四日目

 今日は、自然に目が覚めた。

 特に何か良い夢を見ていた記憶もないのだが、不思議と心が温かくすっきりとした目覚めだった。

 隣を見ると間抜けな顔をしたサヤが俺の腕に抱きついて寝ていた。腕を引き抜こうとするが、強固に回された彼女の腕はまるで手錠のようで、むしろ引き抜かれることに抵抗するかのようにさらに締め付けてきた。

 思わず笑みがこぼれる。しばらくこのままでも良いかなと思ったが、頂点より若干低い位置にある太陽が窓の外から覗いていることに気づき、流石に寝すぎだと考え直す。名残惜しいがそっと起こすことにした。

「おい、もう起きろ。何時かわからんが多分午後だぞ」

 そっと身体を揺すると、充分な睡眠を取ったからなのか、サヤはあっさりと目を覚ました。

 目が半開きの状態で、片腕を俺に巻きつかせたまま伸びをする。

「ふあっ…おはようございます」

 ひとつ欠伸をすると、また両腕で巻きついてきて、横になったまま俺をジッと見つめた。

「なんだ…?起きろよ」

「じゃあ起こしてください」

 ニヤッと隠すつもりのない悪戯心が丸見えの笑みを浮かべてそう言った。仕方なく身体を起こして引っ張り上げる。キャーッと楽しそうな声を上げながら引っ張り上げられたサヤが、そのまま立ち上がった俺の腰元に後ろから纏わりついてきた。寝起きだと言うのに、やけにテンションが高い。まだ寝ぼけているのだろうか。

「寝坊したから適当にインスタントラーメンでもいいか?」

「りょうかいでーす。じゃあ私は野菜炒めまーす」

 まだ腰に纏わりつくサヤが頭で俺をぐいぐいとキッチンへ押していく。

「なんかお前、性格変わってないか?」

「いいじゃないですか。あなたと私の仲じゃないですか」

 出会って四日の薄い仲じゃないか、と言おうとして口を紡ぐ。よく考えたらコイツは数年のあいだ自宅で軟禁状態で、身内以外と交流がなかったのだ。俺にとってはたった四日でも、コイツにとって家族意外の人と過ごす四日間の密度は大変濃いものなのかもしれない。

「それに…」

 少し落ちた声のトーンに振り返ると、サヤは顔を隠すようにして俺の背中に顔をうずめていた。

「なんか、死んだお父さんと一緒にいるような感じがして」

 穏やかな声で告げられたその言葉を聞いて、俺はやっと気付いた。やけに距離感が近く感じた事や、昨日は突然風呂場に乱入してきたのは、俺と死んだ実の父親を重ねたためだったのだ。

 うずめた顔からチラリと片目だけ覗かせてこちらを見上げるサヤに思わず笑いそうになる。

「それじゃあ、そんな料理の苦手なお父さんに美味しい野菜炒めのコツを教えてくれないかな?」

 頭に手を乗せられたサヤは、うずめていた顔を上げ、

「しょうがないなー」

 と、言いながら満更でもなさそうな顔をした。

 コイツが望む限り一日でも長い間、一緒にいてやりたいと思った。

 そして不思議なことに、俺は今、生きがいのようなものを感じていた。こんな感情を抱いたのは、小説の仕事が上手くいっていた時期以来だった。

 しかし、そんなささやかな願いは呆気なく奪われていった。その時がすぐそこまで迫っていたことに、俺は気付いていないかった。

 

 

 昼食を終えて、ベッドに座りくつろいでいる時だった。

 サヤと室内で過ごす時間が増えることを考えて、俺は小さめのソファーで手頃なものがないか、スマートフォンで探していた。キッチンで洗い物をしていたサヤがそろそろ戻って来るかというタイミングだった。サヤに好みのデザインを聞いて、二人で決めようと考えていた。

 正面では特に見たい番組もなくつけっぱなしにしていたテレビが、夕方のニュース番組を映していた。さっきまで流れていたニュースは世間を騒がせた大物政治家の汚職事件のニュースだった気がするが、ソファー探しに夢中で聞き流していたためよく覚えていない。しかし切り替わった次のニュースは、目を疑う内容だった。

 『…次のニュースです。昨晩◯×県◯×市内の山中で発見された遺体の身元が判明致しました。遺体は損傷が激しく身元の特定が困難であったものの、DNA鑑定を行った結果、同市内に住む河部サヤさん(十一歳)と判明致しました。なお河部サヤさんは今月◯日から行方不明となっており捜索願いが…』

 聞き馴染みのある名前に反射的にテレビの画面を見て、そこに映し出されている顔写真を見て固まった。そこに写っていたのは、五歳くらいだろうか、まだ小学校にも上がっていないような女の子の写真ではあったが、それは紛れもなくサヤの幼少期であろう写真だった。

 突然のことに意味がわからず、しばらく呼吸をすることすら忘れていた。ハッとしてゆっくりとキッチンの方に顔を向けると、洗い物を終えたサヤが服の裾を握りしめて、俯いて立っていた。

 

 

「…ごめんなさい」

 その声は震えていた。

「騙していて、ごめんなさい」

 その肩も、小さく震えていた。

「なんで…」

 思わずそう口にしたのだが、何に対するなんでなのかは自分でもよくわかっていなかった。

 サヤはしばらく口をつぐんでいたが、やがて二度ほど深く深呼吸すると、ゆっくりと口を開いた。

「あの日…お父さんはすごく機嫌が悪かったんです。いつものように朝からテレビを見ながらお酒を飲んでいました。いつもと違ったのは、お酒の買い置きがなかったことです。そして、お母さんが急いでお酒を買いに出かけている時でした。お父さんはお酒を切らしていることが分かると鬼のように怒りだしました。普段から怒っている姿は見ていたし、殴られるのもいつもの事でしたけど、あの日の怒り方は尋常ではありませんでした。私を掴み上げて、蹴り上げて、踏みつけて、それでも怒りは収まりませんでした。お父さんは手近にあるものを投げてくる癖があるんです。その日もそうでした。最初はリモコンでした。それが私の頭に当たってしまい目の前がよく見えなくなって、気づくと父はアイロンを振り上げていました。避けようと頑張ったのに、身体が思ったように動かなくて…。まっすぐ飛んできたアイロンは、私の左目に当たりました。嫌な感触と一緒にすごい痛みがありましたが、目が痛いのか頭が痛いのか、よくわかりませんでした。そのままよくわからない痛みに悶えている私へお父さんは近づいてきて、床に落ちたアイロンを拾い上げました。お酒が入っているお父さんの暴力は止まりません。ここまで暴力がひどくなってくると、いつもはお母さんが庇ってくれるのですが、その日はお母さんはいませんでした。お父さんを止められる人は誰もいなかったんです。お父さんは、なにかよくわからないことを叫びながら、拾い上げたアイロンで何度も私を殴りつけました。最初は手で頭を庇うように守っていたんですけど、指の骨はすぐに砕けて、腕の骨は折れて力が入らなくなり、やがて守るものがなくなった頭目掛けて、アイロンは何度も何度も振り下ろされました。その頃には頭が揺さぶられる音と、うるさい耳鳴りで、お父さんの叫び声は聞こえなくなっていました。視界も真っ赤で、流れた血で赤いのか、視界がおかしくなったのかもわかりませんでした。だんだんと意識が朦朧としてきて、気付いたら私は、頭が潰れてもなお殴られ続ける『私』を見下ろしていました。そこで私は死んじゃったんです。お父さんに、潰されてしまいました」

 俺の目を見ることもなく、俯いた体勢のままそこまで喋り切ると、また口をつぐんでしまった。

 俺は頭の整理が追いついていなかった。サヤはすでに死んでいる。それも、出会ったときには既に。今朝、俺の腕が感じていた温もりを思い出した。腰に纏わりつかれた時の重みを思い出した。全ては俺の幻だったのか?どこからが幻で、どこまでが現実なんだ?

「どうして…」

 俺の発声に、サヤはビクッと肩を震わせた。俺に怒られ、見捨てられることを怖がっているのかもしれない。その様子は、まるでここに来た初日に見た光景にそっくりだった。

 どうして。聞きたいことは沢山ある。が、順序立てて聞いていかないとわけがわからなくなりそうだった。

「どうしてあの日、あそこにいた?」

 始まりはアパートのゴミ収集スペースにサヤが蹲っているのを俺が発見したことからだ。なぜあそこにいる必要があったのか。

「なにかを待っていたのか?」

 相変わらず俯いた姿勢のままで、足元に落とした視線が右に左に動いている。なにか返答に困るようなことでもあるのか。

「なにか秘密にしたいことがあるのか?」

「違うんです…なにかを待っていたのはそうなんですけど…」

 パッと顔を上げたサヤと一瞬目があったが、すぐに視線を逸らされてしまう。

「…お父さんを待っていました」

 父親を?

「私を運ぶための、車を借りに行ったお父さんを待っていました…」

 一瞬なにを言っているのか理解できなかったが、先程のニュースを思い出す。市内の山中で発見された。サヤを山に捨てに行くためにレンタカーか何かを借りに行ったのか。

「だからって…なんであそこで待つ必要があった?」

「あそこから動けなかったんです」

 動けなかった?

「あそこには『私』がいたんです。だから、離れられなかった…」

 まさか。またもやニュースの内容を思い出して、最悪の事態、鬼畜の所業が頭をよぎる。DNA鑑定が必要なほどに、損傷の激しい遺体。

「私が死んだ後もしばらく殴り続けたお父さんは少し理性が戻ったようで、何かぶつぶつ言いながらゴミ袋を持ってきました。でもゴミ袋なんかに人間が入るはずもなく、何度か袋に入れようと試していましたが、やがて諦めて私の身体を引きずってお風呂場に向かいました。そして工具箱を持って来ると…私を解体し始めたんです」

 吐き気がした。俺の想像通りの、いや俺の想像以上の仕打ちを、サヤは受けたのだ。俺の手は震えていた。サヤの言葉が、頭の中を反響するように掻き乱していた。

「お父さんが『私』から外した腕と脚を袋に詰めている時に、お母さんは帰ってきました。玄関を上がって、明かりの付いているお風呂場を覗き込んで、胴体だけになって床に転がった『私』と目があって、お母さんは崩れ落ちていました。不思議と、声を上げたりはしなかったです。もしかしたら、声を上げる体力が、すでになかったのかもしれません。そして、お父さんは床に座り込んだまま放心しているお母さんを小突いて『処理』を手伝わせました。お父さんがノコギリで首を切り離そうとしている間も、お母さんは無表情に『私』の目をじっと見つめていました。あんなに私を見つめてくれたのはすごく久しぶりで、少しだけですけど嬉しかったです…。そうしてバラバラになった私を袋に詰め終えるとお父さんはシャワーを浴びて自分の身体についた血を洗い流したのですが、身体が綺麗になると『私』の臭いが気になったみたいで、すぐに山に捨てに行くという話をお母さんにしました。レンタカーを借りて来るから、外に袋を出しておくように、と。それで、私の身体の入った袋は他のゴミと一緒に、あそこに置かれていたんです」

 いつのまにか顔を上げていたサヤは、まるで子供に紙芝居を聞かせるかのような、淡々とした口調で話し終えた。部屋が静寂に包まれ、アナログ時計の針の音だけが室内に響いている。到底受け入れられるような話ではなかったし、なんと声をかければいいのかもわからなかった。

 それを察したのか、サヤはまた静かに口を開いた。

「…騙そうと思ったわけじゃなかったんです。ただ、死んだはずの私にあなたが声をかけてくれて、私がちょっと混乱しているうちにお家に入れてくれる流れになって…。本当はすぐ打ち明ければよかったんですけど、あの日食べたカップラーメンが、食べることができたカップラーメンが暖かくて…」

 静かに俺のもとに歩いて来ると、座った体勢の俺の頭を、サヤはそっと抱いた。暖かかった。本来聞こえるはずの心臓の鼓動の音は、聞こえてこなかった。

「あなたがこうしてわたしに触れることができるのは、あなたが私を受け入れてくれているからでした。あなたが恵んでくれた食べ物を私が食べることができるのは、あなたが私を認めてくれているからでした。人間でいることを。一人の女の子でいられることを。理屈は私にもわかりません。それでも、ただの肉の塊となった私を人間にしてくれたのはあなたでした。…でも、それも、もうおしまいです」

 顔を上げると、サヤは涙を流していた。落ちてきた涙を、俺の頬は受け止めた。

「ずっと、ずっとここにいればいい。お前が本来いない者なのだとしたら、逆に不都合な事がなくなった。お前はここにいられる。ずっとここにいられる」

 ふるふるとサヤが首を横に振る。

「もう、できないです。あなたは真実を知ってしまいました。今はまだそれを受け入れてられていないだけで、心の整理がつく頃には、あなたの中で私は『死んだ人』になってしまいます。そうすると、あなたは私が見えなくなります。もちろん触ることも。だから、多分明日くらいには、お別れです。シンデレラだって一晩しか魔法が保たなかったのに、私は五日間も魔法が保ったんですよ。十分すぎるくらいです」

 噛み締めるように俺に告げるその言葉は、俺には自分自身に言い聞かせているようにも聞こえていた。明日にはこのシンデレラは消えてしまい、もう触れることもできなくなる。そう思うと、自然と手が伸びて、サヤの身体を抱き寄せていた。俺は身体全体で、サヤの温もりを感じた。

「強がっているのがバレバレだぞ」

 俺も精一杯の強勢を張った。

 サヤの肩が震え出し、それはやがて嗚咽に変化した。俺の肩を濡らしていくその涙は、確かな熱を帯びていた。

 

 

 俺の腕の中で泣きじゃくっていたサヤが泣き疲れて眠ってしまった後も、俺は彼女の重みを確かめるように抱きしめ、決して離さなかった。目を瞑り、彼女の吐息を忘れないように耳を澄ませ、彼女の匂いを忘れないようにしっかりと抱きしめた。

 そうしている内に、いつの間にか俺も眠ってしまっていた。外を通り過ぎていく車の音で目を覚ます。まだ腕の中で眠り続けるサヤの頭をそっと撫でると、彼女は俺の胸に顔を擦り付けた後、ゆっくりと目を開けた。

「おはよう」

 頭を撫でつけながらそういうと、返事をする代わりに彼女の腹が一度鳴った。気恥ずかしそうに口元を緩めて、彼女は顔を隠すようにして俺の胸にさらに顔をうずめた。

「まだちゃんと、お腹は空くみたいです」

 その言葉と一緒に、二度目の腹の音が聞こえてきた。

「飯にするか」

「それは良い考えです。ご飯にしましょう」

 サヤは俺の背中に回していた腕を名残惜しそうに解き、膝から降りた。

「なにが食べたいですか?一般的な家庭料理なら大体作れるので、なんでも言ってください」

「それなら、オムライスの作り方を教えて貰ってもいいか?昨日言っていた親父のオムライス、代わりに俺が作ってやるよ」

 サヤはちょっと驚いたような顔をしていた。

「そんな話、よく覚えてましたね。きっと、また私がほとんど作ることになりますよ?」

 意地悪そうに笑うサヤの頭をぐしゃぐしゃとかき回した。

「そうはさせない。お前には作らせんよ」

 そこから、使う材料と味付けの仕方をサヤから聞いて俺は一人でオムライス作成に取り掛かった。カレー作りで包丁の使い方には慣れていて、味付け自体もケチャップだけで十分だったため苦労することはほとんどなかった。本当は塩コショウで味を整えた方が美味しいようだが、そういう変にアレンジを利かせるのは失敗の元となるため手は出さないことにする。

 食材を切っている間、そばで見ていたサヤはうずうずと手を出したり引っ込めたりしていたが、その度に俺が視線で「手を出すな」と牽制していると手を出さなくなった。代わりに俺の腰に手を回して後ろからしがみついてきて、サヤを引きずりながら料理をすることになったが悪い気はしなかったため、そのまま続行した。

 そうこうしながら、オムライスは完成した。

「ほら、できたぞ。どうだざまみろ。向こう持ってけ」

 したり顔でオムライスの皿を押し付けられたサヤは、片方の眉を上げながら評論家のような顔をして

「うーん、形は悪いですが、香りはまあまあですねぇ」

 と、誰だかよくわからない物真似で感想を述べた。

 自分の分を皿に盛り持っていくと、机の前で正座をしたサヤがスプーンを持って待機していた。

「先に食っていればよかったのに。冷めちゃうだろ」

「なに言ってるんですか。ご飯は一緒に食べるものでしょう」

 手に持ったスプーンで俺を指し、ブラブラとさせながら俺を説教する。

「わかったわかった。わかったから食べよう」

 俺が席についたことを確認したサヤは手を合わせる。

「いただきます」

 サヤは、すでに玉子が破れて隙間からチキンライスが覗いているオムライスにスプーンを入れて、そのひとすくいを口に運ぶ。

 瞳を閉じてモクモクと口を動かしている。何か感想が出てこないかとしばらく様子を伺っていたが、サヤの手は止まることなく、無言で口を動かしていた。気になりつつ俺も食べ進めていき、やがて三分の一あたりまで食べ進めた時、鼻をすする音が聞こえてきた。そちらを見ると、涙と鼻水を垂れ流しながら口を動かすサヤがいた。

「お前なにやってるんだよ…」

「だって…懐かしくて…」

 ティッシュで鼻水を拭われている間も、サヤは口を動かし続けていた。

「お前、今日は泣きすぎだろう。とりあえず食うか泣くか喋るかどれかにしろよ…」

「いいじゃないですか、私の勝手です」

「お前。今すごくブスな顔してるぞ」

「うるさいですね、余計なお世話です」

 俺はそう言うサヤの鼻に丸めたティッシュを詰めて栓をしてやった。

 

 

 その日の夜は、いつにも増して冷え込んでいた。ベッドの中で、サヤは昨日と同じように俺の腕の中に収まっていた。

「なあ…本当に明日には…消えるのか?」

 その言葉を聞いたサヤは、俺の腕を抱く力を強めた。

「わかりませんけど…たぶん」

「…そうか」

 それしか言えなかった。本来あるべき姿に戻るだけ。今のこの状況が異常なのだ。

 そう自分に言い聞かせるしかなかった。

「…もっとくっついてもいいですか」

「なにをいまさら」

 ちょっと笑うと、サヤの身体を抱き寄せる。向こう側を向いていたサヤは身体を反転させてこちら側を向くと、俺の胸に手を回して密着してきた。その手は離したくないという意思の表れか、力強く俺の身体を掴んでいた。

「明日、どこか行きたいところあるか?どこにでも連れていってやる」

 しばらく考えるように沈黙したあと、「じゃあ…」とサヤが告げた場所は、ここから歩いて十分ほどの距離にある森林公園の名前だった。

「昔、お父さんが死んじゃう前にお父さんとお母さんと私の三人でピクニックに行ったことがあるんです。知っていますか?あそこ、少し高い丘があって結構眺めがいいんですよ」

「知らなかった。そもそもあそこはあまり行ったことがなかったな。二、三回くらい公園の中を通ったことはあったけど、丘があるのは気がつかなかった」

「じゃあちょうど良かったです。明日はそこの連れていってください」

 サヤは腕の力をさらに強くして、俺を締めつけてくる。

「わかったから、ちょっと力を緩めてくれ。息が止まりそうだ」

「イヤですー」

 俺の胸に顔を擦り付けるようにうずめたサヤはそう言ってさらに抱きしめてきた。

「そっちがその気なら、こっちも仕返しだ」

 そう言って俺も、サヤの身体を力の限り抱きしめる。

 しばらくの間そうして抱きしめ抱きしめられを繰り返しているうち、お互いに疲れて瞼が重くなってきた。

 それでも、互いの身体に回されたその手は、決して緩められることはなかった。

 

 

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