2:奇跡に非ず
【Ⅰ】—1 別人
あれから。オルジェが今後の具体的方針について語り——ベイデルハルクに立ち向かっていくこと、そのために戦力が必要なこと、まずは祠の防衛が最優先であること、王都の人間にも協力してもらえるよう励むこと、白軍組織を解体して新たな組織を作っていくこと、が端的に話された——それを以ってあの場は終了となった。黒軍と手を結ぶということは、まだ伏せておくことになっていた。それについて伝えるのは、見通しが立ってからということになっている。
聴衆はあの後ずっと静まっていて、ランテたちの話がどういう印象を与えたかは知れないままだった。最低限の兵を残し、ランテたちが去り始めた頃になってようやくざわつき始めていたが、小耳に挟んだ会話はいずれも今しがたの話についての疑問を出し合うようなもので、彼らがどういう意見を持ったかまでは
ランテは本部に戻って食堂で朝食を摂った後、部屋に戻っていた。セトから「昼くらいまでは休んでいい」と言われていたからだ。休む気分でもなかったが、「お前は今は町に出ない方がいいし」と続けられて、それも分かるような気がしたから——ランテの姿を見たら、どうしても町民たちは思うところがあるだろうから——黙って従うことにした。ただどうにも眠る気分にはなれなくて、ベッドに横になってぼんやりと天井を見つめていた。本当はこの時間を、時の呪の会得に当てたかったのだが、テイトから誰かが傍にいないときは控えておくよう指示されていた。時の呪か女神の力が暴走したら大変なことになるからという理由で、ランテも確かにその通りだと思ったので素直に従っている。
——責任はオレが取りますから。
本部に戻ってからすぐに、オルジェに詰め寄られたランテを庇ってくれたのはセトだった。
——ですが、数日、ランテの話がどう影響したか見極められてはどうですか。話してしまったことは、もう変えられませんし。
責任は、自分で取りたかった。しかし、ランテにはそうできるだけの立場がなかった。新組織の旗印のような立ち位置に一応はなったが、それとても今は仮にでしかなく、民たちの心を惹きつけられなければすぐに取り上げられてしまう役どころだろう。
——今は我慢だ、ランテ。結果は必ず出るから、焦るな。
セトは、とてもセトらしい言葉でランテを励ましてくれた。ここ数日のセトは、気を張っているのか、彼らしい面が増えてきたように思われる。相変わらず環境は何も変わっていないが、忙しくなったことで少しは気が紛れているのかもしれない。
ふと、窓を開けようと思った。ベッドから起き上がって手を掛けたところで、フィレネが一人で中庭を歩いているのを見つける。聞きたいことがあったのを思い出して、慌てて扉に向かった。今を逃したら、次の機会がいつ得られるか分からないと思うと、足がどんどん速まる。
「フィレネ副長!」
光速まで使ったことが功を奏し、フィレネが中庭を後にする前に捕まえられた。呼びかけられたのに驚いたらしく、フィレネは大きな瞳をますます大きく見開いている。
「ランテ様……わたくしに用事ですか?」
「うん、ちょっと話したくて。いい?」
「少しなら構いませんけれど」
フィレネも忙しいだろうに、承諾の返事をくれた。良かったと少々笑ったランテを、フィレネはどうしてか多少気まずそうに見返してきた気がした。
「少し驚きましたわ」
「あ、ごめん。光速で来たから」
「いえ、そうではなく。わたくし、あなたに親しげに声を掛けられるとは思っていませんでしたの」
先ほどランテが感じたものは、どうやら気のせいではなかったようだ。
「なんで?」
「それは……お分かりでしょう。わたくしは、あなたをセト副長ごと斬ろうとしましたわ」
ああ、と合点する。色々なことが起こりすぎて、そんなこと——そんなことなんて言うと、セトに悪いかもしれないが——忘れてしまっていた。
「オレは気にしてないし、セトも気にしてないと思う」
「……そうですか」
フィレネは髪を払ってから、そう応じた。それでもまだ気まずそうだったので、ランテは言葉を付け足すことにした。
「フィレネ副長も、きっとセトを信じたんだなって思ってたから」
「はい?」
「セトがどうにかするだろうって思ったから、ああしたんだろうって。実際そうなったし、実はそのおかげでセトと話ができたんだ。だからむしろ、感謝しているくらいかも」
フィレネは目を瞬かせた。
「あなたには、そのように見えていましたのね。でも……そうですわね、多少は、そういう期待もしていたかもしれません」
たおやかに微笑んだフィレネは、こう見ていると若干ミゼに近いような——高貴な者にしか備わらない、気品が宿っているような——感じを受ける。貴族の出というのは事実なのだろうと、疑いはしていなかったものの改めて思う。
「それで、ご用件は何ですの?」
「あ、それは」
——それでは思い出させて差し上げます。
初めて会ったと思っていたエルティでの対面の際、フィレネの側からは初めてではないと言われていた。そのことについてずっと聞きたいと思っていたのに、今の今まで聞けずじまいだったのだ。ランテは記憶を思い出したが、まだフィレネと出会ったらしいときのことは何も分からない。
「オレとフィレネ副長が初めて会ったときのことを教えて欲しいんだ。まだ思い出せてないから」
「記憶を思い出せたのではありませんでしたの?」
「思い出したんだけど、王国時代のことだけで。その後はセトたちに拾われるまで何も覚えてないから、フィレネ副長が知ってるオレのことは何も知らないんだ」
「そうですのね。道理で」
フィレネはそこで一度言葉を呑み込んだ。しかし、零れた一語が既にもう気になる言葉だった。
「道理で?」
「いえ。わたくしが見たランテ様は、今よりももっと……いえ、ずっとと言ってもいいかもしれません。手練であるように感じられましたから。研ぎ澄まされた気配を
気配、とランテはフィレネの言葉を反芻した。王国時代の経験を思い出したことで、剣の扱いは随分よくなったと思っていたが、フィレネはもっと強いランテを見たのだろうか。
「剣筋を見れば、はっきりすると思います」
「見てもらえる?」
「ええ、では開けたところに行きましょうか」
言ってしまってから、レベリアでナバがフィレネとの手合わせを大変恐れていたのを思い出して、あ、と思う。今はセトも近くにいるだろうが、忙しい副長の手を煩わせたくはない。背を向けて歩き出したフィレネを追いながら、絶対に怪我をしないようにしようとランテは誓うのだった。
「確かに、見違えはしましたわ」
現在ランテは無様にしりもちをついて、フィレネを見上げていた。首にはぴたりと刃が当てられている。じんと痺れた両腕が、少々痛んでいた。
速さで言うならセトやユウラの方がよほど速いのだが、とにかく一撃の重さが半端ではなく、ひとたび受けるとこちらの速さをかなり奪われてしまう。そしておそらく剣士相手は随分慣れているのだろう、ランテに間合いを詰め切らせないよう上手く足を運ばれ翻弄される。最初から最後まで、完全にフィレネのペースだった。
フィレネやそしてセトは、王国時代に騎士として存在していたら、簡単に近衛騎士の地位を射止めていただろう。それでもセト曰く、彼ら以上の人間は幾らでもいるというから驚きだ。平和だった王国と戦時中の現在の世界のありようの違いが、そのまま戦士たちの強さに影響を与えているのだろう。実戦経験の差も、きっととても大きい。
「ですが、わたくしが初めて見たあなたや、わたくしの背後を取ってみせたあなたには程遠いですわね。まるで別人です」
多少、フィレネには落胆の色が見えた。
「別人……」
「共に行動しているとき、ユウラやセト副長は何か仰っていませんでした?」
「ユウラは、特には。記憶が戻ってからは手合わせとかはしていないし……あ、でもセトは、前に剣だと勝てないかもって言ってくれてて。この間も、簡単には勝てなくなったって言ってくれた」
「では、多分ですが、セト副長はお分かりですわね」
フィレネの言っていることの意味がよく理解できなくて、ランテはぱちぱちと瞬いた。それで心中は伝わったようで、フィレネは補足をしてくれる。
「簡単に勝てない、というのは、まだセト副長があなたに勝てるレベルだということですわ。彼もきっと、自分では敵わないと思わしめるあなたの剣技を目にする機会があったのでしょう。あなたはまだ、彼や私が勝てないというレベルではありません。時折瞬間的にその力を発揮することはあるようですけれど」
フィレネは鎌を引いて、背中に戻した。
「一度、考えてみられてはいかが? どのようなときにその力が発揮できて、その際何を感じているのか。あなたはまだ、高みに行けるはずです」
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