第23話 思い出のメトロノーム

 璃緒はそこまで思い出すと、「そういえばメトロノームが必要だったのだ」ということに気づいた。そのためには、ヴァイオリンを自分の体から離さなければならない。


「ああ、ここもまた難題だよ……」


 璃緒は嘆息した。あのときは瑞樹が外してくれたが、ヴァイオリンのことを色々聞いているうちに、一人になったら自分でやらなくてはいけないことをすっかり忘れてしまっていた。


(どうしよう……。とりあえず、万が一落ちても影響が少ないように座るか……)


 璃緒は一旦、フローリングの上に正座をすると、右手に持っていた弓を外す。そしてゆっくりとヴァイオリンの下に右手を入れて持ち上げる。すると思った以上にすんなりと、体から離すことが出来た。


(よかった……)


 璃緒はとりあえず一つの工程を一人で出来たことに安堵する。

 本来は、常に左手で支えている「さお」の部分を持っていれば、ヴァイオリンを肩に載せることも外すことも容易なのだが、その「さお」を持つことさえおっかなびっくりである。そのため、慣れるまではこのようにして肩から外していくしかないと、彼女は思うのだった。

 ヴァイオリンを安全なケースの中に一度退避させると、立ち上がってメトロノームを探した。音楽にまつわるものは、大抵この部屋にある。ピアノはもちろん、楽譜に、父の趣味であるスピーカー、デッキ、プレイヤー、レコード、CDやコンサートが収録されているメディア。そういうものが全部ここにあるので、メトロノームもここにあるはずである。


(ええと、メトロノームは……、あった)


 探し物は、思ったよりも分かり易いところに置いてあった。

 アップライトピアノの上にある、ぬいぐるみの山のなかだ。ピアノの演奏や調律師が見たら怒られそうだが、一般家庭のピアノの扱い方なんて、どこもこんな感じではないだろうか。


(そもそもこのピアノの上が開くなんて、つい最近知ったことだし)


 璃緒は苦笑する。

 彼女は四歳から十五歳までの十一年間、ピアノを習い続けていたが、そんなことさえ習い事をやめてから知ったのだ。本当に何も知らなくて、苦笑するしかない。


 ぬいぐるみに紛れていたメトロノームは、ほこりを被っていた。しかし、さらっとしか積もっていないところをみると、母が定期的に掃除をしているか、朝輝が使っているかのどちらかだろう。

 璃緒は簡易的にティッシュでほこりを拭うと、本体の白い部分を手に取り、グレーの透明なカバーを外す。テンポは「96」に合わせてあった。


(……「96」か)


 この家でメトロノームを必要とするのは、ピアノを習っていた璃緒と朝輝だけ。彼が使った可能性もあるが、璃緒は「96」というテンポに見覚えがあった。


 今から十四年前。当時十三歳の璃緒が、ピアノのコンクールに出たときのことである。

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