【Ⅲ】-3 依頼

 支部長室を後にしてからしばらく四人で廊下を歩いていると、テイトが何やら思案顔で王国記を眺め、立ち止まった。


「あのさ、セト。どこかで王国記の版本を頼みたいんだけど」


「版本か」


「うん。これは呪で実現させたものだから、もしも僕の身に何かがあったら消えてしまう。そうなる前に、ちゃんとした書物として残して……できれば、大陸中に広めたいよね」


 テイトが口にした、「何かがあったら」という言葉にランテはぞっとした。死ぬかもしれないという事態を、テイトも当たり前のように視野に入れ、そして受け入れて、この先のことを考えている。自分の認識の甘さを思い知ると同時に、それでも受け入れたくないとランテは思った。誰が死ぬところも見たくない。絶対に見たくない。


「表立っては無理だな。中央が黙っちゃいない」


「そこが問題だよね。どこか裏のルートでもあればいいんだけど」


 裏か、と呟いて黙ったセトにテイトが首を傾げた。


「セト?」


「……心当たり、なくはない。気は進まないけど」


「心当たりって?」


 言いにくそうに言葉を濁しつつ、セトは答えた。


「古巣というか……まあ、そんな感じの。白軍に入る前のな」


「協力してくれそう?」


「金さえ積めば、たぶんいくらでも。ただそのためには一回北に戻らないとな。手持ちだけじゃ足りない」


 テイトが右手を顎にやった。しばし考え込んで、口を開く。


「実は、僕も一つだけ心当たりがあるんだ」


「お前にも?」


「そんな意外そうな顔しないでよ」


 ここでユウラが二人の会話に参加する。


「あんた確か富商の出身でしょ?」


「富商とまでは言えないと思うよ。商家なのはそうだけど」


「家業は継がなかったんだ?」


 ランテが聞いてみると、テイトは苦い笑みを見せた。


「色々あってね。また今度話すよ」


 セトが先を促す。


「で、テイトの心当たりは? そういう繋がりあるように思えないけど」


「大有りだよ。親が密売商人と懇意にしてる。確証はないけど、たぶん」


 テイトが淡々と述べた。場が一瞬、静まり返る。


「危険な仕事になるけど、いいのか?」


 静かに尋ねたセトに、テイトは笑い返した。少々毒気がある。


「普段あくどい商売してるなら、たまには世の中のためになってもらわないとね」


 出された課題をこなせなかったランテに向けるのと同じ笑い方を、このときのテイトはしていた。思わず寒気を感じる。


「どちらにせよ、北には戻ることになるか。もう少し待ちたいな」


「そうだね。激戦区に行ってからになるかな。版本を頼んでから、出来上がるまでにも時間が掛かるし」


 そのときふいに、背後から別の声が飛び込んできた。ランテたちは全員揃って振り返る。


「版本の件、わたくしがお引き受けしましょうか?」


「フィレネ副長」


 ユウラが呼び、セトが小声で零した。


「……わざわざ気配絶って近づかなくても」


 いきなりで驚いたが、そうか、フィレネは意図的にこちらに存在を感知させないようにして近づいてきていたのか。まるで気づけなかった。足音どころか布擦れの音ひとつしなかったのだ。一体どうやっているのだろうとランテは感心してしまった。


「ごめんあそばせ。支部長から事の顛末は伺いましたわ。『王国記』でしょう? 先々代まで、わたくしの家に伝わっていたものですの」


「そう言えば、イベットさんがそんなこと言ってたね」


「内密に動きたいなら、わたくしに任せてくださればそのようにいたしますわ」


 フィレネからの思わぬ申し出に、テイトとセトが顔を見合わせた。


「どうする?」


「今は北に戻れないからな。そうしてもらえると助かるけど」


「では、お任せくださいな」


 いとも簡単に頷いたフィレネに、セトが猜疑を含んだ視線を向けた。


「何か裏でも?」


「失礼ですわね。わたくしだって中央の暴挙は許せません。あなたがたに協力したいと思うのは、至極自然なことですわ。少々好奇心があることも否めませんけれど」


「オレたちが帰って来れなかった場合、後のことまで押しつけることになるけど、それも覚悟の上でか?」


「侮らないでくださいな。もちろん承知の上ですわ」


 フィレネはほとんど表情の窺えない顔で、しかしはっきりと頷いた。ランテは彼女の目をじっと見た。意志は固く、迷いはないようだ。


「それなら頼む。疑って悪かったよ」


 セトの謝罪に、フィレネは右手で髪を優雅に払ってから応じた。長い髪はふわりと宙に残る。


「分かれば構いませんわ。もっとも、ユウラを死なせたら許しませんわよ」


「ユウラ限定?」


「ランテ様も。そちらの方も……ええと、どなたでしたかしら?」


 テイトを見て、フィレネは小首を傾げた。一点の邪気もない顔で問うている。セトが笑った。


「テイト、忘れられてるみたいだけど?」


「フィレネ副長、数年前の合同演習であなたが問答無用で叩きのめした呪使いのテイトです」


 テイトはむっとした顔で分かりやすい皮肉を込め、言い放った。今度はユウラも笑う。


「相当根に持ってるわね」


「だって痛かったし」


 ランテはようやくここでテイトがフィレネをやたらと恐れている理由を知ることとなった。


「そっか、それでテイトはフィレネ副長のこと怖がってるんだ」


「びっくりするくらい飛んだのよ。あれは本気だったわね」


 説明するユウラは楽しそうだ。思い出したのか、テイトは青い顔をしている。相当痛かったのだろう。


「ごめんあそばせ。わたくし、貧弱な方のことはすぐ忘れてしまうようで」


「貧弱……」


 フィレネの悪気があるのかどうか分からない毒舌にショックを受けて呆然と呟くテイトを、横からセトが慰める。


「気にするなよ。フィレネ副長からしたら白軍の五分の四は『貧弱』だ。呪使いは全員含められる」


「あら、セト副長、まるで人事のようですけれど、わたくしに負ければあなたも『貧弱』ですのよ。分かっておいで?」


 フィレネの挑戦的な視線を受けて、セトも同じような目をして答えた。


「何なら後で一戦?」


「受けて立ちますわ、と言いたいところですけど、ステラがユウラに会いたがっていますの」


 ユウラが瞬く。


「ステラが?」


「この前の合同演習が終わって以来ずっと、『ユウラは来ないの?』と言い通しですのよ」


 新しい名前だ。一体誰のことだろう。テイトに尋ねると、フィレネの妹で、ユウラと同い年で二人は数年前から仲が良いことを教えてくれた。


「セト副長、半日ほどユウラをお借りしますわよ。よろしくて?」


「できればケルムに急ぎたいんだけど」


「数日前の豪雨で、ハルジア川の橋が二本とも流されましたの。補修工事にはあと二日ほどかかるそうですわ」


「二日か。それなら迂回するより待つ方が早いな」


「そうですわね。ここから橋まで一日かかりますから、今日一日待てば発てますわ」


「もう一日、ここで羽を伸ばすか」


 セトが出した結論に、どうにか立ち直ったらしいテイトが賛成した。


「そうだね。激戦区に行く前に、もうちょっとランテの呪磨いておきたいし。ね、ランテ」


 戦慄を覚えたのは気のせいではあるまい。


「あー……うん」


「じゃ、今日はオレも付き合うよ」


 思わぬ光明を得る。一対一よりセトがいた方が、テイトはまだ手柔らかに教授してくれるかもしれない。


「いいね。そろそろランテも呪の実戦練習したかった頃だし。僕じゃつい加減忘れそうだから、相手はセトのがいいよ」


「よかったわねランテ。でも、セトもときどき容赦ないから気をつけなさいよ」


 親切な助言を与えてくれたユウラには、頷きで答える。


「剣の練習の方でそれは知ってる」


「それで、セトは後で僕の相手も頼むよ。最近本気の実戦練習出来てないし」


 微笑むテイトに、セトは言葉を詰まらせた。


「……やっぱそうなるよな」


「ご愁傷様」


 むしろいい気味だと言わんばかりのユウラの一声。普段はランテやユウラがテイトの厳しい指導に四苦八苦しているのを高みで見物しているセトも、今回はそうはいかないだろう。ランテもユウラに同調する。存分にテイトの恐ろしさを味わって欲しいものだ。


「では、ユウラはお借りしますわね」


「宿、同じところでもう一泊よね? 夜には戻るわ」


「あら、言ってくだされば支部で用意しますのに」


「後一泊だし、今回は宿にしとくよ。手間かけさせるのも悪いし」


 セトに頷くフィレネを見ていたテイトが、そこで「あ」と声を上げた。


「セト、制服借りないと」


「あー、そうだったな。フィレネ副長、四着借りたい——っていうか、もらいたいんだけど、構わないか?」


 ランテはテイトに尋ねた。


「制服って、白軍の?」


「うん。ここじゃみんな着てるあの白い服が制服だよ。自由服なのは北くらいかな。激戦区ではもちろん着用が義務づけられてる」


 兵は大半が白い鎧を着ていてその下に何を着用しているのかは分からないが、確かにフィレネはそれらしいかっちりとした白い服を着ている。ブラウスにネクタイ、後ろ裾が燕尾のように分かれている上衣、そしてスカート、革靴。あちこちに刺繍やら装飾やらが見られる。あまり動きやすそうには見えないが、白軍の女性は皆これを着て戦っているのか。フィレネの左上腕の腕章には見覚えがあった。エルティにいるときにセトがつけていたものと色違いだ。セトのものは群青だったが、フィレネのものは深緑だ。支部副長の証だろう。


「どうぞご自由に。北東倉庫の一階にありますわよ。倉庫番に言付けてくだされば、いくらでも用意できます。北のものも数点ありますわ」


「助かるよ」


「東はあなたがたに出来る限りのことはするつもりですわ。どうぞご遠慮なく。とはいえ、中々大きく動けないのはそうで、その点が申し訳なくはありますけれど。ひとまず王国記はお預かりしますわね」


 手を延べたフィレネに、テイトが王国記を両手で捧げるように差し出した。


「はい。お願いします」


 フィレネも両手で大事に受け取る。表紙を真剣な瞳でじっと見つめてから、彼女はユウラと一緒に踵を返した。

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