ソリューション発動
上寺は悔いていた。
致死率はほぼゼロと聞いていたが、重症化した感染者、そして死亡者数もかなりの人数に及んでいるではないか!
また、日本だけでなく世界各地で深刻化している。てっきり上寺はこの国の抱える課題を解決するに、黒奈の言う「感染症」は日本国内のみでの流行だと思っていた。四方を海に囲まれた特有の国土を持つこの国ならではの感染分布が可能だと完全に誤解していた。そうなのだ。気付くべきであったのだ。強固に中国が組み込まれているこの国のサプライチェーンなど、諸外国との関連を考慮するなら、この感染拡大は全世界規模になることを。黒奈の外見からもそれを察知すべきであった。
このパンデミック以前に上寺の心を悩ませていたこの国の課題の大方が、上寺の願う方向に解決されつつあるとはいえ、犠牲は大きかった。
警察に伝えることもできず、名刺に書かれた連絡先に改めて連絡を取ったてはみたものの、「この電話番号は現在使われておりません。プープープー」という不明な宛先を示す音声案内が繰り返されるのみである。
何より悔やまれるのは、PCR検査の制限を進言したことだ。
医療現場を崩壊させるのは何より避けたかったし、経済活動の停滞も避けたかった上寺としては、見かけ上の感染者数を少なく見せるに最も効果的な「苦肉の策」ではあった。
だが、結果はどうなっただろうか。
感染者と非感染者との峻別が進まず、人々は隣人に対する疑心暗鬼に駆られ、自らその行動範囲を狭め、門戸を閉ざすようになる。挙句の果ては、政府や自治体からの外出自粛要請だ。
「これでは、感染症検査の技術も確立しておらず、ただただ感染の猛威が治まるのを布団にくるまって隠れてやり過ごそうとしていた100年前のスペイン風邪の時と変わらんじゃないか。」
人々の交流が抑制され、経済は大きく停滞した。あの男の目的はむしろこれだったのか?
であるならあの黒奈眞喜雄はどこかの国のエージェントか?否、この経済の停滞で得をした国があるだろうか。では、得をしたのはどういう人たちだろうか。株価が下がったところを狙い撃ちで買い入れする?それとも
そういう不労所得による利益を指先だけで転がすように操ることのできる人たちの代理か代表か?
医療崩壊を防ぎたい、経済を停滞させたくない、というどちらかというと二律背反の要求にバランスを取ったつもりであった上寺としては、かえってこれが裏目に出たように思える。スペイン風邪の災禍以降、1世紀を経て科学は大きく進歩した。現在の科学力を以てすればウィルスのゲノム解析だって充分にでき、それに基づく創薬を急ぐためのコンピュータリソースだって上寺には融通できた。もっと別のやり方はあったかもしれないのだ。
いずれにせよ、名刺に書かれたデタラメな連絡先に彼はもういない。その正体を知ることもないだろうし、この感染症への上寺の関与を疑わせるようなものももうない。
この期に及んでは、いくばくかの罪悪感を感じながらも自らの主張を重ねていくしかないのである。
防ぐことのできなかった死者への贖罪の念に苛まれながらも、ワイン片手に今宵もこの国の行く末に思いを巡らすのであった。
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