第13話 二冊セットの教本

 二階のフロアは、一階よりも細かく部屋が分かれている。


 階段を上ると奥にレッスン室が二つあるほか、左側には小さな練習室が二つ、右側には休憩室とトイレが備えられていた。きっと一階のフロアが「グループレッスン用」、二階は「個人レッスン用」に設計したのだろう。


 璃緒は階段を上りきると、右手奥にあるレッスン室の扉をノックし、ドアを開けた。


「こんばんは」


 挨拶をすると、壁際にぴたりとくっ付いたテーブルの上で、ヴァイオリンの用意をしていた瑞樹が振り返り「こんばんは」とゆったりとした調子で挨拶を返す。


「どうぞ入って。よかったらそちらに掛けて下さい」


 瑞樹が示した小さい椅子に璃緒が座り、少しだけ他愛もない話をすると、彼は机の上からあるものを取り出し彼女に手渡した。


「さっそくですが、こちらが教本です」


 それは前回のレッスンのときに購入を承諾した教本だった。全体的に緑色をしたA4サイズの冊子である。表紙には『SUZUKI VIOLIN SCHOOL VOL.1』などと記載されていた。


「ありがとうございます」


 璃緒はお礼を言い、早速中身を見てみようと思ったのだが、もう一冊重なっていることに気が付いた。最初に見た冊子と見た目が全く同じ冊子が後ろから現れたので、彼女は小首を傾げる。


「どうかしましたか?」


 尋ねられたので、彼女は素直に聞いてみることにした。


「先生、教本が二冊あるみたいなのですが、これは別の方のですか?」


 璃緒は内心、瑞樹が間違って二冊渡したのかもしれないと思ったが、意外なことに彼は「いいえ」とやんわりと否定した。


「それは二冊でワンセットです」

「二冊で?」

「そうです」


 にこっと笑って頷く瑞樹に、璃緒は眉を寄せて考える。しかしその意味が思いつかなかった。


「どういうことですか?」

「それは、ヴァイオリンの演奏がピアノの伴奏と一緒に弾くことが多いからです。そのため教本も主旋律だけのものとピアノの伴奏用があるんです」

「ピアノの伴奏用……?」


「教本を開いてみると分かりますよ」

 そう言われて両方の冊子をそれぞれ開いてみる。すると片方は主旋律メロディーだけ、もう片方は主旋律に加えてピアノの伴奏が印刷されていた。音符の大きさも前者は大きめで譜読みがし易いサイズだが、後者の音符は全体的に小さく、ヴァイオリンの主旋律はおまけ程度にさらに小さく印刷されている。


「本当だ……」


 表紙の見た目はほとんど同じだが、中身は全く違っていた。

 これはピアノの世界にはなかったものだ。


 ピアノはたった一台だけで全てが成り立つ。幼い頃は複数の子たちと一緒に演奏をしてきたが、それを卒業してからは発表会もコンクールに出る時も常に一人だった。


 しかし、ヴァイオリンは違う。


 もちろん一人でものだろうが、普段から「誰かと一緒に演奏する楽器」なのかもしれないと、彼女は与えられた楽譜を見て思うのだった。

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