【Ⅲ】   館へ

 踏み荒らされた一帯に、枝やら葉やらが数多く散乱していた。そして。


「これ……」


 槍が一つ、地面に斜めに突き立てられている。細くて長い銀の槍だ。見覚えがあった。刃のすぐ下に結わえられた赤紐が、微かに揺れている。


「うん……ユウラのだ」


 テイトがじっくり確認してから答える。それを聞いてから、セトは何かを見つけてかがみこんだ。近づく。少量だが、血痕だ。まだ新しい。


「ユウラの?」


「たぶんな」


 セトは静かに答えた。立ち上がって、槍を見て、それからこの先の森を見る。ここから向こうはさらに木が混んでいて、漏れ込む光は少なく、深緑の薄闇が続いていた。森の入り口よりも、空気が冷えているような気がする。


「どうする?」


 テイトが尋ねた。不安げな表情だ。対してセトは無表情に近い。槍のところまで戻って、無言のまま引き抜いた。切っ先は土に汚れているが血はついていない。ということは、やはり怪我をしたのはユウラの方なのだろう。


「来い、ってことだよな。どう見ても」


 声は先刻と一緒で平静だった。努めて感情を抑えているのか、それとも本当に冷静でいるのか、ランテには判断しかねた。テイトが頷く。


「だね。でも、どうする? 敵はユウラを捕えられるほどの相手だよ」


「行くしかないな。子どもも捕まってるんだろ? ユウラが一緒にいるって言ったって、武器なしじゃさすがに厳しい」


「大丈夫かな、ユウラ?」


 ランテが口を挟むと、セトはすぐに頷いた。


「あいつなら大丈夫だ」


 短い返答からユウラへの信頼が窺えたが、セトは彼女の槍をじっと見下ろしている。それでも心配はしているのだろう。脇からテイトが手を延ばした。


「セト、槍は僕が持ってるよ。何かあったとき、動きにくいでしょ? 僕なら後衛だから」


「ああ、頼む。悪いな」


 ふと視線を感じて、ランテは振り返った。誰もいない。大木が一つ立っているだけだ。が、何か無性に気になる。そっと近づいて、裏へ回ってみた。


「わわっ」


 高い声が耳に飛び込んでくる。驚いて、ランテは一歩後退した。


「ランテ?」


 セトとテイトも近づいてくる。切り傷だらけの幹の裏側には、子どもがいた。子どもとは言っても、ランテたちとそれほど大きく年が離れているというわけではなさそうだ。十一、二といったところか。素朴な顔立ちで、いかにも少年といった感じの風体をしている。やや脅えてはいるが。


「君は?」


 テイトが笑顔で身をかがめ、少年と目を合わせた。少年はまだ脅えているらしく、腰を抜かしたまま後ずさった。


「も、もしかして、支部の?」


 裏返った声で問うてくる。テイトが頭で肯定すると、ほっとしたように息を吐いた。


「どうしてこんなところに?」


 ランテも聞いてみると、少年は先に続く薄闇に目を向けてから訥々と語り始めた。


「オレ、黒い服の変なやつにエルティからここまで連れてこられて……でも、オレがあの町の人間じゃないって言ったら、急に放り出された。どうしたらいいか分からなくて、じっとしてたら、後から槍を持った女の人が来て……今度はその人が連れて行かれた」


「ずっとここにいた?」


 セトが怪訝そうに聞いた。初対面であることは同じ条件なはずだが、ランテのときに比べたら随分と無愛想だ。いったいどうしたのだろう。少年はセトを両目で見上げた。そのまま長いこと見つめる。


「ずっといたよ」


「エルティの人間じゃないって言ったよな? なぜあの町に?」


「内緒。でもきっと、あなたには分かってるはずだ。オレは一人であの町にきた」


 セトはなおも疑いのまなざしで少年を見ている。少年はふっと笑うと、セトから視線を外し、立ち上がった。


「でもさ、助かったよ。オレ、大事なものあいつに盗られて困ってたんだ。今から追うんでしょ? オレも行っていい?」


「だめだよ、危ないから。大事なものって何かな? 僕らが取り返してくるよ」


 テイトがやんわりと断ったが、少年はぶるぶると首を左右に振った。よく見ればあちこちに傷痕がある。子どもは傷が絶えないものなのだろうが、それにしたって多い。しかも白っぽくなってる部分はほとんどが一直線で、何かで切ったような痕が多いのだ。少年と切り傷。あまり結びつかない組み合わせだ。


「すぐに必要なんだ。自分で行かなきゃ安心できないし」


 テイトがセトを振り返った。困った顔だ。セトは腕組みして、テイトから少年に目を移した。油断ない目つきだ。何をそんなに警戒しているのだろう。


「大事なもの?」


「あ、それ聞く? 答えないけどね。ま、話したって証拠は何もないんだけど。よく知ってるでしょ」


 黙ったセトを尻目に、少年はまたもや笑った。


「ボスがさ、あなたを惜しがってたよ。貴重な人材だったのにってさ。戻る気があるならオレが」


「分かった」


 少年の言葉を遮って、セトが言った。


「ついてきたいならこっちは別に構わない。ただし、身の安全を保障することはできない。それでもいいならご自由に」


 断ってもついて来るんだろうな、と小声で零してからセトは腕を解いた。少年の方はしてやったり顔で笑んでいる。テイトが不思議そうな顔でセトを見た。セトが苦笑で応えて、ランテの方へ動く。テイトが少年に話しかけたタイミングで、セトが小声で聞いてきた。


「いつあそこにいるって分かった?」


 少年のことだろう。ちょっと思い返す時間をとって、ランテも小声で応じた。


「見つける寸前に」


「気配で?」


「何となく視線を感じて」


「そっか。ありがとな」


「セト、どうしてあんなに警戒したの?」


 セトはテイトと話しながら何やら笑っている少年を見た。猜疑の目だ。


「気配に気付けなかった。油断してたわけじゃないのに。あいつ、たぶん、何か企んでる」


 無邪気な笑い声を上げる少年は、とてもそんな風には見えない。ランテは首を傾げた。


「企む? 何を?」


「分からない。だけどあんな風に気配を消せるなら、そう簡単に捕まったりはしないはずさ。それに一度捕らえられたのに解放されたってところも疑わしい。ユウラを抱えて逃げるより、あいつの方が軽いだろうしな」


「あの子も敵ってこと?」


「まだなんとも。とりあえずお前も気を許さないように。あと、財布には気をつけてろよ」


「分かった」


 答えはしたが、ランテはセトの考えに賛同できずにいた。確かに怪しい点はあるが見た目もほぼ普通だし、笑えばあどけないし、喋り方にも幼さが残っている。とにかく普通の少年に見えるのだ。しかし、警戒していて損をすることはないだろう。ランテはポケットの財布を取り出して口を縛り直し、腰の道具入れの奥の方にしまった。なぜ財布を気にしなければならないのか分からないが、忠告には従っておくことにする。


 セトがテイトと少年に声をかけ、森の奥へと進んでいく。速足だ。ユウラは大丈夫だろうか。ランテも先へと急いだ。空気が湿度を増して、肌に重くまとわりついてきた。




 目の前に、朽ちた館がそびえ立っている。屋根が崩れ、蔦に巻かれた壁が土色にくすんでいる様は、この建物がいかに長い間捨ておかれてきたかを無言ながらに示していた。


「これは?」


 ランテは同じく館を見上げていた二人に問うた。


「分からないんだ。随分昔からあるみたいなんだけど、いつ誰によって造られたか、全然分かってない」


「前の支部長のときは頻繁に調査があったみたいだけど、そう言えば最近はなかったな」


「たぶん、僕が入隊してからは一度もなかったはずだよ」


 セトの呟きを受けて、テイトが言う。ユウラの槍を背中に固定したようだが、身長を優に越えるほどの長さがある。平気な顔でいるが重そうだ。


「にしても」


 セトはまた館に向き直った。


「この気配、どうなってる?」


 ここで、少年が声を立てて笑った。


「町からそんなに離れてない場所の廃屋。北は周り敵ばっかなんだから、目を離すべきではなかったね。オレたちみたいなのにとっては、絶好の拠点になる。まあ、今回の犯人はオレたちじゃないんだけど」


「何か知ってるような口振りだけど?」


 質問に、少年はまたもや笑った。意地悪な笑いだ。


「教えてほしい?」


「別にどっちでも。どうせ今から乗り込むんだし」


 セトの方も意地悪な言い方で切り返した。少年が笑みを深くする。


「つれないなあ、先輩。情報があったほうが有利だ。取引の仕方は知ってるんでしょ?」


「大事なもの、一人じゃ取り返せないからオレたちについてきた。そうだよな?」


 ふふ、とひそやかな笑い声が少年から漏れた。そのまま肩を竦める。


「分かったよ。この中、黒獣で一杯なんだ。人間はたぶんひとり。北支部に因縁のある人だよ。ああ、今は人質がいるから二人か」


「……因縁?」


 聞いたのはランテだ。その傍らでセトとテイトが目を見交わす。同一の心当たりがあるらしかった。


「で、そいつが黒獣を従えてるのか?」


「たぶんね。少なくともさっきは従えてた。だけど、オレたちはずっとこのあたり見張ってたけど、黒獣を運び込んでるような様子はなかった。どうやってあの数を集めることができたのか、不思議だよね」


「詳しいみたいだけど、中にはいつどうやって?」


「仕事だよ、仕事。留守中狙えばそんなに難しくはなかったけど、あんまりいいものはなかったな。金貨数枚と、小型の剣を一つだけ。剣の方は取り返されちゃったけど、珍しかったな、あれ。きっと高値がつく」


「セト」


 ランテはセトを呼んだ。


「ん?」


「中に黒獣が一杯いるなら、やっぱりユウラが心配だ。急がない?」


「今のところ戦闘の気配はないけど……そうだな。ここで喋ってても埒が明かない。行こうか」


 セトに続いて建物へ向かおうとしたランテを、テイトが後から呼び止めた。


「ランテ」


「どうかした?」


「あ、ううん、たいした用じゃないんだけど……僕たちの予想が当たっているとしたら、たぶん敵はすごく北を恨んでるだろうから気をつけて。ランテは、特に恨まれやすい立場にあるから」


「え、オレが?」


「ランテは悪くないんだけどね。とにかく、注意しておいて。僕らも気をつけるようにする」


 テイトは崩壊の途次にある館を仰いだ。罪悪の意識が住む瞳だった。

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