいいんだけどさ」


 土岐が微笑みながら、久利生の頭にそっと手を置く。


「会社がまとめたデータだからって、それを鵜呑みにしちゃいけないよ。表面を眺めるだけじゃなくって、こんどからは中身まで咀嚼してごらん。それができると、物事の背後関係とかいろんなことが、きっとクリボーにも見えるようになるからさ」


 久利生は目を大きく開いて、ほぅっと息をつく。


「すっご……まるで土岐さんが立派な大人みたい」

「なんだとこのやろう」


 土岐は久利生の頭の上にあった手を軽く握りしめると、ノックでもするようにゴンゴンと容赦のない裏拳をお見舞いさせた。

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