第3話 後輩の相談事

 清水璃緒は、山野内市やまのうちし青木町あおきちょうにある共済保険を取り扱う「瀬戸ノ組合」で働いている。


 一般的な会社が新人社員や中途採用の社員が企業に入る時「入社」というが、彼女の組織では「入組」という。よって彼女は、入組して五年目の職員だ。


 職種は「営業」。そして共済は、株式会社の組織が販売している保険のように保障を売りにしているが、目的や運営方針がそれとは少々異なる。


 顧客のことを「組合員」と呼び、その「組合員」の誰かが困った際、他の組合員全体で助けるという「相互扶助」の方法によって、共済金を支払うという仕組みになっている。そのため保険会社とは違い「非営利事業」に分類されているのだ。


 しかし一人の顧客、つまりは組合員を助けるためにはその他大勢の組合員が必要なわけで、ここでも保険会社とは変わらず地道な営業活動が必要とされている。


 また、昨今は保険会社に対する不信感も現れてきているため、簡単には加入してくれないこともあり、顧客を維持するのは昔よりも難しくなっているのだった。


「清水さん」

 璃緒は名を呼ばれ、隣のディスクに座っている後輩に顔を向けた。

「うん?」

「あの、大川さんの契約の継続なんですが……、私の代わりに行って頂けませんか?」


 お願いされると同時に、渡された契約書の内容を見る。

 契約者の名前は、大川めぐみ

 不動産賃貸業によって生計を立てており、璃緒がいる東川支店の中では有名な大口取引先だ。

 彼女は契約書から視線を後輩に向けると、少し驚いた様子で尋ねる。


「どうしたの、茉莉花まりかちゃん。大川さんの所、いつも美味しいお菓子が出るからって、訪問するのを楽しみにしているじゃない」


 大口の取引先には、用はなくてもひと月かふた月に一度顔を出すようにしている。営業側にすれば大勢いる組合員の一人でしかないが、相手にとっては一対一。関りが薄くなってくるとそれだけ関心がないと思われてしまい、他社へ流れてしまうこともある。もちろん何か変化があったり、共済で支払いができる出来事があったりすればその相談にも乗れるため、定期的に訪問を行っているのだ。

 その中で大川恵のところは、特に若い職員に人気の訪問先である。


 まず、家が大きい。お金のある家だから当然なのだろうが、一般家庭から出てきた人たちから見れば、まるで映画の中で出てくるお金持ちの家かと思うほどである。


 またお手伝いさんが常時二人いて、その人たちがいつも家の中を掃除していることからとにかく清潔で塵一つない。その上、大川家の人間は大らかで気取った態度も取らないし、世間知らずの新人にも寛大な心で受け入れてくれるので、ストレスがないだけではなく社会勉強にもなる。


 そして、訪問する者が最も楽しみしているのが、もてなされる茶菓子。それらはどこから購入して来るのか、見た目も味も一級品のものばかりで、田舎町のはずなのにどこからこんなものが出て来るのか不思議なくらいだ。


 璃緒は担当になったことがないので、歴代の先輩に聞いた話でしかないのだが、営業担当であれば絶対に外したくない営業先のはずである。この仕事の中では中々珍しい類の顧客であるため、彼女が「代わりに行って欲しい」というのが意外だったのである。


「そうなんですけど、ちょっと別の予定が入ってしまって……」

「予定? 被らないように出来なかったの?」

「うーん……」


 はっきりとしない言い方をするので、璃緒は彼女が何かを隠していると感じた。璃緒はキャスター付きのイスを近づけて追及する。


「何か行けない事情があるの? もしかして、大川さんのところで嫌なことでもあった?」


 大川氏に問題があるとは考えにくいが、最初から茉莉花が悪いと決めつけるのはいけないと思いそう尋ねる。


「嫌って言うか……断れないことがあって……」

「断れないこと?」


 話が見えて来ず訝しげに聞きかえすと、茉莉花は璃緒に顔を近づけ小声で言った。


「このままだと私、ヴァイオリンのレッスン受けさせられそうなんです……」

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