第88話 領主邸

 馬車でコンソラトゥール街道に乗り、ディープウッズの森の中を抜けてブルージェ領へと入った。領主の城は街が見下ろせるムロフの街の南地区の高台にあり、アズレブの街に近いディープウッズの森からは少し離れていた。何度か街に来たことがあった私だったが、南地区までは足を延ばした事が無かったので、馬車から見える美しい花畑や小川などがとても新鮮に思えた。


「ブルージェには、こんなにも美しいところが有ったのですね……」

「ララ様はリアム様とのお付き合いで中央地区へのお出かけが殆どですからね、実際のブルージェは田舎町ですから、本来は自然が多い土地なのですよ……」


 だが、それも前領主が亡くなると、花々の手入れが行き届かなくなり、今のブルージェ領はアダルヘルムの目から見ると荒れているように見えるそうだ。


「少し前までは中央地区でさえも、花々が咲き乱れる美しい街だったのですよ」


 ブルージェ領は観光地としても貴族から気に入られていた街で、ティファ街には貴族や大店の別荘などが多く建てられていたそうだ。それが今は街が荒れているので、別荘に来る貴族も少なくなり、訪れる人が減れば商業も悪化し、貧しい人が増えれば治安も悪化するという、悪循環に陥っているそうなのだ。

 私はアダルヘルムの話を聞きながら、エルフのアダルヘルムにとって、少し前というのは何年前ぐらいになるのかな? なんて事をぼんやりと考えていたのだった。


 高台を登っていくとベージュ色に近いレンガで造られた可愛らしい城が見えてきた。馬車の窓から見えた領旗には緑色の下地に金色の花が描かれていることから、ブルージェ領は昔から花々の有名な土地なのだという事が、私にも分かったのだった。


 今日の馬車は屋敷にある豪華な馬車を使用しており、貴族邸に赴くのに相応しい物を選んでいる。御者は普段からアダルヘルムに付いているハンキとランタが担当しており、オルガが作ってくれた、御者にしては立派過ぎる服を着ていた。


 このハンキとランタだが、普段からアダルヘルムと一緒にいる時間が長いからか、最初に作った時よりも仕事に対してのスピード感がましており、テキパキと仕事をこなすようになってきていた。そして何よりドワーフ人形なのに、アダルヘルムの氷の微笑を真似る様になっているのだった。

 確かに他のドワーフ人形たちの事を考えて見ても、マトヴィルに付いているイッチやニッチは料理が上達しているし、オルガやアリナに付いている、ルミとアイスやミミとシーは洗浄魔法や、タッドとゼン達の勉強を見てあげられる様になっているので、持ち主の行動を学習して成長していくのだと気づくことが出来た。

 そこでだ、私とセオに付いているスノーとウインの事だ。あの子達は命令にはちゃんと従うし、スター商会のお手伝いも問題なく出来ている。その他に何が出来るのか私とセオは知らない。他のドワーフ人形達に比べても、ちょっとぼんやりしている子にも思える。これは今度少し時間を作って調べてみなければならないなと考えついたのだった。

 ただそうすると、マルコが手伝いたいと張り切りそうな気もして、苦笑いを浮かべてしまった私であった。


「アダルヘルム・セレーネが参りましたと、領主にお伝え下さい」


 領主の城へついて門兵にハンキがそう伝えた。ディープウッズの名ではなく、アダルヘルムの名で面会を申し込んでいたようだ。勿論、アダルヘルムもお父様と同じ様に有名な騎士なのだが、戦争で活躍していたのは100年も前の事なので、名前が同じだとしても同一人物だとは思われないだろう。


 芸能人と同じ名前みたいな感じかな……


 それもまた目立ちそうだなぁと思ったが、前世とは違いこちらの世界では有名な王の名を子供に付けたり、活躍した先祖の名を付けたりすることは一般的なので、アダルヘルムの名を聞いても門兵達は、特に驚くことは無い様だった。ただし、領主への面会という事でとても恭しく扱われてしまい、面映ゆい思いをしたのは確かだった。


 客用の応接室に通されソファに腰かけていると、扉を叩く音がして若いメイドが入って来た。アダルヘルムの顔を見ると息をのんでから頬を染めていたが、さすが領主邸に務めるメイドだけあって、すぐに感情を抑えて居る様だった。


「領主様のお部屋にご案内させて頂きます」


 私とアダルヘルムはメイドの後について領主の部屋へと向かった。その間、他の使用人とは会わなかったので、わざとそうしてくれているようにも思えた。もしかしたらアダルヘルムが前もって何か脅し……いや、お願いしてくれているのかもしれないと思い、私は他の使用人がいないことを良いことに、迎えに来てくれたメイドにメイナードの母親のことを訪ねてみることにした。


「あの……メイドさん……」

 

 名前が分からなかったのでメイドさん呼びをしたが、彼女は嫌な顔せず返事をしてくれた。


「領主婦人のご様子は如何ですか?」


 彼女は一瞬息をのみこちらを伺うような顔をしてきた、そして辺りを見回し周りに人がいないことを確認すると、小声で話しかけてきた。


「あなた方は、メイナード様を助けて頂いた方で間違い無いでしょうか?」


 私とアダルヘルムは彼女の小さな声に無言のまま頷いた。


「どなたにも内緒でお願いいたします……奥様は……お命を狙われてらっしゃるのだと思います……」


 彼女はそう小さく呟くと私達の返事は待たず、何事もなかったかのように歩き出した。メイナードの事もそうだが、領主の家族がこんなに簡単に命を狙われるなど、普通にあることなのだろうかと、私は疑問に感じながら領主の部屋へと足早に歩いたのだった。


 部屋に着くとメイナードによく似た髪色の男性が出迎えてくれた。目の色だけはメイナードと違う茶色だったが、大人しそうな雰囲気がメイナードとよく似ていることから、この人がメイナードの父親だという事はすぐに分かった。それと他には領主補佐だろうと思われる男性が一人後ろに控えていた。


「ようこそお越しくださいました。さあ、お掛け下さい」


 息子が行方不明になった事を気が付いていなかったのか、それとも私たちに保護されて安心したからなのか、メイナードの事をまず最初に訪ねてこない領主に少し疑問を感じた。


「私はブルージェ領主のタルコット・ブルージェと申します。後ろにいるのは私の補佐のイタロです。いやいや、この度はディープウッズ家の方にメイナードがお世話になったそうで、有難うございました」


 暢気な言い方に益々この領主に疑問が募る、メイナードがどうして森に行ったのか分かっていないのだろうか? そんな風に思ってしまった。


「私はエレノア・ディープウッズの娘、ララ・ディープウッズです。こちらは護衛のアダルヘルムと申します。私がメイナードと手紙のやり取りをしていたことはご存知でしたか?」


 タルコットは目を大きくさせて明らかに驚いた表情を見せた。きっとメイナードは手紙の事は話してはいなかったのだろう。


「いや……その……内緒で誰かと手紙のやり取りをしていたとは聞いていたのですが……その……まさかディープウッズの姫様だとは思わずに……」

「禁止にしたのですね?」

「いや……それは……その……私ではなく……」


 何だかはっきりしない物言いに頭が痛くなってくる。メイナードの父親でなければ、お尻を叩きたいところである。

 私が呆れているとアダルヘルムが口を開いた。既に愚か者と認定したのか目が座っていてとても怖い。


「手紙でメイナード様が森にいらした経緯もお話したと思いますが?」

「は、はい! 本当に恥ずかしい愚息でして……教師の申すことは本当だったようで……愚かすぎて、は、恥ずかしい話でございます……」


 私が心の中で ふざけるな! と叫んでいたのはしょうがない事である。母親を心配する優しいメイナードの気持ちを利用され森に置き去りにし、息子が殺害されるところだったにもかかわらず、まるでメイナードが悪いような物言いに、私の怒りは爆発寸前だった。

 隣のアダルヘルムを見ると表情は笑顔のままだが、目で人を殺せるのではないかと思うぐらいの厳しい目つきになっていた。このアダルヘルムが目の前に居ても暢気なタルコットに、益々呆れてしまうのであった。


「あの……メイナードが命を狙われていたのは、分かってらっしゃいますか?」

「へっ? ええっ!」


 タルコットの驚きようは寝耳に水と言ったところだろうか、後ろのイタロも目を丸くしている所を見ると、全く分かっていなかったようだ。私がアダルヘルムの方へ視線を送ると、手紙で説明したであろうアダルヘルムが大きくため息を付いていたのだった。


「ブルージェ様、手紙で詳細を書いて送ったはずですが、お読みになられましたか?」

「ええ……勿論です……メイナードが勝手に城を抜け出して、訳の分からない花を摘みに行ったのですよね……本当にご迷惑を――」

「そうではなくてですね……6歳の子が、森に一人で行くことを疑問に思いませんか?」

「はあ……花などその辺に咲いておりますから、それは不自然ですね……」


 益々頭が痛くなってきた。この人は常識を知ら無い様だ。夜の森がいかに危険かも分かっていないし、何故メイナードが花を摘みに外へ出て行ったのかも理解していない。

 これではブルージェ領の街が荒れてしまうのも分かるような気がしてきた。この人は自分の領の事をキチンと理解していないのだろう、下手をしたらこの城の中の事も、全く把握していないのかもしれない……


 タルコット・ブルージェの顔を見ると20代前半だろうか、前世で言えば大学を卒業してすぐぐらいの青年だろう。何の知識もなく多くの社員を抱える会社の社長に急になったとしたら、混乱を招くのは仕方のない事なのかもしれない。それにきっとこの人は本当に信頼できる友や、相談できる人もいないのかも知れないと私は思った。


「ハッキリ言わせて頂きます。メイナードは騙されて森に置き去りにされたのです。それも夜の森です。それがどんなに危険なことか分かりますか?」

「……置き去り……えっ? メイナードが危険?」

「森には魔獣がいます、私がメイナードを助けに行った時には陽炎熊に襲われる寸前でした……」

「よ……ようえんぐま? 熊ですか?」


 どうやら魔獣にも詳しくは無い様だ。これで領主が務まるのだろうかと不安になってくる。


「陽炎熊は火を噴く恐ろしい魔獣です。メイナードはそれに襲われそうになったのですよ、そしてそれを企てた人物がこの城には居るのだと思われます」

「いや……そんな……まさか……」

「奥様もです。体調が悪いそうですが、何か仕掛けられて居るという事はありませんか?」

「「えっ?!」」


 タルコットだけではなく、イタロも同時に驚いて見せた。まさか家族の命が狙われているなど考えても居なかったようだ。


「あの……それは……本当なのでしょうか?」

「奥様の事は診てみない事には分かりませんが、メイナードの事は本当の話です。それと、メイナードの体には癒しが効かない傷が多数あったのはご存知ですか?」


 タルコットは驚いた顔をして首を激しく横に振った。勿論イタロもだ。


 話を聞いて見ると、メイナードとは週に一度顔を合わすかどうかぐらいしか会ってなかったようだ。領主としてそれが普通の事だと思っていたらしい。食事はおろか、メイナードの勉強具合など何も気に掛けていなかった事がよく分かった。

 もしこのタルコットも同じ様に子供の頃から閉じ込められて育てられていたのだとしたら、無知な人間が出来上がっても可笑しくは無いと思ってしまった。


 私達が話し込んでいると扉を叩く音が聞こえた。アダルヘルムが厳しい目でタルコットを睨みつけると、タルコットは青い顔でフルフルと首を横に振った。


「まさか我々が来ることを誰かに話したのですか?」

「いいえ、いいえ、今日の事は私とイタロしか知らない事です」


 アダルヘルムとタルコットが小声で話していると、ガチャリと音がして三人の人間が入ってきた。


「いやぁ、お邪魔しますよ、メイナードが見つかったと聞いて飛んで来たんですよ」

「叔父上!」


 タルコットに叔父上と呼ばれた人物は、確かに領主一族と思われるタルコットとよく似た風貌をした男だった。

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