第8話 支援者の期待
「ヴァイオリンを六十歳で始めた人もいるし、娘のために買ったピアノだけれど、誰も弾かないから自分で弾いてみようって思って、弾けるようになった人もいるのよ」
「それは……、凄いですね」
璃緒が心から驚いたからだろう。大川はふふっと嬉しそうに笑う。
「でもね、そうなるにはきちんとした指導者が必要だと私は思うの。もちろん、中にはひとりでに弾けてしまう人もいるけれど、ヴァイオリンは一人で弾きこなせるようになるには難しい楽器なのね」
「はい」
そして大川は、少し表情を曇らせこう言った。
「だけど、この小さな田舎町にはヴァイオリンの指導者がいないの。ヴァイオリンの指導者だけじゃない。ピアノの指導者だって少ないのよ」
「あまり音楽系の習い事をさせたいと思う人がいないのではないでしょうか。だから、指導者もここには来ないのかもしれません」
璃緒の推察に対し、大川は頷いた。
「そうね。その通りだわ。でも、ヴァイオリンやピアノと言った楽器を『習いたい』という子どもや大人たちのチャンスを、少しでも作りたいのよ。隣の市に行けばいると言うけれど、社会人ならまだしも習うのが子どもなら親御さんは大変でしょう。『通うのが大変だから』と言って習えなかったらすごく残念だわ」
「じゃあ、大川さんはこの町のことを考えて音楽家の支援を?」
すると大川は苦笑する。
「結果的にそうなっているだけで、傍から見ればただの金持ちの道楽よ。ただ、私はこの町に生かされているから、少しだけ役に立てればとは思っているの」
「そんな、道楽だなんて……」
「本当にそうなのよ。気にしないで」
「……」
璃緒が心配そうな顔をしたからだろうか。大川は柔らかな笑みを浮かべて、こんなことを言った。
「環境を作ることは、お金があればできるわ。それは私にとって簡単なこと。けれど、生徒さんを集めることはね、そう簡単にできるものじゃないわね。その人のやる気は必要だし、道具も揃えなくてはいけないから、中々集まらなかったのよ」
「今は何人の生徒さんが通われているのですか?」
「幼稚園から高校生までを入れて六人かしらね」
「少ないですね」
「そうよね。瑞樹さんもマイペースな人だし、稼ぐ意欲があるのかのかなんなのか分からないのだけれど、このままじゃねえ……」
「じゃあ、木村に頼んだのは……?」
「レッスンに通う人が増えるまで、お試し期間中のレッスン代は私が持つことにしたの。ただ支援っていっても、お金を渡すだけじゃ意味がないから。レッスンに来てくれている人の分を私が負担して、彼に教えてもらうことにしているの。生徒さんは三か月もレッスンを試すことが出来るし、瑞樹さんは私から支援金を貰える。それに、もし生徒さんが彼のレッスンを気に入れば続けてくれることになるでしょう。上手くいくか分からないけれど、私はそれを期待しているの」
「……そういうことだったんですね」
♢♦♢
その時レッスン室の扉が、ゆっくりと開いた。
「すみません、お待たせしました」
そう言って戻って来た瑞樹の手には盆があり、その上にお茶の入ったコップが二つ載っている。
(お茶を取りに行っていたんだ……)
璃緒は瑞樹のことを視線で追いつつ、そう思った。
「冷蔵庫が一階の事務室にあるので取りに行っていました、すみません。暑いですし、良かったらどうぞ」
そう言うと、瑞樹は璃緒の前にコップを一つ置く。すると入っていた氷が、カランと鳴った。
「ありがとうございます。いただきます」
璃緒は早速、瑞樹が出してくれたお茶を飲んだ。ひんやりとしていたお陰で、ヴァイオリンを持った際に緊張して発した熱が、柔らかく冷えていく。それは中々に心地が良かった。
「おいしいです」
「それはよかった」
瑞樹は璃緒の前に座ると、「レッスンの回数なのですが」と切り出した。
「月何回なら来られますか?」
彼女は、中身が半分になったコップをテーブルに置きながら答える。
「仕事があるので……、多くても二回くらいだと思いますが」
「分かりました。では、二回にしましょう」
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