#3 胡乱げな開発ブース

「何はともあれ、状況を説明しよっか」


 ここじゃアレだから、と隣接する会議室へ移動するなり、開口一番に土岐が提案した。


 無人の室内には、飲みかけのペットボトルやメモ用紙がいくつも置きっぱなしになっている。経年劣化で黄ばんだホワイトボードは、雑多な書き込みで両面ともグチャグチャな有様だ。


「いやぁ、散らかっててゴメンね。さっきまでリーダースタッフたちと、いろいろ協議していたからさ。いまは休憩中――しばらく誰も入ってこないから、適当に座ってよ」


 じゃあ遠慮無く、と創平は断わりを入れ、土岐の斜め向かいに着席する。室内の様子を窺うかぎり、かなりひっ迫した状況だったのだろう。粘着質の汗を乾かしたようなストレス臭が、まだかすかに残っていた。


「じゃあ本題。実はさっき、ちょっとマズい問題が2つ起こっちゃってさ――っと、その前に」


 ずずい、と土岐が顔を寄せてくる。創平は反射的に躰を仰け反らせながら、ふわりと香った甘い匂いに(おや?)と怪訝な面持ちで目を細めた。


「ねぇねぇ。創平くん」

「――あ、スイマセン。ぼうっとして……えと、なんでしょう?」

「キミさ。どうして知ってるの?」

「……はい?」


 キョトンとする創平に、


「さっき創平くん、しれっと聞いてきたじゃん。『今ヤバいんすかー?』って。まだアタシ、トラブルのことチームの外に漏らしてなかったんですけど。いったいどこから嗅ぎつけてきたのかなーって思ってさ」


 土岐がぷくっと頬をふくらませ、上目づかいに睨んでくる。きっと箝口令でも敷いていて、それを破ったチームメンバがいるとでも誤解したのだろう。


 創平は少しだけ表情を綻ばせると、


「あぁ、それなら。ちょっと見ただけで分かりますって」

「……みて、わかる?」

「えぇ、ただ、それだけ」


 真っ直ぐに土岐の目を見返しながら答えた。それでも土岐は、胡散臭そうに眉根を寄せると、


「……ふーん……へぇ……ほっほーう……ね、ね。たとえば? どんな風に?」


 そう言って頬杖をつく。創平は困ったように頭を掻き、言葉を探すように視線を彷徨わせながら、


「そうだなぁ……なんて説明すればいいか…………分かりやすいところで言うと……まず、今日の土岐さんの服装がヘンだったでしょう?」

「なんだとこのやろう」


 妙にドスの効いた声と強い視線が、創平を射貫いた。


「あ、ちがっ……すいません、言葉が足りなさ過ぎました」

「乙女心への配慮もね」


 にっこりと笑う土岐を見て、創平が苦笑を漏らす。


「えっと、そもそも土岐さんって、普段はスーツみたいなカッチリした服装じゃないですか」

「そだよ。これでも管理職だかんね」

「だからこそ……って言ったら婉曲的すぎるかな……だいたい、現場職じゃないプロデューサがカジュアルな恰好で開発ブースに泊まり込むなんて、早々ありえない光景ですよね」

「うん、まぁ、それはそうだけど」


 土岐が頷く。動作と相反して、声音と表情には反発するようなトゲがあった。


「プロデューサが開発室に張りつくなんて、古今東西、『マスターアップ直前のタイミングで、なんらかの致命的なトラブルが現場で起こっている』時くらいなものじゃないですか。それも、数日前から泊まり込むようなトラブルであれば、僕じゃなくても不信に思いますよ」


 説明を咀嚼していた土岐が、ふいに首をかしげる。


「……え、あれ? そういえば、なんでアタシが泊まりだって分かったの? それこそ創平くんには言ってなかったよね?」

「髪が乱れてますけど、それって寝癖でしょ? あと、香水。普段はつけてなかったですよね――その匂いで分かりづらかったけど、けっこう汗臭いですし」



 瞬間、室内が静寂に包まれた。



 一拍遅れて「あっ」と失言に気づいた創平が、


「……いや、えっと。違くて。土岐さんが――とかではなくてですね、この会議室の中とか開発ブースが、って話であって…………」


 慌てた様子で取り繕うも、すぐにハングアップを起こしたキャラモデルのように動きが固まる。数秒後、創平は「足りてないのは常識もだったようです」と頭を下げて謝罪した。


 迅速かつ不器用な詫びコンボと、冷静沈着な創平が柄にもなくワタワタする様子が滑稽だったのだろう――呆然としていた土岐だったが、ついクスクスと忍び笑いを漏らしてしまう。


 創平は顔をしかめたまま(その内心はホッとして)頭を上げると、


「そもそも、開発ブースに入ったときから、なにかおかしいなって違和感はあったんです」


 そう言って、つっと視線を壁へと向けた。土岐もつられて一瞥するが、室内からでは外の様子を透過できるハズもない。開発ブースから聞こえてくる雑多な話し声が、遮音性の高い壁面を共振させて、籠もったような音を響かせているだけだ。


 困惑する土岐を見て、創平がポリポリと頬を掻く。


「ほら――開発ブースの騒音がここまで聞こえてるでしょ? これも時期を考えれば、ありえないんですって」

「え、なんで? 開発ブースなんて、いつだって煩いもんじゃん」


 創平はゆっくり首を横にふると、


「マスター前は、みんなピリピリしてますよね。そういう状況なら、小学生だって空気を読んで必要以上に静かになるのがだって思いませんか?」


 あっと土岐が声を漏らす。


「言われてみれば、確かに……うん、そう。そうだった。気持ちに余裕がないときって、なんでかそういう雰囲気になるもんだよね」


 土岐がサッパリした顔で首肯する。創平は小さく息を吐くと、机の上で両手を組みながら、


「マスターアップ直前の現場。そこで起こった大きなトラブル。で、異動早々の僕にまで協力要請ときたら、急ぎ案件しかないかなって――もう定時過ぎてますけど、力になれることがあれば手伝いますから、ひとまず状況を教えてもらって良いですか」


 ハッと目を見開いた土岐が、慌てた様子で席から立ち上がった。


「あ、ああ! そうだった。ごめん、ごめん。雑談なんかしている場合じゃなかったよ!!」


 土岐がスリープ中だったノートPCを再起動させつつ、室内の照明をオフにしていく。時おり暗闇から「あれ、どこだっけ?」と小さな声がしてから数秒後、ぶん……と振動音を伴ってプロジェクタが光を投影した。


 室内正面のスクリーンには、テキスト主体のD Bデータベースが映しだされている。


「これ、ウチの社内で使っているバグトラックなんだけどさ――お、あったあった。創平くん、ちょっとココを見てもらえるかい?」

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