第3話:このセリフがダサい!

「では早速だが、詳しく聞かせてもらおうか」


 私の席には、モンブランとアイスティーが並んでいる。取材費の先払いということらしい。ランチタイムということもありデラックスハンバーグプレートなんかを勧められたが、私はハンバーグが苦手なのでケーキセットをチョイスした。


 一方、ベスの席にはチョコレートタワーパフェ(二個目)が屹立していた。パフェが好きなのかと訊いたら、「だって語源はパーフェクトだから」と、意味不明な答えが返ってきた。


「まず、死に場所に私立伊佐神いさかみ高校の屋上を選んだのはなぜだ?」


 ロングスプーンの先端を私の顔にぴしっと向け、尋問より二段階ほどソフトな口調で尋ねてくる。私は先ほどの言葉にすっかり気圧されてしまい、完全に言いなりモードになってしまっていた。


「……れい、だから」

「は?」



「あそこから見える桜が、きれいだから」



「……なるほど」

「馬鹿にしないの?」

「自殺志願者にまともな思考や意見など求めていないからな」


 相変わらずの毒舌だが、メモを取る様子は真剣そのものだった。


「うちの学校の向かいに小高い丘があって、その頂上に桜の木が一本だけあるの。でも道のりが険しいからあそこでお花見しようって人はいなくて、いつもぽつん、としてるんだ」


 私が生徒会に入って最初の仕事は校舎の清掃だった。窓ガラスだったり渡り廊下だったり清掃場所はたくさんあったが、進んで屋上を掃除しようとする者はいなかった。そこで私が立候補し、顧問の先生に鍵を開けてもらい、一人でブラシをかけたのだ。


 その年は気温が低く、四月の中旬になっても桜は散っていなかった。太い幹から伸びた枝の先で繊細かつ華麗に咲き誇る姿に、私の心は一発で射抜かれてしまった。


「よく屋上を掃除しようと思ったな。お前だって、あの事件を知らなかったわけではないだろう?」

「……まあね。というより、あの人の気持ちをもっと知りたかったのかも」


 私が入学する四年前、伊佐神高校で自殺を図った女子生徒がいた。彼女は入学直後から一年以上にわたっていじめを受けていた。


 落ちる途中で木に引っかかったことが幸いして、かろうじて一命は取り留めた。女子生徒は退院後に学校を去り、加害者の男女四人はそのまま何事もなかったかのように卒業を迎えた。


 当時から屋上は施錠されていたものの、鍵はディスカウントショップで売っているような南京錠がぶら下がっているだけだった。女子生徒は型番をネットで調べて同じものを購入し、堂々と屋上に侵入したらしい。


 その後、屋上の扉には工事で鍵が取りつけられ、フェンスは一メートル高くなった。


「うちの学校がノミネートされた理由って、その事件のせい?」


 ベスは小さく顎を引いた。


 その事件を校内で語ることはタブーとされている。それでも噂は校外で勝手に広まり、当時在学していなかった私でさえ事件の概要を知っている。



 でも教師も生徒も、一つ大きな勘違いをしている。



 女子生徒が死に場所を学校に選んだ訳。それは加害者への復讐でも教師への訴えでもないと私は思っている。


 屋上から見えるあの桜に、心を奪われたのだ。


 たった一本で、堂々と丘の頂上に立つ姿に。


 最後に美しいものを目に焼きつけたまま、穏やかな気持ちで逝きたかった。


 それくらい許してくれたっていいだろう。


 私たちの目に映る光景は、すべてが地獄なのだから。


「そもそも、あの桜の何が良いんだ? 駅前の並木道や川沿いに並んでいる木との違いがさっぱり理解できないのだが」

「……たぶん、勇気」

「あ?」

「あの桜の木からは、勇気みたいな強さを感じるの」


 ベスは、初めて私に対して困惑した表情を見せた。そりゃそうだ。自分が逆の立場だったら、頭がおかしいやつに出くわしたと思う。


 でも嘘偽りのない、正真正銘の理由だ。辛い時や悲しい時だって、屋上からあの木を眺めていれば、不思議と心は落ち着いた。


 猛烈な勢いで走らせていたペンを止め、ベスが顔を上げる。


「なるほど、よくわかった。取材協力に感謝する」


 ペンをロングスプーンに持ち替え、再びパフェにがっつくベス。


「もういいの?」


 もっと訊くべきことが他にもありそうな気もするが。


 例えば私が、自殺という答えにたどり着いた理由とか。


「僕の担当は初めてノミネートされる場所ばかりだからな。文量はさほど多くないし、載せる写真もこんなんだ」


 空いた手で小さめのCを作るベス。こんなサイズでは、屋上からの見晴らしの良い景色も、桜の力強い美しさも、それに惹かれた者たちの気持ちも、ちっとも伝わらないんじゃないか。


「それにしても、自殺など実にくだらない」


 吐き捨てるようなその口調には、ありったけの軽蔑が込められていた。


「……どうしてそう思うの?」

「性別や人種に関係なく、人はいずれ死ぬ。老若男女問わず、唯一の共通点と言っていい。特に日本人が自ら命を絶つ理由なんて、金だの恋愛だの仕事だの、取るに足りないものばかりだ」

「でも、本人にとっては大事なことだよ……」


 テーブルの下で、ぎゅっと握った拳が震えていた。手の内側がじんわりと熱い。


「大事ならなおさら、向き合わなければならないことだ。伊佐神高校で四年前に飛び降りた女はいじめを苦に、だったか? そんなもの、加害者に反撃するなり裁判を起こすなり、他の道はいくらでもあったはずだ。いじめのきっかけが自分にないのなら、なおさらな。苛められるやつは総じてマゾヒストだと思っていたが、心も弱いのか」

「……そんなこと……」


 ベスの言うことは間違いじゃないのかもしれない。


 でも、嫌だ。


 誰にも相談できなくて、現実での逃げ道もなくて、仕方なく選んだことなのに、やっと一人で決断できた答えにさえ、批判を受けるなんて、可哀想だ。


「どうせお前だって、馬鹿馬鹿しい理由なのだろう?」

「あなたに私の何がわかるの!」


 両手の拳をテーブルに叩きつけ、私は吠えた。


 向かいから、く、と声が漏れる。


 ベスが顔を俯かせ、スプーンを持った手を口元に当て、くすくすと笑い声をこぼしていたのだ。


「何が……おかしいのよ……」

「第二位だ」

「は?」

「いや、別チームの発行している本で、『このセリフがダサい!』という、自殺者に人気のあるフレーズをまとめたものがあってな。その二位なのだ。『お前に俺(私)の何がわかる』ってな」


 喋っている途中からいよいよ本格的におかしくなったらしく、言葉が聞き取りにくくなる。


 ああ、目の前のこいつは本当に人間じゃないんだ。死神にとっての人間なんて、虫や家畜と変わらないのだ。


「わかるわけがないだろう。わかりたくもない。与えられた命を放棄し、死後の世界なんて見たこともないものに想いを馳せている、夢と現実の区別もつかないお子様のファンタジーな妄言など、聞く価値も……」



 次の瞬間、私はベスの顔に、アイスティーをぶっかけていた。



「……最っ低」


 ベスの顎から滴る茶色の液体が、シャツに染みを作っていく。


「それは、文字通りもっとも低いという意味か? それとも僕への非難を抽象化しただけか? これでも僕は死神の中でも優しい方で通っているのだぞ」


 ベスの口元には再び笑みが戻っていた。それは、出会った時のようなニヒルなものだった。


 私はスクールバッグをひったくるようにつかみ、無言でファミレスを後にした。

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