第8話:卒業

 卒業式はつつがなく終了した。高校生にもなると親もある程度不干渉なのかと思っていたが、意外と参列者は多かった。体育館の外にはもっと多くの大人がスーツ姿で待機しており、自分の息子や娘を見つけると、子ども以上に浮き足立った様子で近づいてくる。子どもたちは一見鬱陶しそうな顔をしているものの、まんざらではなさそうだ。


 担任には、クラス全員で花束を贈った。特に誰かが泣くわけでもない淡泊なイベントだった。貴重な食事代二百円を捧げたというのに。もっとも、チューリップ一本にも届かない金額だが。


 解散後、私は屋上を訪れた。春休みに入ると鍵は取り換えられるので、これが最後の訪問となる。


「卒業式というのは実に退屈だな」

「あれは大人になるための儀式みたいなものだよ」


 扉の横でベスが待ち構えている光景に、私はすっかり慣れてしまった。


 今日のベスは食べ物を持っていない。右手に小さな手帳を携えており、服装はいつも通りだがやけに小奇麗だ。アシンメトリーの髪型もキマっている。もうすぐ死神の世界とやらに帰るのだろうか。


「それで、どうするんだ?」


 主語が抜けているが、何を尋ねられているかくらい、さすがにわかる。


「言うまでもないでしょ」


 昨日ピクニックした丘を指差し、私は答える。




 桜はほとんど枝を剥き出しにして、みすぼらしい素肌を晒していた。淀んだ雲とのコントラストは最悪で、まるで色の調合に失敗した絵具で描いた絵画のようだ。木から桃色はほとんど失われており、もはや言われなければ桜の木であるかすら判別つかない。


「まさかこのタイミングで豪雨とはな」


 昨晩から未明にかけて、一時間百ミリを超す局地的な大雨が降った。おかげで地面はぬかるんで、登校しただけでローファーは泥だらけだ。朝から初夏を思わせる蒸し暑さで、上着を羽織るだけでもじっとりと汗が浮かんでくる。


 当然、桜の花はほとんど散ってしまった。おまけに花弁はほぼ排水溝に流されてしまい、卒業式だというのに春らしさは微塵も感じられない。


「天気ひとつで景観がここまでひどくなるとはな。まるで世界の終わりだ。これでは自殺ミシュランへのノミネートも再検討の必要がある」


 ガイドブックに載るような飲食店は、いつでも一定のクオリティを提供しなければならない。コックの体調が悪かったからとか、食材が調達できなかったとかの理由で、客に提供する料理の味を落とすわけにはいかない。ひとたび悪評が広まれば客足は遠のき、店への不信感にもつながってしまう。そこから再び返り咲くことは、困難を極める。


 しかめっ面のベスは、ペンを走らせる手を止め、手帳を胸ポケットにしまう。


「……お前はこれからどうするんだ?」


 お、ベスから質問とは珍しい。


「商店街じゅうの不動産屋を回って、アパート探しかな。保証人不要なら最高だけど、とりあえず安ければいいや」


 本当は情報処理室のパソコンで調べたかったのだが、今日は解放していないらしい。


 この教室の鍵を管理している先生は私の一年次の担任で、ウチの家庭環境をそれとなく知っている。一人暮らしのための情報収集をしたいことを相談したら、四月までの放課後の時間帯なら、特別にパソコンを使わせてくれるという。あまりにもあっさりと快諾されたので、いささか拍子抜けした。


 さらに生協の責任者がその話を通りすがりに耳にして、しばらくの間、廃棄処分するパンや惣菜をこっそり譲ってくれるという。曰く、「生徒に商品を渡すのは規律違反だが、明日からは生徒じゃないから構わない」そうだ。


 私は家のことに固執するあまり、あまり周りが見えていなかったらしい。


「とりあえず家に帰って支度しなきゃ。制服で不動産巡りするのも色々面倒そうだし」

「僕はどこか落ち着いたところで調査報告をまとめるとしよう」

「そう」


 私は踵を返し、校舎へ続く扉を開ける。


 ベスとは目を合わせない。


 無論、感謝の言葉を述べたりなんかしない。



「……おい、なんのつもりだ」



 私はベスの腕をとり、階段に近づいていく。


「そういえばもらってなかったよね、取材費」

「ファミレスでケーキセットを頼んでやっただろう」

「だって一口も食べてないもの」

「それはお前が怒って勝手に出て行ったからで……」

「うん。だから仕切り直し。今度はしっかりご馳走になるから。あ、言っとくけど寿司だからね、寿司」


 あの三人はきっと今頃、一貫何百円もするような板前寿司に舌つづみを打っているのだろう。私は一皿百円の店で十分だが、サイドメニューの茶わん蒸しくらいは許してほしい。


 それくらいが、今の私に振り絞れる勇気の限界だ。


 踏み出す。一歩ずつ。


 ふてぶてしく、堂々と、根強く、たくましく。


 きれいじゃなくたっていい。美しいと賞賛されなくたっていい。


 生を選ぶ理由なんてない。ただじっと、あり続けるしかないんだ。


 あの桜の木のように。


 意味や成果は、きっとその先にある。



 私は階段を二段飛ばしで下りていく。




 開け放った屋上の扉から、桜の花びらが舞い込んできた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

自殺ミシュラン~死神は、桜の木の下で団子を齧る~ 及川 輝新 @oikawa01

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ