第572話 四面楚歌

「リッカルド、起きろっ! 話がある!」

「ふぇっ? えっ? レ、レオ兄上?」


 普段起きるよりもまだだいぶ早い時間。


 リッカルド王子は大好きな兄、レオナルドに叩き起こされた。


 レオナルドはリッカルドにとって憧れの存在。


 それに多少の我儘を言っても甘やかしてくれる優しい存在でもある。


 そんな兄が、これまで見た事も無い形相でリッカルドを睨んでいる。


 怒っている事を隠す気もない、そんな様子だ。


 そしてレオナルドはリッカルドの掛け布団を剥ぎ取ると、寝ぼけ眼のリッカルドをしっかりと立たせた。


 そして「父上のところへ行く、すぐに着替えろ!」と厳しい言葉で話しかけてきた。


 一体何があったのか?


 思いつかないがもしかして自分が兄を怒らせたのだろうか?


 それとも国内で何か問題が?


 暴動が起きたのかもしれない。


 起きたてでまだ頭がぼんやりとしているリッカルドには、兄の怒りの原因がハッキリとは分からなかった。


「あの、兄上……俺の、いえ、私の側付きが来ないのですが……」


 リッカルドはレチェンテ国の王子だ。


 なので着替えるとなればリッカルド専属のメイド達が寄ってくる……はず。


 だが今日はベルを鳴らしても、リッカルド自身が声を掛けても、誰一人としてやってはこない。


 なのでもしかしてレオナルドが人払いをした? と思い兄に声を掛けたのだが、兄からは「自分で着替えろ」と突き放すような冷たい言葉が返ってきた。


 兄のその様子にリッカルドはとても傷付く。


 いつものような優しさがまるでない。


 それに着替えろと言われても、リッカルドは自分一人で着替えた事が無いのでどうしていいのか分からない。


 何となくメイド達の普段の様子を思い出し、これで良いのか? と服を取り出す。


 のたのた、もたもたと着替えるリッカルドに、いつもの優しい兄レオナルドは最後まで手を貸してはくれなかった。


 なんで?


 どうして?


 兄上がおかしくなった?


 顔も洗う事なく、髪も直す事なく、とりあえず着替えだけを済ませると、待ちくたびれた様子のレオナルドはリッカルドの手を引っ張り、歩き出した。


「兄上、どこへ行くのですか? 父上の部屋はこちらではありませんが……」


 リッカルドの問いかけにレオナルドが答える事はない。


 無言のまま廊下を進むにつれ、どこへ向かっているかリッカルドには何となく分かってきた。


 そこはリッカルドがまだ城の中で行った事がない場所。


 国王と家臣が顔を合わす面会室。


 幼い王子であるリッカルドが使った事などない部屋。


 だけど王子として存在だけは知る部屋。


 けれど兄が何故そこへ向かっているのか、リッカルドには全く分からなかった。






「失礼致します。リッカルドを連れて参りました」


 レオナルドはその面会部屋内にいる父に対し、息子としてではなく臣下の礼を取った。


 会議室といったその部屋には、リッカルドの父親であるアレッサンドロを中心に、兄姉皆が揃っていた。


 そして部屋の隅には、リッカルドの家庭教師やそれに側付き、そして護衛達が顔色悪く立たされていた。


 何故皆がここに?


 と、そんな疑問が湧きはしたが、リッカルドにはやっぱり意味が分からない。


 取り敢えず自分も席に着こうと思ったのだが、レオナルドから小声で「立っていろ」と注意された。


 そう言えば国王との面会では許しがあるまで座ってはいけなかった、とリッカルドは家庭教師の言葉を思い出す。


 でも自分はアレッサンドロの息子であり、この国の王子だ。


 何故立っていなければならないのだろう? と首を傾げていると、父の底冷えするような低く冷たい声が聞こえてきた。


「リッカルド……おまえは自分が何故ここに呼ばれたか……そして何をやってしまったか、それが分かっているのか?」


 その答えは勿論「ノー」だ。


 ハッキリ言ってリッカルドは何も分からない。


 だけどこの部屋に集まっている皆が、自分に怒っているのだけは分かった。


 曖昧に頷きながら、リッカルドは考える。


 もしかしたら先日家庭教師の授業をサボり、中庭で遊んでいた事がバレたのだろうか?


 思い付く事柄がそれぐらいしかあらず、ハッキリとは口に出せない。


 そんなリッカルドに痺れを切らしたのか、アレッサンドロは語り出した。


「リッカルド、おまえは学園内で問題を起こしたらしいな? そのことに相違ないな?」

「問題? えーと、それは入学式後に学園内を見て回っていた事でしょうか? でも私はすぐに護衛達の下に戻りました……だから――」

「そんな事ではない! おまえはララ・ディープウッズ様に対し、何を言った? この国の王子としてどころでは無く、貴族の子息として言ってはならない言葉をララ様にぶつけただろう、その事はおまえにとっては問題ではないのか? 家庭教師達に何を教わっていた?!」


 アレッサンドロがギロリとリッカルドの家庭教師たちを睨みつけると、家庭教師達だけでなくメイドや護衛までも「ひっ……」と息を呑んだ。


 どうやらあの悪徳商人のスター商会の会頭は、リッカルドに図星を指されたことで、父であるアレッサンドロに泣き付いてきたようだ。


 有名なディープウッズという名の娘らしいが、実に卑怯者だとリッカルドは腹が立った。


 レオナルドを拐かすだけではなく、父や他の兄姉たちも惑わす極悪商人。


 この国は自分が守らなくては! リッカルドはスター商会の会頭の性格の悪さを目の当たりにしそう思った。


「父上! あの商人は、あの、ララ・ディープウッズという女は極悪人です! この国の大切な王子であるレオナルド兄上を店へ呼びつけるし、姉上達だってれ、隷属? されています。スター商会は面白い品でこの国を乗っとろうとしているんです! 父上、目を覚まして下さい! あの女に誑かされてはなりません!」


 見た目だけは美しく儚げな様子のララ・ディープウッズを思い出す。


 ニコニコと愛想の良い笑みを浮かべながら、誘惑する最低な女。


 学園内の教師たちも、あのララ・ディープウッズを特別扱いしていた。


 特別な森に住む貴族の娘というだけで、威張り散らしている高慢ちきなあの少女。


 きっと人を魅了する危険な魔法を密かに使っているのだろう。


 そうでなければあの冷静な兄上が惑わされるはずがない!


 皆を守らなければ、リッカルドのそんな思いは父の逆鱗に触れてしまった。



「この馬鹿者がー!! おまっ、おまえはディープウッズ家が何なのかが分かっていないのかーーーっ? どうして一緒にいたエドアルドと同じ行動が出来なかった?! 今まで王子として何を学んでいたのだ?! おまえが行ったこの無責任な振る舞いはこの国を滅亡へと追い込む行為だぞっ! どうしてそんな事をしてしまったんだ! 一体何を考えているんだ! リッカルド、答えてみろ!」


 怒鳴り散らした父だけでなく、兄姉皆がリッカルドを睨んでいる。


 ディープウッズ家。


 確かに家庭教師からは ”有名な一家” だとは聞いていた。


 だけどそれが何だ? 自分はこの国の王子だぞ、という思いがリッカルドは強かった。


 だからレオナルドが何度もスター商会へ足を運ぶ事がどうしても許せなかった。


 そう、自分と遊ぶよりも、スター商会へ行く方が楽しそうなのが嫌だったのだ。


 だから苦言を吐き、自分の立場を分からせてやろうと思った。


 王子である兄上を呼び出すな、リッカルドはそう言いたかっただけなのだ。



「リッカルド……」


 針の筵の中、大好きなレオナルドの声が聞こえてきた。


 視線をレオナルドに向けると、とても悲しそうな表情を浮かべていた。


「リッカルド、スター商会の会頭のララ様は、私にとってとても大切な方だと伝えたはずだよね……? リッカルド、君は私の恩人を愚弄したんだ……私はそれがとても悲しいよ……」


 レオナルドにこんな顔をさせたかった訳ではなかった。


 ただ以前のように自分を見て欲しかった。


 たったそれだけの事なのに……


 リッカルドはここに来て自分が間違った事をしてしまったことにやっと気づいた。


 兄にとって大切な存在……その人を愚弄したのだ。


 ディープウッズ家がどれ程の物なのかは分からないが、自分が窮地に立たされていることには気が付いたリッカルドなのだった。

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