第295話 一人の女の子

 アデルはユルゲンブルク騎士学校の自分の教室を前に、とても緊張していた。


 アデルが自分から騎士になりたいと親に言ったのは10歳の時で、それは一番上の姉の結婚が決まった時でもあった。


 アデルの家は庶民にしては裕福な家庭である。


 父は後継ぎが欲しくて四人の子を持ったが全て女だった。


 アデルはそれなりに両親から可愛がられたとは思うが、やはり男の子が欲しいと思っている父が自分を見るたびため息をついているのが幼いながらも分かっていた。


 父に悪気が無いのは勿論分かっている、父にして見たら、ため息をついて居ること自体気が付いていないほどの些細なことだったのかもしれない、だがアデルは父のそういう様子を見ていつからか結婚に期待などしない子供になっていた。


 そして長女で有り、家を継ぐことになった姉を見てアデルは益々その決意を固めた。


 姉は家の為に好きな人を諦めて、父の気に入った人物と結婚する……


「私は覚悟していたから大丈夫よ……あの方も良い方だし、いずれ好きになれると思うわ」


 憂いに満ちた表情でそう述べる姉を可愛そうだと思った。不憫だと思った。そして女は不利だとアデルはそう思った。


 自分の力で生きていけるようになりたい!


 アデルは誰かに利用される人生なんてまっぴらだと思った。生活力を付けて父が好き勝手出来ないようになりたい、自分の人生は自分で決めたいと、10歳ながら聡いアデルはそう力強く決意を固めたのだった。


 そして勉強する中で王女や王妃の近衛兵の存在を知った。


 女性の護衛でなくては付いて行けない部分がる、風呂場やトイレだ。”女性だから”選ばれる仕事……目指すところはそこだとアデルは思った。


 王女や王妃じゃなくても貴族の女性の護衛でも良い、父が口出せない存在になれれば、自分の人生は自分で決められると、そう思ったアデルで有った。


 アデルが騎士になりたいと言った時、家族は女の子なのにと反対をした。

 でも幸い四女という事でアデルは大目に見られていた。それに騎士学校には貴族の子息も多く通う、父がそこに目を付けたのは確かだった。

 娘が貴族に気に入られれば……との父の打算もあり、アデルは無事に家庭教師を付けて貰い、ユルゲンブルク騎士学校への入学が許可されたのだった。



 そして現在、ユルゲンブルク騎士学校に無事合格できたアデルは、自分の教室の前で緊張した面持ちで立っていた。


 アデルは頑張りのお陰で無事にユルゲンブルク騎士学校に合格できたのは良かったのだが、ただでさえ平民の女の子がこの学校に少ない中、Dクラスになれたのはなんと平民女子ではアデルしかいなかったのだ。


 寮では平民の女の子と同室で、それなりに楽しく過ごしている。

 学校までの登下校もその子達と過ごせばいい。

 けれど教室では平民の女の子は自分一人だ。いくら学校内は皆平等であり、家格は関係ないといっても、実際にアデルから貴族の女の子には話しかけ辛い、これから一年間ぼっち生活が待っている、それも針の筵の中で……そう思うといくら自分で決めたこととは言え、足がすくんでしまうアデルなのだった。


「おはよう、教室入らないの?」


 アデルは急に後ろから来た四人組の男の子に話しかけれ、驚いて鞄を落としてしまった。

 それを紺色の髪の男の子が拾ってくれた。話しかけて来た茶色の髪の男の子は同じクラスだと知っている、入学式で有ったからだ。

 もう一人の茶色の髪の子も同じクラスだ。背が高いから覚えていた。

 赤い髪の子も確かディープウッズ家の子だと噂されていたなと思いだした。

 そして鞄を拾ってくれた男の子は有名人だったから誰かすぐに分かった。


 新入生代表の子だ……ディープウッズ家の子よね……なんでDクラスに来てるの?


「あ、もしかして俺達と同じ平民の子?」


 最初に話しかけて来た茶色の髪の子に問いかけられ、アデルは頷いて見せた。自分と同じ平民と言われて少しホッとした。


「俺、トマス、で、こっちがコロンブ、同じ平民同士仲良くしようぜ」

「う、うん、有難う……あ、私はアデル……宜しくね」


 アデルは仲良くしようと言われて益々ホッとした。これで一人ぼっちにならなくて済みそうだ。

 すると紺色の髪の新入生代表だった男の子まで庶民であるアデルに自己紹介をしてくれた。ディープウッズ家の子息なのにだ。


「アデル、初めまして、セオです。宜しくね」


 セオは有名なディープウッズ家の子のはずなのに、平民であるアデルをまったく馬鹿にすることなく握手まで求めてくれた。新入生代表に選ばれたのに優しくていい子なのだなとわかって、学校に入ったことを後悔しなくなりそうだと思えた。


「アデル、俺、ルイ。セオとは義兄弟なんだ。宜しくな!」


 ルイはアデルと握手をするとDクラスを覗き込んだ。自分の教室とどう違うか見に来たようだった。


「何だ、教室の作りは同じだなー、つまんねー」

「だから言っただろ、教室なんてどこも一緒だって、違うのは担任ぐらいだよー」

「ルイは何でも自分の目で見ないと気が済まないんだよねー」

「別にいいだろー」


 わいわいと男の子四人で楽しそうに話している。

 皆、寮で同室で仲良くなったのだと教えてくれた。その様子にアデルは少しだけ羨ましいなと思ってしまった。

 いくら自分で選んだ道だとは言え、学校に通う三年間、仲の良い友達が出来ないのは流石に辛い。自分にも何でも話せる友達が出来たら良いなと淡い期待を持ったのだった。


 予鈴が鳴ると、セオがルイの手を引っ張った。自分たちの教室に戻るようだ。トマスとコロンブも早く戻れと急かしていた。


「じゃあ、またお昼休みに。良かったらアデルも一緒にお昼食べようよ」


 セオが誘ってくれてアデルは驚いた。ディープウッズの子なのにこんなに気軽でいいの? と目を丸くしているアデルを見て、トマスとコロンブが苦笑いを浮かべながら助け船を出してくれた。


「嫌じゃ無かったらアデルも一緒にお昼食べよう。セオとルイは怖くないからさ、大丈夫だよ」


 アデルは二人の後押しもあって頷いて了承した。今度こそセオとルイは別れを告げて教室へと戻っていった。お昼も一人じゃないと思うとやっぱり嬉しかった……


 教室に入り荷物を片付けて席に着くと、アデルが平民だと分かっていても気にせず周りの女の子達が話しかけて来た。皆貴族の子なのに……と思ったが内容を聞いて貴族の子だからこそ話しかけて来たのだと分かった。


「ねえ、貴女ディープウッズ家の子と知り合いなの?」

「ううん、今日初めて話をしたわ」

「そうなの?! ねえ、どんな感じだった?」

「うーん……二人共優しくていい子そうだったわ」

「そうなの?! えー、やっぱり王子様よりディープウッズ家の子かしら?」

「何とかしてお近づきになりたいわよねー」

「何の部活に入るか探りましょうよ」


 彼女たちはその後もヒソヒソとディープウッズ家の子の話をしていた。

 貴族の子も結婚の相手探しで大変なんだなと、アデルは益々結婚なんてしたくないと思い始めていた。それと今日彼らとお昼を共にする事は絶対に彼女たちには内緒にしておこうと心に決めていた。彼らの将来の為だ。女の子は時に怖くなることを同姓だからこそ良く分かっていた……


「アデル、お昼に行こうぜ」

「う、うん!」


 午前の授業が終わるとトマスとコロンブが声を掛けてくれた。

 貴族の女の子たちとは話はするが、正直言って誰を狙うかの話ばかりで居心地が悪かった、なので約束通り彼らと一緒にお昼が取れる事にホッとしていた。


 トマスとコロンブの後に付いて行くと食堂では無い方向へ足が向いているのが分かった。不思議そうな様子のアデルに二人が理由を話してくれた。


「中庭で食べる約束なんだ」

「中庭? でもあたし……」

 

 何も持っていないと言いかけたところでコロンブが「大丈夫だよ」と声を掛けてくれた。

 寮には簡単な料理などを作れるキッチンが各階にある。でもそれは平民の子が食堂に通う程余裕がない時に自分で料理をする為か、お茶を部屋で飲むために使用する為で殆ど使われていないと女子寮でも聞いていた。

 男子寮ではもしかしてお弁当でも作るのが当たり前なのかしら? と思ったが、中庭に着いてみて想像と違う事が分かった。


「はい、この中から好きな物選んでいいよ」


 セオがアデルに渡してきたのは魔法袋だった。気軽にそんな高価な魔道具をポイっと渡されたことにも驚いたが、中を見たアデルはもっと驚いた。

 魔法袋の容量の大きさにもだが、中に入っている料理の多さにだ。


「凄い……沢山の料理が入ってる……」


 アデルは驚きながらもオムライスというものを選んだ。見た目が綺麗で可愛らしかったからだ。トマスとコロンブは良く食事を貰っているからか、「まだ食べたことが無い物」を選んで居る様だった。

 その間にセオがサッサッとポットからお茶を入れてくれた。常に自分の魔法鞄にはお茶の道具や、いざというときの為に薬などが入っているのだと教えてくれた。


 セオって……男の子なのに何でも出来るのね……


 お昼はとっても楽しい物だった。男子寮の様子やそれぞれの家族の事などを皆が教えてくれた。アデルは楽しさから心が緩み、自分の考えを思わず口に出していた。


「あたし……結婚したくないの、父の言いなりにもなりたくないし、家にいて旦那さんの言いなりになっているなんてまっぴらなの……」


 そこでアデルは しまった! と思ってしまった。周りは男の子だけ、せっかく仲良くなれたのに、こんな事を言ったら生意気な嫌な女だと思われると思ったからだ。


「あの……あたし……」


 アデルの話を聞いて うーん…… と考えていたセオが口をはさんだ。


「ウチの店……スター商会の女の人達って、まったく旦那さんの言いなりになんかなってないんだよねー」

「えっ? そうなの?」

「あー、確かに、ミアもミリーも働いてるし、トミーとアーロ……あー、旦那さん達はどっちかっていうと尻に敷かれて……いや、お互い尊重し合ってるよな」


 アデルは驚いた。そんな家庭があるなんて知らなかったからだ。自分の家が当たり前で、皆そうだと思っていた。自分の無知を目の当たりにした様だった。


「ウチは鍛冶屋で商売やっているけど、母ちゃんが強い! 怖いぐらいだ……」

「あー……女の人って怖いときあるよな……スター・ブティック・ペコラ姉ちゃんたち、美人だけど怖いもんなー」


 ルイがセオに同意を求めると、セオは苦笑いをして小さく頷いていた。知り合いにアデルなんかより強い女性たちがいる様だ。世の中って知らないことだらけかも……とちょっと思い始めていた。

 セオはアデルに向かってニッコリと笑って言った。


「ウチの店は男の人でも女の人でも好きな仕事をして、楽しく働いているよ、結婚も言いなりになる様なものじゃない感じだし……アデルがそういう相手を選べばいいんじゃないかな?」

「自分で……選ぶ……?」


 働きながらも結婚出来て、妻だから女だからと父の様にいわない人を自分で選ぶ……そんな事など考えていなかったことに、アデルは自分で驚いていた。

 結婚するかしないかの二択しか選べないと思っていたからだ……


「まあ、俺達はアデルにそんなことしないけどな……」


 トマスがポッポと顔を赤く染めながらそんな事を言いだした。

 確かにここに居る四人はアデルにそんな事はしないだろうことは分かった。そう言う男の人が世の中には居るのだと分かって、それだけでアデルは何だか嬉しくなった。


「あたし、この学校に来て良かった、凄く勉強になったわ!」


 もし普通の学校へ行って居たらやはりアデルは父の言いなりの人生だっだだろう、勇気を出してこの学校へ来たことで視野も広がり色んな人がいることが分かった。それだけで十分にこの学校に来たかいがあったと思えた。


 それからも教室ではトマスとコロンブとは仲良くしてもらった。

 セオとルイとはあまり仲良くするとやっかみが酷くなるのでたまにお昼を誘って貰うだけにした。違う意味で貴族の女の子たちに目を付けられたくなかったからだ。

 それは自分の為でもあるが、セオとルイの為でもあった。平民の自分と変な噂が立つわけには行かないだろう……


 そしてアデルは冬の長休みにディープウッズ家へお邪魔することで、一生の親友になるマティルドゥ・シモンと出会う事になる。

 この学校に来て一番の幸せはマティルドゥと出会えたことだとアデルは思うのだった。


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