【Ⅱ】—1 山積
あれから被害を受けたエリアの再巡回を終え、セトは支部に戻ってレクシスと話し合った。レクシスはセトの判断を正しかったと評したうえで、ハリアルの身を惜しんだ。しかし、今は立ち止まっていられる状況でもない。空白になった支部長の座をどうするか、じきに話はそこへ向いた。
「支部長の席はしばらく空けておきたいんです」
「それは、支部長が戻られることを期してか?」
「いえ、それは……望みたい気持ちはありますが、絶望的な可能性に縋ることになると思うので。この情勢です。何度も支部長が変わる、という事態を避けたいんです。ですから当面の間は、と」
セトの意見を、最終的にレクシスは受け入れた。それから目下の課題について意見を出し合って方針を確認し、今に至る。支部長の件の他に決まったのは、大きくは三点だ。
一つ、祠防衛隊について。祠の防衛はひとまずのところ成功しており、敵将ソニモは討ち取ったようだが——その報は大きな安堵をセトにもたらした——今後も襲撃が予想される。しかし王都攻めも視野に入っている今、主力部隊をいつまでも祠に留めておくわけにはいかない。
「クーベ前副長殿が、退役者を主にした軍を編成し、祠の防衛をしようと申し出てくださっている」
「もし次の攻撃があれば、誰が来るかもご覚悟の上で、ですか?」
「ああ、だからこそだと仰っている。死に場所を探すのは、老いてからにしろと」
クーベはワグレが白砂になったあの事件で、指揮を執った者として全責任を取って職を辞した前副長だ。それがハリアルやセトを守るための引責だったのはよく知っている。彼はまた矢面に立とうとしているらしい。今度は命すら担保にしてだ。顔を曇らせたセトを見て、レクシスは頷いた。
「私も同じ思いだ。が、お言葉に甘えたいと思っている。現状の戦力を考えるとな。当然、貴殿も承諾されたならだが」
「……拒もうにも代案がありません。頼らせていただくしか、ですね」
退役者にそんな過酷な役回りをとは思えども、人手が足りていないことは事実であって、結論、承諾せざるを得なかった。
二つ、炎の祠陥落後の対応について。北方は猛吹雪で多少被害が出たようだが、普段から雪には慣れもあったため、人命が失われるほどの大きなものはなかったそうだ。炎呪使いの中には呪を失って落胆している者もいたが、各々新しい戦いの術を身につけようとしている。そして一番の課題は炎の呪具についてだが、これに関しては他属性で補うよう皆でアイデアを出し合って、何とか普段通りの生活ができているという。
「暮らしを守るための案出しは、呪具売りの商人たちが軸になっていてな。商機を見たのだろう。見習いたい強かさだ」
「ええ。ですが今後別の属性呪も失われるかもしれません。できれば東側——ラフェリーゼの呪具も流通させたい。今回のことで伝手ができたので。また念のため、呪具が完全に失われたときの対策も取っていきましょう。王国時代には呪具なしの時代もあったようです。中央に戻ったら参考文献を届けさせます。これは事務方に任せましょう」
そして、三つ。船上でノベリに言われたことだ。
——ランテさんでは、老練の兵や狂気に侵された者からの信任は得られない。私が申し上げたいのは、あなたにはもう一手必要だということです。
今のところ答えは見出せていない。他にも考えることが多く、一人では難航しそうだという予感があった。ハリアルが健在であれば彼に相談したであろうことを、セトはレクシスに相談することにした。
「難しい問いだ。重ねてきた年月が長いほど、己の生きざまに囚われ、意固地になってしまう。当事者だったからこそ分かる。枷は感情から来るものゆえに、本当に難しい」
レクシスは顔をやや俯けて静かにそう語った後に、セトに視線を合わせて続けた。
「ただ……居場所を失いたくないとか、己の過去の成果を踏みにじられたくないという思いから、己の考えや立場に固執している者も多いだろう。彼らのこれまでを認めて、与えてやればどうだろうか。新しい役目を」
「新しい役目、ですか」
「前線でいい。長く戦争をしている人間だからこそできる戦い方がある。貴殿は東が祠の防衛に使った手段をご存知か?」
「……いえ」
「渓谷に油を満たして火を放ったそうだ。敵兵を巻き込んでな」
思わず言葉に詰まったセトに視線を留めて、レクシスは一つ頷きを寄越した。
「貴殿はしないのだろうが、私はできる。戦地に長らく身を置いた者は、捨ててきたものも多いのだ。今更捨てなかったことにはできない。なればこそできることがある。歴戦の兵は矛として使い、そして叶うならば、全てが済んだ暁には武勲を与えてやってくれ。聖戦での武勲者を褒め称えるならば、ラフェリーゼとの外交で問題は生まれるだろう。そこは、貴殿の手腕によって治めて欲しい」
セトの視座からでは、決して出せない提案だった。まず、聖戦で活躍した者が悪だという考えが全くなかった。もちろん彼らは悪ではない。だが聖戦自体が誤りだったと発表された今、兵の中には肩身の狭い思いをしている者もいるだろう。彼らへの救いの手の必要性に気づけていなかったことを、今になって初めて知った。
次に、彼らにとっての救いは安寧だと勘違いしていた。戦の中で生きてきた人間にとっての救いは、すなわち戦果だと教えられた。求められているのは、我が身と心を犠牲にして積み上げてきたものを、何かに届かせることができたという各々の実感なのだ。聖戦での勝利を取り上げるならば、何か他の目標を掲げなければならない。
レクシスとの会談は短時間だったが、実りの多いものとなった。その中でレクシスの指揮官としての手腕も再認した。引き続きエルティと支部の運営と防衛は彼に預けることに何の心配もない。むしろ、自分がこう考えることすらおこがましいと思わされるほどだ。後は今日のうちにも戻ると言われている祠防衛隊の帰還を待って治療を行えば、エルティでの急を要する仕事は一段落となる。
レクシスには自室での休養を勧められたが、セトの足は自然と己の執務室——副長室へと向いていた。扉を開けば、長らく戻らなかったのに、きちんと清掃された部屋が出迎えてくれる。整理されてはいるものの、結局山積みになっている書類にはいつもうんざりしてきたものだが、今は懐かしさの方が勝った。
書類を数枚手に取って検め始めたとき、扉がノックされる。慣れた支部内で少しばかり気を抜いていたとはいえ、この距離でセトの警戒網に引っかからない相手は限られていた。
「セト、戻ったわ」
返事を待たずに開かれた扉から、ユウラが顔を出す。先んじて無事は聞いていたが顔を見ると実感の度合いが違う。思わず安堵の息が零れた。
「聖者とサシでやったって? 無茶したな」
「あんたに言われたくはないわね。それに、ずっと一人で戦ってたわけじゃないわ。テイトも助けてくれたし、兵たちもね」
「無事で良かった……し、よくやってくれた」
セトの言を聞いて、ユウラがふっと笑った。扉を閉めてこちらへ歩み寄ると、間近から見上げてくる。
「あたしがいて良かったでしょ?」
以前までなら絶対に添えられない一言だった。答えなんて聞かなくても知っているという顔をしているので、想定を超える返事がしたくなる。
「そんなの、ずっと前から思ってる」
だからそう言って返すと、ユウラが目を丸くする。すぐに視線が外されて、瞬きがあって、その後視線を戻してくると今度はユウラの方がセトの想像の範疇から外れた言葉を寄越してきた。
「何かあった?」
「脈絡ないな」
「あるわよ。説明いる?」
きっと、ユウラはセトですら自覚できない何かを感じ取ったのだろう。知るとこれ以降余計な注意をしてしまいそうだったから、セトは首を横に振った。ユウラがそれを寂しく思うことくらい、容易に想像がつく。
「いや、いい。後で話すけど、とりあえずお前の怪我を治してからな。マーイは連れて行かなかったのか?」
「今回ばかりは連れて行ったわ。脇腹の止血だけはしてもらってるけど、後は断った。他にも負傷者がいたから遠慮したのよ。あたしの傷は、命に係わるようなものじゃない」
共に行けていれば、という言葉を飲み込んだことで生まれた間をごまかすように、セトはここで癒しの呪を使った。ユウラやマーイ、他の人間の頑張りに泥を掛けることになる。怪我の具合は本人の言うように致命的なものではなかったが、軽いものでもなかった。特に腕のものは動かす度に痛んだだろう。
「被害は?」
「亡くなったのは二十三名。この後遺族がエルティ在住の兵のところには弔問に行くわ。重傷者は今はその倍くらいよ。もっといたし、中には命が危ないほどの人間もいたけど、マーイが頑張ってくれてね。そのマーイも呪力切れで寝込んでる。マーイや怪我人たちの到着はもうしばらく後になるわ。あたしたちが先に出て、道中の黒獣を倒しながら帰ってきたから」
死者が三パーセント未満だったというのは、相手を考えればかなりの善戦だったと言える。しかしそんな事実は、最愛の人間を失った者にとっては関係のないことだ。死の現実は覆せないし、慰めにすらならないと分かってはいるが、せめて最大限の誠意を捧げたい。
「残りの重傷者はこっちで治療しとく。軽傷者も手が回れば。弔問はお前一人で?」
「ええ、隊長の責務よ。テイトも教え子のところには一緒に行くって言ってたわ。あんたはいいわよ。治療はあんたにしかできないから、そっち頼むわ。中央を長く空けているわけにはいかないでしょ。早く戻らないとね」
一度ユウラの言葉を頭の中で巡らせてから、セトは頷いた。彼女の言う通りだ。誠意も大事だが、それ以上に、彼らの死を無為にしないことが求められる。ハリアルのことも含めてだ。立ち止まってはいられない。解決しなければならないことは、まだ山のように積もっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます