第4話 支援者からの依頼

「……ヴァイオリン?」


 思いがけないワードに聞き返すと、彼女は静かに頷いた。


「大川さんが所有しているアパートの中に、『ミューズ』という名前の建物があるのは知っています?」

「うん」


 璃緒は大川の担当になったことがないので詳細までは知らないが、アパートの名前と場所だけは知っている。他の取引先へ向かう通り道にあるため、よく見かけるのだ。


「そこには大川さんが支援している、音楽家たちが住んでいるんです」

「音楽家?」

「演奏家や作曲家の人たちです」

「へぇ、それは知らなかった」


 資産家であるため、何かしら事業なども行っているだろうと思っていたが、まさか「支援」をしていることは思わなかった。


「感心している場合じゃないですよ。そこに住んでいる人の中に、一之瀬さんという方がいるらしいのですが、その人はヴァイオリンを教えているそうなんです」


 璃緒は、大川が支援しているのは演奏だけではなく楽器の先生もいるのだと思い、何気なく「へぇ」と頷く。


「でも、生徒さんが少なくて困っているとかで。そもそも、小さい子が習いに来ていてもボランティアみたいな感覚でしているらしく、全然利益を得ようとしていないんだそうです」


 璃緒はその説明に眉をひそめる。


「でもそれって、本人の問題でしょう? お金欲しかったら、ちゃんと生徒さんからもらえばいいと思わない?」


 璃緒のもっともな指摘に、茉莉花は困った顔をする。


「そうなんですけど……ヴァイオリンって難しいって聞くじゃないですか。というか、難しいそうなんです。簡単には弾けない、みたいな。ピアノだったら結構習っている子いるみたいなんですけど、ヴァイオリンってなるとハードルが高く感じるらしくて、生徒さんが増えないらしいって大川さんが言っていました。だから、今いる生徒が離れていかないように、ボランティア活動みたいなことをしているって……」


「それで茉莉花ちゃんに、『生徒にならないか?』って声を掛けたってこと? でも、大川さんって色々な知り合いがいそうなのに、何でわざわざ茉莉花ちゃんだったんだろう?」

「分かりません。頼みやすかったのかな……とは思いますけど。大川さんは音楽が好きだから支援活動しているわけなので、多分、私にもそういう楽しさを味わってほしいって思っているような気がします」


 璃緒は腕組みをして「そっか……」と呟く。


「だけど、無理なら無理って断ればいいじゃない。仕事の付き合いだからって、そんなことまでしなくていいんだよ? 月謝だって払わないといけないんでしょう?」

「それが三か月間は体験レッスンとして無料にするって言うんです……」

「三か月も……?」


 無料お試しでも最大一か月だろう。それを三か月とは。逆に始めてしまえば続けざるを得ないような期間である。

 璃緒の反応に、茉莉花はううっと唸る。


「大川さんは『合わなかったら、辞めていいから。まずは試しに一回やってみたらどうかしら』っていうんですけど、やるなら最低三か月は絶対にしないとですよね……? だって、無料なのに……。清水さん、私、どうしたらいいでしょうか?」

「どうしたらって言ってもねえ……」


 璃緒は嘆息した。

 三か月無料と言うのは、ヴァイオリンを習ってみたい人にとっては魅力的だが、そうではない人にとっては、得することは何もない。

 それに楽器は習っていたから上手くなるものではなく、自分で自主練することも必要だ。つまり、自分の時間を割くことになる。


「茉莉花ちゃんはさ」

「はい」

「そのヴァイオリンのレッスンには行きたいと思ってるの? それとも行きたくないの?」


 茉莉花の意思をきちんと確認するために、質問をした。すると、彼女は渋い顔をする。


「レッスンはお断りしたいです。でも、何だか申し訳なくて。訪問すると大川さんが私とお話するの『楽しい』って言ってくれるので、好意を抱いて下さっているのに『お断りします』って言えなくて……」

「じゃあ、習ってみたら? 三か月無料なんだし」

「うーん……でも、えー……。……支店長に相談してみます?」

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