第17話 GDAE

 全ての弦を一通り弾き、瑞樹が璃緒の手を動かすのを止めるとすぐに、彼女は彼を振り返った。


「先生、音が……!」


「ね? 弾けたでしょう?」


 瑞樹は璃緒の手から、自分の手を離しながら笑って頷く。


「ヴァイオリンには四本の弦が張ってあります。今、清水さんが見ている角度からだと、左からゲー線、デー線、アー線、エー線と言います。英語だと、ジーディエーイーですが、ドイツ語で発音するので、さっきのような言い方になります」


ゲー線、デー線、アー線、エー線……」


「そうです。ゲーはソ、デーはレ、アーはラ、エーはミの音になります。そしてこの弦を左手で抑え、右手の弓で弾くと、色々な音が出るようになっています」


 なるほど、と思い璃緒は頷くが、はたとあることを思い出す。

 確か「ヴァイオリンを弾きこなすのが難しい」のは、音程を取るのが難しかったことも理由の一つだったのではないか。


 璃緒は視線だけを動かして、ヴァイオリンの指板の部分をじっと見る。やはりがない。


「あの、先生」


「なんでしょう」


「今、先生は弦を押さえて色々な音を出すと言っていましたよね? ヴァイオリンにギターのようながないですけど、これでどうやって音を決めるんですか?」


 ヴァイオリンにギターのような「フレット」がないことは知っている。だが、それでもみんな弾けるようになっているのだから、何かしら方法があるのではないかと璃緒は想像した。

 それともヴァイオリンにはギターのフレットに代わる何かがあるのだろうか。

 その質問に、瑞樹はさらりと答える。


「慣れです」

「……え?」


 璃緒は自分の耳を疑った。今、彼は「慣れ」と言わなかったか。


「慣れです」

「な、慣れ?」

「はい。やっていくうちに、どこがどういう音がする場所なのか分かっていくので、フレットがなくても大丈夫です」


 その答えに璃緒は眉間に皴を寄せ、

「……本当に?」

 と、疑り深く聞く。


 しかし、瑞樹の反応は変わらずあっさりとしているものだった。


「本当です」


 疑う余地もないくらい、さらりと言ってのけるので、初心者の入り口に立ったばかりの璃緒は「そういうものなのか……」と思うしかない。


「それより清水さん、一旦ヴァイオリンを置きましょうか。そのままでは辛いでしょう」


 彼にそう言われ、璃緒ははっとする。

 ヴァイオリンが鳴ったことが感動的だったお陰か、体の緊張を忘れてしまっていた。


「そうですね……」


 しかし力を入れていたせいで、どうやってヴァイオリンから離れたらいいのかが分からない。


「えーっと、先生どこから外したら……」


 そういうと、瑞樹が手を差し出し「じゃあ、弓をまずこちらに」と言う。

 彼女がその指示に従い弓を瑞樹に渡したので、彼は次に「左手で指板の下の部分を掴んだまま、ヴァイオリンからあごを離してください」と言う。しかし、ヴァイオリンが落ちない状態にあるのは、顎が支えているからである。


 璃緒は少し不安になった。


「大丈夫ですか? 落ちませんか?」


「清水さんが左手を離さなければ大丈夫ですよ。肩にも載っていますし」


 そう言われたので璃緒は恐る恐る、瑞樹の指示にしたがってヴァイオリンから顎を外す。すると彼が言った通り、肩にも載っているせいか落ちる気配は全くない。


「はい。そしたら私にヴァイオリンをください」


 そう言われたので、彼女は肩に載っている部分を右手で持って、そっと自分の肩から外した。


「あれ? 思ったよりも軽い……」


 ヴァイオリンを両手で持ったのが初めてだったので、その軽さに思わず驚いてしまった。

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