【Ⅰ】—2 自負
相変わらず腕には痛みのような痺れのようなものが残っていたが、負傷はなかった。立ち上がりながら、フィレネに言われたことを考える。剣術についてはもう戻れたとばかり思っていたから、深めて考えてはいなかったなと思う。今日からは、それについても考えなければいけない。
「ありがとう、フィレネ副長。考えてみる」
「ええ。もし力が戻れば、また手合わせ致しましょう」
「うん、ぜひ」
ランテも剣を収めた。それを待ってから、フィレネは言う。
「わたくしが初めにお会いしたあなたは、姿かたちこそ今のあなたと変わりませんが、顔つきや気配は全く異なっていたように思います。先に述べた別人という言葉、わたくしは比喩のつもりで用いましたけれど、もしかしたらそれが真相に近いのかもしれませんわ」
「別人……って言ったら、たとえば始まりの女神に乗っ取られていたとかかな」
あり得る話な気がした。女神に完全に意識を支配されたときの記憶は、いつも全て消えてしまっている。
「女神は剣もされてらっしゃったの?」
「オレの知っている限りでは、してなかった」
「あなたが時に見せる動きは、達人のそれです。呪ではなく、完全に肉体の修練の結果会得したものに思いますけれど」
では、女神ではないのだろうか。またも、難しい問いに行き当たってしまった気がした。
「じっくり考えてみる」
呪の鍛錬は人がいないとできないが、この謎については自分一人でも考えられそうだ。これからの時間の有効な使い道が見つかったことは嬉しい。
「ええ」
頷いてから、フィレネは視線をランテから逸らした。風に揺れた巻き髪を耳にかけて尋ねてくる。
「……ユウラは、相変わらずですの?」
やや潜められたその声を聞いた途端、ランテの頭の中を駆け抜けていった声があった。
——あの人、本当は優しいんだけどな。
復興作業を——破壊の程度はそれほどのものではなかったから、復旧の方がふさわしい言葉かもしれない——手伝っているとき、会話の中でナバがぽつりと零したものだった。あの人とはフィレネのことで、その後「だから冷たいんだよ」と続けたナバは、フィレネに同情するような表情をしていた。
今、遠慮がちに出された質問で、その優しさを垣間見たような気がする。自然とランテは頷いていた。ナバの言葉に頷いたものだったが、フィレネにはそれを返事と受け取られてしまう。
「そうですか」
「あ、待って違う……いや、違わないんだけど」
怪訝な顔をしたフィレネに、この間デワーヌ家で起こった一連の出来事を伝えた。聞き終えたフィレネは、また「そうですか」と返してくる。陰ったままの瞳の中には、心を痛めているのが確かに分かる光が棲みついていた。
「……ユウラに戦い方を教えたのは、わたくしなのですわ。あの子やわたくしが男性をも圧倒的できる力を持つのは、我がベレリラ家に伝わる秘術によるものですの。わたくしはセト副長とは違いますから、あの子を巻き込んだのはわたくしだと自分を責めたりはしません。今のこの事態は、あの子が自分で選んだ未来……あの子の意志が反映されて行きついた結果です。わたくしは、あの子の望みを一つ叶えただけに過ぎませんもの。ただ——」
耳にかけられていたはずの髪が、風に誘われて滑り落ちた。フィレネはそれでどんどん俯いていた自分に気づいたらしく、苦みのある笑みを薄く唇に上らせて、髪をかけ直す。もう一度唇を引き締め直して続けた。
「わたくしに一生懸命頭を下げてくるあの子の姿や、秘術の苦痛に耐える姿——ああ、術が馴染むまでに大きな痛みがありますの——それに時間を惜しんで槍を振るい続けていた姿を、よく思い出しまして。……わたくし、あの子には報われて欲しかった。幸せでいて欲しかったと思うのですわ。ユウラは……わたくしの、もう一人の妹ですから」
ランテは拳に力を込めていた。ユウラを元に戻すことは、彼女だけのためでなく、多くの人のためになるのだと再認する。フィレネの願いが過去形になってしまっているのに悲しみを覚えながらも、奮起を促されたような心地がしていた。
それからもう一つ思うことがあった。伝えるために、ランテは声を上げる。
「フィレネ副長は、なんていうか、感情の……処理? が上手いなって思う。フィレネ副長だって、そんなにユウラのことを大事に思っているのに、あのとき……ユウラの洗礼を知ったとき、オレみたいに取り乱さなかった。それって、すごいことだと思って」
「当然のことです」
フィレネからの返答は、ランテの声に被りそうなほど早かった。
「わたくし、貴族は人でなしでないとならないと思っておりますの」
胸に手を添えて語るフィレネの全身から、誇りや自負が感じられる。
「わたくしたちは、幼い頃から選民思想を植えつけられて育ちます。貴族は平民とは違う、そのためふさわしいふるまいと心の在り方を身につけなさいと、幾度言われたかしれません。わたくし、幼いときはその考え方が大嫌いでしたわ。憎みもしていたかもしれません。けれど、気づいたのです」
胸に当てられていた手に、力が入ったのが伝わってくる。
「その考えは、捉えようによっては正しいと。わたくしたちは、皆さんの稼ぎから一部をいただいて生活しております。支部も、民たちからの資金で運営されていますけれど……つまるところ、お金は期待であって、我々はその期待に応えなければならない。ですから確かに、わたくしたちは——特に支部の人間でもあるわたくしは、平民の皆さんと違う人間でなければならない。必要とあらば、わたくしは他人を犠牲にできます。他にも、そうですわね、もしもユウラが敵対するのならば斬り伏せますわ。わたくしたちが選民思想を植えつけられて生きるのは、そのためだと思ったのです。我々は他の人々とは違う使命を持った——公のために私を殺せる存在でなければならない。いつだって、より多くの民の期待に応えられる人間でなければならない」
まるで指を杭に代えて心臓を
「わたくし、その使命に背いたことはありません。それに、わたくしの貴族としての生を、使命を悟ってからは恨んだことなどありませんわ。余暇などは好きに過ごさせていただいておりますし、この身を憐れまれる理由はございませんもの。わたくしはわたくしの在り方を誇りに思っています」
ああ、と思う。フィレネは強い。でもきっと、最初からこうではなかったのだろう。こうして心を定めて立つまでに、どれほどの迷いと苦しみがあったか。そういう影の存在は一切見せずに、フィレネは背を伸ばして立ち続けている。ランテの内側は彼女への尊敬の念で一杯になっていた。そして、こうも思った。ミゼも、フィレネも、立場ゆえ強くなることを余儀なくされている、だから、そうして無理やりにでも立ち方を探すしかない世界を、早く変えていきたいと。
「けれど」
その年頃の女性らしい、何か夢見るような微笑を浮かべて、フィレネは言った。
「わたくしだって、情がないわけではありませんのよ。戦場でないところでは、妹の幸せを願ってもよいでしょう」
胸から手が下ろされる。澄んだ声で、フィレネはさらに続けた。
「わたくしに教えを乞いに来たときもそうでしたし、その後の筆舌に尽くしがたい忍耐も努力も……あの子の行動の起点にはいつも、あの子の妹と、それからあの方がいらしたのですわ。ですから、わたくし、思いますの。あの子がもし戻れるとしたら、それはきっと、あの方の働きかけがあってこそになるだろうと」
セトのことを言っているのは、よく分かった。
「伝えておいてくださいな。あの子を——ユウラをお願いしますと、あの方に」
セトを救えるのはユウラだけだと思っていた。けれども、もしかしたらユウラを救えるのもまたセトだけなのかもしれない。時の呪の会得を諦めるつもりではなかったが、もしあの二人がお互いを救い合える関係であるなら。それはとても素敵なことだと思うし、羨ましくもあった。
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【カクコン期(十二月~一月)の更新について】
これまで五の倍数の日に更新をして来ましたが、二か月間は四の倍数日+月末日の更新に変更します。いつも読んでくださりありがとうございます。これからもReheartsをよろしくお願いいたします。
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