#7 ブリーフィング

Bug Report #1657の ステータス と 担当者 が更新されました!


Status: 未処理 ⇒ 開発受理

Responsible: none ⇒ ゲスト(遊部創平)


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「まぁ、やることは単純です。今回のケースだと、最善手は一つしかありません」


 更新されたバグトラック(煙草を吸っている隙に担当者になっていた。おそらく土岐の仕業だろう)を一瞥しながら、創平はシャツの袖をめくりつつ、そう宣言した。


 半日ぶりのニコチン供給で、脳の栄養補給も万全だ。心なしか躰も軽くなったような心持ちである。それとは対照的に、さきほど会議室に入ってきた一組の男女からは、全くといって良いほど生気が感じられない。



「あ、紹介しとくわ。このデッカいのが御法川みのりかわね。で、こっちの可愛い子が久利生くりうちゃん――創平くんのことは、さっき軽く説明しといたから。気にしないで話、進めちゃってよ」


 2人が椅子に座ったまま無言で頭を下げたので、創平も会釈を返す。



 男性は自分よりも少し年配くらいで、おそらくプログラマ――服装に無頓着かつ不衛生な有様だが、キータッチで酷使する指の爪はキレイに整えられている――と創平は推測した。


 かなり腹が突きでているのは、長時間のデスクワークに従事している証。顔だけでなくキャップからはみ出た長髪まで脂ぎっており、漂ってくる体臭からも、数日は泊まり込んでいる様子がうかがえた。



 そして、もう一方――女性のほうは、地味な装いと腰まで伸ばしたボサボサの金髪がミスマッチしていて、ずいぶん個性的な印象を受ける。俯きがちなので表情から判別し難いが、この中では誰よりも若く、業界経験が浅いスタッフだろうと創平は察していた。

 

 彼女が先ほどのメッセンジャのFrom差出人で間違いないだろう。珍しい名字だったのを創平は覚えている。洗練されていない文面と、業務連絡に顔文字をつかう非常識さは、社会経験の低さを示す『行動』であったし、先ほどから創平と視線を合わせようとしない態度も、トラブルから目を背けたいという『欲求』の顕れではないだろうか。



 2人とも酷い顔色である。ちょっとした所作からも、疲労の影が滲んで見えるようだった。先ほどから黙っているのも、新顔の創平に心情的な含みがあるからではなく、声を出すのが億劫なほど気力が尽きてかけているからに違いない。



「で、で! もったいぶってないでさ、どうやるのか早く教えてよ。納品まであと22時間――プログラムの修正もあるから、もうちょっと時間は少なくなるけどさ――どうやって35時間はかかるゲームの通しチェックを、明日中にやっつけられるっていうんだい?」


 1人、余力を感じさせる土岐が、ハイハイと挙手をしながら質問をする。2人へ状況を示唆する意図があからさまなのが微笑ましい。


 創平は少しだけ頬を緩めると、


「土岐さん、そういえば聞いてなかった事があるんですけど」

「うん? なんだい?」

「明日のデバッガって、何時から出社するんですか? いまの状況から、早朝出社とかあり得るのかなって思って」

「……あっ!!」


 土岐はハッと椅子から立ち上がり、


「クリボー、デバッガの子たちって、もう帰しちゃった!? ……って、そうだよねー!」


 久利生が躰を縮こませながら頷くのを見て、土岐は仰ぐように額へ手を当てる。


「しまった……これホントに失敗しちゃったかも」



 創平は壁掛けの時計へ視線を向けると、


「まぁ、たとえ定時出社だとしても……定時って10時でしたよね? 18時の〆切りまで、実際に10時間はデバッグ時間を確保できるんだから、問題ないでしょう。エンバグが見つかったとしても、カバーできる余地だって充分に作れますし」


 それを聞いた御法川と久利生が、そろって困惑の表情を浮かべる。状況の理解が追いつかないのか、視線があちこちに彷徨っていた。


 それを見た創平は、少しだけ声のトーンを落として、

 

「皆さん、お忙しいですから、早速対処の説明に入りましょう。といっても、特別なことはありません……答えはちょっと気づきにくいんですけど、すでに不具合報告に書いてあることですし」

「えっ、ウソ、どこ!?」

「ここです。ここ」


 創平がスクリーンに投影された不具合報告バグレポートの末尾、注釈部分をトントンと指で叩く。創平を除く3人が顔を寄せあって、一斉に覗きこんだ。


「備考のコメントを見てください。『マスターロム・デバッグロムの両方で確認』って書いてるでしょう? マスター直前のこの時期まで、デバッグロムを作っていたのは幸運でした。これさえ活用できれば、時間的な憂慮はいっぺんに解決できますからね」



 デバッグロムとは、文字通りデバッグ作業を円滑に進めるために用いられる、検証用ロムのことだ。提出用のロム(=マスターロム)に一手間加えて作成されたもので、特定の操作によって『デバッグコマンド』と呼ばれるコンソールが画面上に表示され、製品版では実行できない多種多様の命令・操作コマンドを自在に操作できる。


 開発環境のみで使用が許されるオフィシャル・チートツールだと思えば、理解しやすいだろう。



「……へ? あー、そう。いや、うーん。なんて言うか――」


 土岐が困ったような表情を浮かべると、残る2人と視線を交わしながら、言葉を探るように質問した。


「あのさ、創平くん……プラットフォーマに提出するマスターロムと、デバッグロムってさ。明確に言うとが違うじゃん?」

「ええ、もちろん」

「つまり、遠しチェックはマスターロムでやらないと、意味がない」

「おっしゃる通りです」


 創平が頷くのを見て、土岐が胡乱げに眉根を寄せる。


「え? いやだってさ。いま、デバッグロムを使うって――」

「あ、いやいや。ニュアンスが違います。たしかにデバッグロムは使いますけど、あくまで活用するだけです。それでチェックを済まそうなんて言ってません」


 今度はプログラマの御法川からも「はぁ? コイツなんぞ?」と苛ついた声があがった。その態度から(あぁ。これは解答だけじゃなく、解説まで必要そうだな)と創平は感じとると、


「あー、えっとですね……。マスターロムとデバッグロムは、おっしゃる通り明確な差異があります。でも、まったく同じ作りの部分だってありますよね?」


 その言葉に、今まで黙っていた久利生がハッと顔をあげる。


「……あ、あの。そ、それって――セーブデータのことじゃ」


 今度は土岐と御法川が、2人そろって「あっ」と息を吞む。


「その通り。『セーブデータ』だけは、マスターロムとデバッグロムであっても、まったく同じものを併用できなきゃ意味がない」


 正答者に対して創平は機嫌よく微笑むと、水性マーカを片手にホワイトボードへと近づいていった。

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