第7話 大川恵
♢♦♢
「清水さん、無理を言ってごめんなさいね」
瑞樹に会う数日前。璃緒が茉莉花の代わりに、大川恵に会いに行ったときのことである。
初対面の璃緒に対し、大川は夏らしい柑橘の果物がのったチーズケーキを用意してもてなしてくれたのだが、瑞樹のヴァイオリン教室の話になった途端、頭を下げて謝った。
璃緒は思わず立ち上がり、あたふたする。
「え⁉ や、やめてください! 大川さん! 急にどうされたんですか⁉」
「そういうわけには……。本当に、無理を言ってしまって申し訳ないわ。それに
そういうことか、と璃緒は彼女が謝った理由について納得してしまった。
確かに、そういう流れで璃緒がヴァイオリンのお試しレッスンを受けることになったが、まさかそれを大川に言うわけにはいかない。当然、璃緒は否定した。
「そんなことありません。私も木村も気にしていませんから大丈夫です。お手伝い出来ることだと思ったから承諾しただけで、出来なければちゃんとお断りしています」
「でも……」
「本当に気にしていませんから。どうかお顔を上げて下さい」
「……」
すると大川は、頭を上げてふっくらとした顔に少しだけ笑顔を浮かべた。
「ありがとう。おばさんの無理な話を聞いてくれて」
申し訳なさそうに言う大川に、璃緒は首を横に振る。
「そんな、私たちは別になにもしてません」
「私、調子乗ってしまったのよね。茉莉花ちゃんが気さくな子だから、頼みごとをしても大丈夫だと思ってしまったのよ。それは本当に悪いことをしたと思っているの。だから清水さん、本当にありがとう」
「……」
確かに茉莉花は、誰にでも打ち解けやすい性格だ。それがお客に好かれる理由なのだろうが、それは一方で諸刃の剣にもなり得る。
仕事で相手の懐に踏み込みやすい分、自分の方にも踏み込まれやすいのだ。そしてそれを茉莉花が望んでいないので、彼女は時折疲れた様子を見せることがある。断れることならまだしも、そうでないことになると辛い。
ちょっと意地悪なところもある茉莉花だが、それでもお客に対し精いっぱい誠意を尽くしている。だからこそ、気が合った大川のお願いを断れなかったのだろう。
(まったく、茉莉花ちゃんは……)
璃緒は心の中で小さくため息をつくと、席について大川に言った。
「今回のことは私の方が適任だったので、木村から提案されただけです。私は小さいときに少しだけ……ピアノを習っていたことがあったのでヴァイオリンを習うなら私の方がいいのでは、と。ヴァイオリンは、習い事でピアノなどの音楽をしていないと難しいと聞いていましたから」
「まぁ、そうだったの」
「はい」
大川の笑みが先程よりも柔らかくなった。
「ヴァイオリンは、そうね。何かしら楽器を習っている人の方が、比較的始めやすいとは言うわね。大人になってから始めるのは難しい楽器の一つだから」
「はい」
大川は、よくデザインされた花柄のティーカップに入った紅茶を一口飲む。一つひとつの所作が丁寧だなと、璃緒は思った。
「でもね。弾いてみたいという気持ちがあれば誰だって、いつだって、どんなに歳をとったって出来るようになるのよ」
「そうなのですか?」
「ええ」
大川は深く頷いた。
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