第5話:宴
道のりは想像以上に険しかった。
まず道が舗装されていない。生い茂った植物は自由に枝葉を伸ばし、進路を塞いでくる。砂利の粒は一つひとつが大きいだけでなく、角が尖っているため靴底から足を刺激する。羽虫はぶんぶん飛び交っているし、たまに狸みたいな物体も目の前を横切っていく。山は木々に囲まれているものの、高さはそれほどないため日射が直接当たって眩しい。一時間も歩いていると、額には大粒の汗がびっしりと浮かんでいた。
「ねえ、あとどれくらい歩くのよ……」
枝を杖がわりにしてのっそり歩いている私とは対照的に、ベスは涼しい表情ですいすいと先を進んでいく。やはり死神には体温調節など不要なのだろうか。でもサンバイザーつけてるし。ただの雰囲気づくりだったり?
「あと二十分もあれば到着するだろう。さっさとついてこい」
それだけ言って、大股でずんずん突き進んでいくベス。こんなことになるなら一回家に帰って着替えれば良かった。セーラー服でピクニックなんて無理がある。おまけに背中には、推定十キロのリュックまで背負っているのだ。自衛隊の演習じゃないんだから。
重い。暑い。足が痛い。喉が渇いた。汗がまとわりついて気持ち悪い。
でも、引き返そうとは思わなかった。
ピクニックなんて、人生で初めての経験だったから。
少なくとも物心がついてから、家族とどこかに出かけた記憶はない。父親はサービス業の管理職で、土日に家にいることはほとんどない。母親と妹はよく二人でショッピングに出かけているらしいが、私が起きる頃にはもう家を出てしまっている。そんなに遅い時間まで寝てないんだけど。
休日は図書館で借りた本を読むか、宿題をやるかの二択だ。テレビやパソコンを点ける権利を与えられていない私は、天気予報さえ自由に観ることができない。もちろんスマホだって持っていない。ごはんはほぼカップラーメン、たまにコンビニフード。ヤカンとコンロ以外の台所器具は使用NGだからだ。
初めてのピクニックは、初めてだらけだった。
枝を杖がわりに歩くことも、重たいリュックを背負うことも、短時間で集中的に虫刺されに遭うことも、野イチゴをかじることも。触れるもの、映るものは初体験ばかりで。植物のせいで視野は狭いのに、世界がどんどん広がっていく感じがした。
「もっと早く知ってたら、人生変わってたのかな……」
「何か言ったか?」
「ううん、何でもない」
作り笑顔を浮かべ、必死でベスの後を追う。
人が死神を追いかけるなんて、おかしな話だ。
「そろそろ抜けるぞ」
強い光が差し込んできて、私は目を眇める。
「……あ……」
けもの道の先には、一面に草原が広がっていた。
ここだけぽっかり世界から切りぬかれたかのように穏やかで、静かに風が吹いている。人も、動物も、鳥の姿もない。
私たちがやってきたのは、伊佐神高校の向かい、桜の木がある丘のふもと。
短く生えそろった芝生の中央にたたずんでいるのは、今までずっと屋上から眺めていた一本桜。浅黒い幹は太く、たくましい。何十年もの間、孤高を貫いてきた力強さが全身から発せられている。
ベスの取材はまだすべて終わってはいなかった。自殺志願者へのインタビューが終わったが、まだ見分と写真撮影が残っていた。そこで荷物持ちを兼ねて、私も付き合うことになったわけだ。
ベスは背嚢を下ろし、中から一眼レフカメラを取り出した。それから十分間、ばしゃばしゃと写真を撮りまくっていた。三百六十度から撮影することはもちろん、途中からは木によじ登ってあらゆる角度から接写していた。端から見ると変質者だ。
一通り撮影が終わると、次に青色のシートを木の下に広げる。
「何をぼさっとしている。お前もさっさと手伝え」
「え、あ、うん」
引率の教師かよ。あるいはボーイスカウト。
三メートル四方のレジャーシートを広げ、四隅に飲み物のペットボトルを重石として配置する。参加者二人なのに、どうして全部二リットルのボトルなのだろう。
続いて取り出したのは、大量のお菓子だ。ポテトチップス、チョコレート、カシューナッツ、クッキー、饅頭、チーズ鱈、いかの燻製。このラインナップはもはや大学の新歓レベルである。
そして最後にどどんと置いたのは、三段重ねの黒い重箱。一段目には筑前煮、枝豆、ししゃも、ゆで卵。二段目には鳥のから揚げ、フライドポテト、チョリソー、チャーシューなどのジャンクフード類。下段には大量のおにぎりと鯖寿司とおいなりさんが敷き詰められていた。
「念のため訊くけど、これはどういう……」
「花見だ」
ベスについてわかったことがある。
いや、本当は昨日から知っていたことなのだが。
私が出会った死神は、どうやら食べるのが大好きらしい。
グルメリーパー:ベス。
新連載かよ。
ひとまず紙コップに緑茶を注ぎ、乾杯する。
ベスは桜になど目もくれず、重箱の中身に箸を伸ばしていく。もしかして昨日から今日にかけて、これらをすべて一人で用意したのだろうか。ひとまず私もから揚げを一口かじる。
あ、意外とイケる。
冷めているのにサクサク感が残っていて、醤油の香りがふわっと口の中に広がった。肉はジューシーで柔らかい。
から揚げの影に、黒い楕円状の物体を発見する。箸でつまみあげると、それは一口サイズのハンバーグだった。
「……」
ハンバーグは、苦手だ。家のことを思い出してしまうから。
ただ、一度箸をつけてしまったものを元の場所に戻すというのも気が引ける。私は意を決して肉塊を口に放り込んだ。
「……美味しい……」
思わず、口から漏れていた。
肉のうまみが口の中を駆け巡る。スパイスの塩気と風味がちょうどよく、ソースをつけなくても味がしっかりしている。隠し味でシソを刻んでいるのか。しっかりとした肉の味にシソのさっぱり感が調和している。玉ねぎも芯が残るか残らないかくらいの絶妙な歯ごたえで、食感も楽しい。
もうひとつ食べてみる。二個目でも感動は薄れないどころか、どんどん口内が幸せで満たされていく。
ふと視線を感じた。顔を上げると、向かいでベスが真顔で私の顔を覗くように見ていた。
「うまいか?」
「え?」
「うまいか、と訊いている」
「う、うん」
「そうか」
そう呟いて、再び食事に戻るベス。
何気に私の感想を気にしていたのだろうか。いつも無愛想なくせに。
それから私たちはとにかく食べた。一週間分のカロリーは摂取したんじゃないかって思うくらい。口の中は脂ギトギトで、身体が重たくて、それでもこれほど満腹感と幸福感に満ち溢れたことはなかった。
「何を休んでいる、第二ラウンドが始まるぞ」
私がかついできたリュックから取り出したのは、大量のアルコール類だった。ビール、ウイスキー、焼酎、梅酒、日本酒、ウオッカ、カシスリキュール、カルーア、ワイン、どぶろく……。ベスは躊躇なくビールを取り、同じものを私に差し出してくる。
「いや、私未成年だから」
「もうすぐ死ぬ人間が今さら法律なんて気にするのか?」
「……それも、そうか」
たぶん私は、お腹がいっぱいで思考力が落ちていたのだと思う。通っていない理屈を真に受け、ビールの代わりに梅酒のプルタブを開けた。
あ、けっこう甘くて美味しい。もう一口飲むと、頭の裏がほわん、とした。
梅酒はしょっぱいチーズ鱈との相性がばっちりで、あっという間に飲み干してしまった。ここで判明したのだが、私はアルコールが入るとお腹が空く体質らしい。半分近く中身の残っていた重箱を手元に寄せ、ハンバーグをパクついた。
最後の晩餐。うへへ、楽しい。
「……私さ、今日までずっと、頑張ったんだよ」
「そうか」
「たった一人でずっとずっと、頑張ってきたんだよ」
「……」
ベスは相槌のバリエーションを一種類しか知らないらしく、三色団子の串に手を伸ばしていた。いや、興味ないのは知ってたけどさ。
だから、ここから先は全部、独り言だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます