1章 ゲーム制作でもっとも大切なこと
#2 出向初日
「ねぇ、
創平が本社から異動辞令を拝領し、出向先へ着任した当日の夜。
ざわつく開発ブースの一角、パーティションで間仕切りされた通称『お偉いさん席』にいた彼女――
気怠げだった創平の顔が、わずかに綻ぶ。
「……そんなザックリした質問じゃ、なんとも答えようがないというか、ナンというか」
「へ? なんでさ?」
「職種や立場、それに開発時期によって変わりそうなものでしょ、それ」
つっけんどんな物言いだったが、土岐は少しの物怖じすら見せず、あーだとか、むー? などと唸りながら、小首をかしげている。少しだけはねた明るい髪色のボブカットが揺れて、豊かな感情をふくんだ顔立ちがあらわになった。
「なんだよ、つれないなぁ……ははぁん、さては創平くん、人見知りしちゃう
ウリウリと指を突きつけられ、創平が思わず苦笑する。彼女も再開を喜んでいるのか、普段よりも距離感が近いように感じられた。
――土岐恵利。年齢は秘匿事項。創平より年上らしいので、三十路を少し過ぎた程度だと思われるが、見た目からはずっと幼い印象を受ける。
彼女は創平の出向先である子会社でプロデューサを勤めており、本社にも顔が利くやり手のキャリアウーマンとして知られていた。
なにより、彼をこの職場に
普段はバリッとしたスーツ姿しか目にしたことがなかったものの、今日はパーカにジーンズとずいぶんラフな格好で仕事をしているようだ。オフの日の普段着かもしれない。着慣れた服に特有する弛みが、そこかしこに現われている。
「まぁ、そんなこと、どうでもいいんだけどさ」
よっこいしょ、と声を出しながら、土岐が手近にある空席に勢いよく座った。ぞんざいな扱いを批難するように、椅子がギィッと軋んだ音をたてる。
「いやいや、社会人として仕事をする上で、一番重視すべきことはナニかってことをさ、これから同じ職場で働く仲間になる訳じゃないか。だからこそ、まず初めに聞いておこうかなって思ったんだよね」
創平はメガネを指で押し上げながら、
「フェーバーのため? それともアラーミング?」
「インタレストだよ」
「あぁ、それなら――」
自然と口もとに笑みが浮かぶ。土岐の思考の
「――利益。稼ぐことです」
土岐が一拍だけ呆けた後、吹きだすように笑い声をあげる。
「くっ! くふふふふふっ!! 一義的だなぁ。アタシは明確で好きだよ、その考え方」
土岐が腹を抱えて苦しげな表情のまま、服の袖で目もとを拭う。あまりの騒々しさに、周囲にいたスタッフが数人、何事かと怪訝な視線を向けた。
「……ちなみに、土岐さんはどうなんですか? プロデューサだったら――」
「当たらずも遠からずって感じだね」
土岐が笑いをこらえながら、多義的な表現で即答する。
この業界を夢見る子供や求職者から多大に誤解されているので前置きしておくが、ゲームクリエイタとはいえ企業に所属している限り、一介のサラリーマンでしかない。
いわゆる『芸術家』とは異なる生業なのだ。
堅気であるが故に、就業者として仕事の先に求められるものは、個人のエゴの充足などではなく、純然たる利益のみである。
金のためではなく、人様の喜ぶ顔が見たいとか、自身の作家性を世に問いたいと願うのであれば、面倒な就業など辞めて同人――今ならインディーズと呼ばれる市場で活動すべきだと、創平は本心から考えている。
「たださ、もっと広義に捉えるなら、他者間で取り決めた合意――約束を守ることだって、アタシは思っているよ」
椅子に肘かけたまま、土岐がクルクルと廻りだす。
「世の中には色々な仕事があるけどさ、最初に建てた
土岐の決め台詞(驚くことにポーズまで決めていた)に対し、創平は軽く相づちを打つ。そして、周囲をざっと一瞥すると、小さく咳払いして、
「共感すべき点はあるし、その辺りはもっと語りたいところですけど――ねぇ、土岐さん」
「ん? なになに、どうしたんだい?」
「いま、けっこう危ない状況になってますよね。僕なんかと雑談していて、大丈夫なんですか?」
「――ぅおっと」
土岐がピタリと動きを止める。垂れぎみの目をすっと細めると、
「……あー、分かっちゃった? やっぱり本社にいた人は違うねぇ」
情報早くてビックリしだよ、などと戯けながら、土岐が膝頭をペシッと叩いた。
「んー、これは放っときたくないなぁ。出向した当日、しかも定時後で申し訳ないんだけどさ――創平くん、これからちょっと時間いい? いいよね? いいって言え」
「あ、はい……えっと?」
土岐の手招きに応じて、創平が顔を近づける。胡乱げな創平の耳もとで、声のトーンを落とした土岐が、ナイショ話でもするように囁いた。
「このままじゃ、アタシが担当しているプロジェクトが破綻する。そう、何よりも大切な『約束』を、自分たちの手で破ってしまいそうな状況なんだ。業務命令だと思ってもらっても構わないから、創平くん――今すぐにでもアタシのチームへ合流してもらえるかい?」
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