第28話 肩こり

「清水さん、寝違えたんですか……?」


 ボーイングの練習をした週明けの日、璃緒が肩のあたりを何度も撫でている様子を見て、隣に座る茉莉花が心配そうに尋ねた。


「いや、そうじゃないんだけど……」


 璃緒はまずいなと思いつつ平静を装って答える。ヴァイオリンでちょっと首筋を痛めた、などと言ったら茉莉花が気にしてしまうことが目に見えて分かっていたからだ。


「無理な運動でもしたんですか?」

「ううん。多分、パソコンの作業をしすぎているだけだよ。気にしないで」


 そう言って笑う璃緒を、茉莉花はじーっと見ながら再び尋ねた。


「じゃあ、湿布は? 貼りましたか?」

「そこまでじゃないと思って貼ってないよ。それに湿布って臭い強くない?」

「最近は臭いがほどんとしないものも売ってますよ。よかったらおススメ教えましょうか?」


 スマホをぱぱぱっといじりつつも、視線を自分に向ける後輩の様子を見て、璃緒はそっと顔を背けパソコンと向き合う。


「ううん、やっぱり大丈夫。ありがとう」


 パチパチとキーボードを打ち始めるが、茉莉花はまだ璃緒見ているようで冷たい視線を感じる。


「……ど、どうかした?」


 ちらりと隣の席を見ると、今度は彼女がぐんと顔を寄せて璃緒に詰め寄った。


「さては清水さん」

「何……」

「ヴァイオリンで肩痛めたんじゃないですよね……?」


 璃緒はぎくりとしたが、先ほどと同じ顔を装って「違うよ」と言う。しかし茉莉花には通用せず、彼女は「やっぱり!」と言った。


「私に申し訳ないと思って、隠しているんだと思っていました! 私、気になって一応調べたんですよ」

「え、何を?」

「ヴァイオリンで肩がこるかどうかってことです! ヴァイオリンって、肩に載せて弾くじゃないですか。もしかしたら、もしかすると思って調べたら!」


 と言って、彼女はスマホの画面をずいと璃緒に向けた。

 勢いに驚きつつも、開かれた検索画面を見てみると、上から下まで「ヴァイオリンと肩こり」「ヴァイオリンとヴィオラ 肩こり・首こり」「ヴァイオリン 首の痛み」という項目がずらりと並んでいた。しかも下の方に行くにつれて「痛い」「体に悪い」などの見出しが多くなっている。


「わっ……すごいね……」


 確かにボーイングの練習をした後、筋肉が強張っていてヴァイオリンを肩からおろすのに苦労はした。ただでさえ一人で練習したのが初めてであるし、借り物の楽器ということもあり気を使ったせいもあるだろうと思ったが、どうやらヴァイオリンと肩こりや首の痛みというのは切っても切れない関係らしい。


(これはちょっと憂鬱な気分にさせる情報だなぁ……)


 まだ始まったばかりだというのに、前途遼遠ぜんとりょうえんな楽器である。

 しかし練習して首筋を痛めたものの、いいこともあった。

 それはボーイングで音が出たこと。弓の動かし方によって掠れることはあったが、音が出たことについては純粋に嬉しかった。


「なので湿布くらい奢らせてくださいっ」

「あはは、そういうことね」


 璃緒にヴァイオリンのレッスンを押し付けて、その上肩こりが起こっているなら、湿布を買って罪悪感を払拭したいというところだろう。


「私が清水さんに押し付けちゃったから……。いや、それなら私が習うべきだったといえばそれまでなんですけど……」


 しょんぼりして言う茉莉花を見て、璃緒はくすっと笑う。


「茉莉花ちゃんは優しいね」

「いや、全然です。清水さんに押し付けてる時点でそれはあり得ないです」

「まぁ、まぁ。そんなに自分を責めなくていいから。私も結構楽しんでいるし」

「え?」


 きょとんとする後輩に、璃緒は正直な感想を述べた。


「まだ始めたばかりだからなんとも言えないけど、ちょっとだけ素敵だなとは思っているんだよ」

「……」

「だから、押し付けたなんて言わなくて大丈夫」

 

 すると、茉莉花はほっとした様子で「はい」と頷いたので、「湿布が本当に必要になったら買ってもらうわ」と少しふざけた調子で言うと、彼女は「え~どうしよっかなぁ」とようやく笑みを浮かべたのだった。

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